「そこらじゅうに、生きてるシルシを残してく…」

  • 人間のことばはたいくつなものである。すくなくとも、われわれが、おぼろげに考えているよりも、はるかに、たいくつなものである。たいくつでないことばはない、ということではない。たいくつである、と言ってさしつかえないことばのほうが、たいくつでないと考えられることばより、はるかに多いということである。(安井稔「たいくつへの序章」、『英文科手帖』、1962年1月号、垂水書房)

日帰りフライトから明けて月曜は0限から。
高2の英語IIは『P単』一気食いのチェックとその結果を踏まえたドリル。縦書きドリルが徐々に効果を発揮し始める者、一向にその趣旨を理解しようとしていないのではないか、という者。少人数クラスでもこの個人差・温度差である。
高3の読解は「伝統的」な進め方。
英文は同室の病人同士の交流を描いたエピソード。最後に、格言というか、教訓めいたことわざが出てくるのだが、これが何とも微妙な英文。

  • Sharing grief is half the sorrow, but happiness, when shared, is doubled.

この文章の決めの英文のはずなのである。中盤もまどろっこしい記述があったが、最後がこれではいただけない。愚愚って出典を探ろうと思ったが、いくつかバージョンがあるようでオリジナルを突き詰めるまではいかず。

  • Shared grief is half the sorrow, but happiness, when shared, is doubled.

でもイマイチ。butはないだろうと思う。
もし、動名詞主語にするなら、動詞の語法を何とかしてもらわないと。せめて、

  • Sharing grief halves the sorrow; sharing happiness doubles the joy.

くらいの英文になるだろう。
過去分詞を用いてコンパクトな名詞句の限定表現とするなら、

  • Shared grief is halved; shared joy is doubled.

辺りがまともな英語なのでは?
次回は、doubleの語法の整理と分数・倍数を予告。
それにしても、何の因果か、こういう時にこういうことわざが出てくるものなのだなぁ。

高1は、『短単』の音読で、惰性で音読をしているような取り組みがお粗末な生徒が見られたので苦言。(説教とも言う)残り時間をフォニクス。-ur-, -er-, -ir- で軸足決めで3回ターゲット1回の発音練習。

  • turn / burn / curve / church // her / verb / serve / perfect // girl / skirt / stir / shirt

などを何回か。
子音の段階で「ラッパの口」(私の定番の言い方では、「みうらじゅんの唇」)ができるので、shirtとかchurchを軸足にすると練習がスムーズに行くことが多いようだ。
7限終了後、HRを経て1年生の授業担当者会議。
夕方6時からは家庭訪問。ちょっと迷いそうだったが、無事に訪問を終え帰宅。
自宅にT社編集部より電話。遅筆に遅筆を重ねていたが、八方塞がりは脱せたか?
夕飯は八宝菜。
忘れた頃に、水谷豊。このシリーズはいつまで続くやら…。

本日のBGM: タイクツカラ ( GOTA Version)/TOMOVSKY