「教えて!絶版先生」第9回:『英語参考書の誤りを正す』

tmrowing2016-04-09

不定期連載とはいえ、前回から随分と期間が空きました。
その間に、新しい年度もスタートしました。
新しい教科書、新しい副教材を使う教師、学習者も多いことでしょう。
このブログの普段のエントリーでも、教科書や教材の英語、さらにはセンター試験などのテストでの素材文に関して、疑義を指摘したり、改善案を提示したりしてきました。

より良い英語で、より良い教材(学習材)
より良い素材で、より良い授業(学習)

というのが前提です。

人の業ですから、教科書等、教材の英語に全く問題がない、ということはないと思います。
ただ、教科書の英語について何かいわれる場合には、とかく個々の語句や表現に関して、「英語として不適切」「英語ネイティブはそうは言わない」という指摘が単発でなされ、そして、その単発弾が連射されるような「批評」「批判」が溢れている、という印象を持っています。

そのような教材の英文批判の多くには「理」がありますが、中には、

  • 誰が誰に対して、どこでいつ、何のために

発したことばなのか、という部分の考察が併せて示されていないものもあり、些か問題です。

このような状況に鑑み、このブログでの私の「エイブン」批評は、例えば、読解素材であればパラグラフやパッセージという「まとまり」のなかで、それぞれの英文が有機的、論理的につながっているか、主題に収束しているか、という部分を中心に吟味し、私の見解を書いてきました。英文の「つながりとまとまり」を見て取れる「素材」が主たる対象となっています。

素材としては、高校入試のリスニング問題のスクリプト、高3生英語力調査の聞き取り要約スクリプトなども「モノローグ」としての語りから、所謂、検定教科書の「モデルパラグラフ」や学参や予備校サイトで示される入試のライティング問題に対する「解答例」、さらには入試対策など、学校採択専用で使われている市販されていない教材のリスニングスクリプトや、読解素材としての英文まで、かなり幅広い対象で「つながりとまとまり」を扱っていることがわかるでしょう。

では、語彙項目や個々の表現に関しては、検定教科書や学校採択専用教材、市販の学参や英語本に改善すべきところはないのか、というと、これは「ピンキリ」ということになるでしょう。
私自身、一部の教材に対しては、個々の表現を取り上げて批判していますが、その場合でも

  • 誰が誰に対して、どこでいつ、何のために

というところに極力焦点を当てて、考えるようにしています。

残念なことに、未だに市販の英語本や、学校や塾で用いられている教科書などの準拠問題集では、個々の語句や表現の段階で、英語になっていないもの、文法的・語法的に不適切なものが散見されます。

私自身の英語学習者としての履歴を過去ログで書きました (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20110301) が、私が高校2年生だった頃に買ってきたのが、この本です。

河上道生 『英語参考書の誤りを正す』(大修館書店、1980年)

※冒頭の表紙の写真はこちらからDL可能です。
河上1980.jpg 直

その冒頭、「まえがき」での河上氏のことばが当時の私に強烈なインパクトを与えました。

翻訳における誤訳はしばしば取り上げられ、誤訳を扱った本も何冊か出版されている。中学・高校の英語教科書に対する批判や注文も戦後の英語教育界ではさかんに行われており、批判や誤りの指摘は教師だけでなく、教師以外の人からも寄せられているほどである。また日本人の話す英語や書く英語における共通の誤りを取り上げた本も出版されている。

ひとり学習英語参考書のみが、その絶大な影響力にもかかわらず、あたかも聖域であるかのように、批判にさらされることなく隆盛をきわめている。わが国の英語教育に対する批判は強く、多い。英語教育の不成功の原因の一つは間違った英語や間違った文法の規則・語法を教えていることにある。この悪い傾向を助長しているものは入学試験における悪問・愚問であり、悪問・愚問を拒否するどころか、悪問・愚問への答えかたを教え、間違った文法規則、古くなって現在では通用しなくなった規則や語法を旧態依然として印刷し続けている学習参考書である。

(中略)

本書は参考書の共通の欠点を指摘することがその目的であって、個々の本や著者への批判や本の優劣の比較評価を目的としていない。対象とした参考書の中には少数の誤りにもかかわらず、全体としては優れたものがある。他方、誤りが多い本もある。

前書きに続いては、「この本の読者のために」という項があり、執筆に至る経緯が書かれていて、その最後の部分にも、前書きと同じようなことばが繰り返されています。

本書執筆の目的はわが国における英語教育の向上に少しでも役立てることにある。読者としては英語教師を考えた。入試をすませた大学生や英語に関心ある社会人が読まれても参考になるであろう。しかし、中・高校の生徒諸君を読者と想定することはしなかった。

