bottom-up or lower order processing?

以前勤めていた高校で、高校3年生に配布していたプリント(ハンドアウト)がでてきた。
「読んでわかるとはどういうことなのか?」と題して、概要把握だけでは読めたことにならないという戒めの意味を込めて、当時の認知学習論を展開したものであった。
例えば、高校3年で次のような英文を読んだときに、「わからない」という学習者はどうすればいいのか?という問いに誠実に答えようとしたものである。
As our personality develops we become less and less at the mercy of our immediate surroundings and the ways in which they affect us, and become more and more able to choose and create our surroundings and to plan ahead for the things we want. Among other things, this means that we have to learn to think in an abstract way, to exercise our imagination and to create things other than just our immediate sensation and desire. Only when he has reached this stage is the individual able to control his wish of the moment in the interests of his own more fundamental long-term needs.
文章の冒頭で統一した主題がつかめるまではなかなか鮮明なイメージがわかないものだが、ここまでの英文を読んで、「例えば、こういう状況ってあるよなあ」というエピソード、具体例を想起できるだけの知識や経験がなければ、この後に筆者が用意している具体的なサポートを生かすことはできないし、自分の知識や経験を生かそうにも、主題の手がかりとなるくらいの意味を原文から引き出せなければお手上げである。
文法訳読式の読解を批判するのはたやすいが、このレベルの英文を半年や一年の限られた期間で理解できるようにするには正しい意味での精読が必要である。部分の記述の理解がおぼつかないまま、乱暴に多読をしたところでそれはtop-down の読みとはいえないのではないか?センター試験の読解問題やTOEICのリーディングセクションの英文を読むためには文法訳読式ではダメで、速読速解、top-downでの内容理解が必要だという声に流されて、雑な読みを続けているがために得点・スコアも伸びないという人は多いのではないだろうか?
単なる例にすぎないが、以前の教え子で、帰国子女とは言いながら小学校高学年で帰国したために読解や文法に弱点のあった生徒は、エッセイライティングで半年鍛えることによって、TOEICで帰国子女といっても恥ずかしくないスコアにようやく到達した。また、高校在学中に1年間留学したにもかかわらずTOEFLで210程度だった生徒は、大学入試の長文読解では最難関の教材を用いた講座で徹底的な精読でもまれたことがエッセイライティングの高得点に結びつき250点をクリアすることができた。ライティングのないTOEICのスコアアップにライティングが有効、また入試問題で精読しかやっていないのに、TOEFLのエッセイライティングで高得点、というこの二つの事例は私にとって非常に興味深かった。
読解に絞って言うならば、中級から上級にかけて必要なのは、部分の記述の理解プロセスを鍛える適切な学習法・指導法であろう。文法訳読≠bottom-up readingという理解をすることから読解指導の改善をしていくことを訴えたい。