調べた参考書の中には優れた本もあるが、それらの中にも明白な誤りがあったときはとり上げた。

どんな本にもミスはさけられないと思う。僅かな数のミスを指摘されているからといってそれらの本が優れたものである事実はかわらないはずである。この点を読者によくご理解ねがいたい。何冊かの良書も、良書だとは書かなかったが、それは良書だと書かれなかった本が悪書だと思われることをさけたかったからである。

極めて冷静で、誠実な姿勢で書かれた本であることがわかります。

河上氏が想定していなかった、「中・高校の生徒諸君」の一人として、この本を選んできた私がまずやったことは、自分の持っている英語本、学参のチェックでした。
そして、次にしたことは、この本の項目を調べていき、「僅かな数のミスをされているからといってそれらの本が優れたものである事実はかわらないはず」の本を探し、手に入れることでした。

取り上げられた『学参』のリストはこちらにあります。

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私が選んだものは次の2冊でした。

13.  江川泰一郎『英文法解説』(金子書房)
34. 杉山忠一『英文法の完全研究』(学研)

当時の授業で私が教わっていたM先生は、木村明『英文法精解』(培風館)の改訂版を使われていたのですが、この学参は河上リストには入っていませんでした。M先生愛用の学参では河上氏の指摘した箇所をどのように扱っているのかも確認しました。当時の学参の中には充実した「さくいん」を備えているものも多く、それらによって随分検索の時間は短縮されたのを覚えています。

全ての項目を紹介することはできませんので、当時の私が気になった文法語法の扱いの極々一部を紹介しておきます。

助動詞と心的態度

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単数か複数か? アポストロフィは? ハイフンは?

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単純形か進行形か?


大関単独か関脇とのコラボか.jpg 直
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所謂「付帯状況」


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所謂「仮定法」関連




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このような確認・照合の「作業」を通じて、文法・語法における「レファレンス」となる本が手元に揃い、されにはその「玉に瑕」をも修正できたわけです。これが、その後の英語学習にとってどれだけ役立ったか、河上氏には感謝のことばしかありません。

大学に入学して、若林俊輔先生に触発され、英語教師を志したわけですが、今でいう本業のボート競技に明け暮れる中でも、英文修行は続けていました。
参考文献に上げられていたレファレンスをじっくりと読んだり、購入したりというのは、大学に入ってからでした。大学ってすごいな、東京ってすごいな、というのが偽らざる実感でした。



ここでレファレンスにあげられている、R.A. クロースやデニス・キーンの本がG大ではテキストとして選ばれていたのも当然と言えば当然でしょう。(W.W. スミスの『アメリカ口語表現法教本』は、教職に就いた後、同僚となったY先生の薦めで自分でも購入しお世話になりました。スミス教本.jpg 直

そんな私も大学に慣れてきて、2年生になれた頃に購入したのが、続編とも言える、

『英作文参考書の誤りを正す』(大修館書店、1982年)

でした。

その「はしがき」から抜粋。

本書は30冊の和文英訳の参考書と問題集における説明と英訳文の中の誤りをとり上げたものである。わが国では英語が明治以来教えられてきた間に、間違った規則や説明が作られてしまっている。その多くは『英語参考書の誤りを正す』の中でとり上げたが、和文英訳の参考書の中にも、文法を中心として和文英訳を教えている部分で、英文法に関する間違った記述がかなり見られる。
英訳文については、最近では多くの英米人が日本に来ているので、彼らに訳文の校閲を頼むことが可能であるから、訳文に誤りのない参考書や問題集がある反面、訳文に多く誤りを含み、高校生が使うには不適切な参考書や問題集が多い。
とりあげた30冊のリストは別に示してあるが、これらの中には誤りがほとんど、または全くない本も少数ある。例えば、参考書問題集一覧の15, 27には英文の誤りが見られぬだけでなく、参考書としてもすぐれている。
英語の誤りには正しい形を代わりに示したが、本書が示した代案だけが正しい訳ではなく、他にも正しく適切な訳がありうることは言うまでもない。和文英訳や英作文の英語は、文法的に正しいだけでは十分でなく、より効果的な表現が望ましい、換言すれば correct English であるだけでは不十分であり、good English でなければならぬ。このため文法的には可能なはずの表現を訂正したところがあることも理解されたい。

本書は主として英語教師を読者と想定して書いたが、社会人や大学生・高校生にとっても和文英訳について学ぶところがありうると信じる。

私の感謝は無駄ではなかったのだろうな、と今でも思っています。
上述の「英文の誤りが見られぬだけでなく、参考書としてもすぐれている」と評価されている2冊とは、

『チャート式シリーズ英作文』(数研出版、昭和52年3月1日 第9刷)
『新研究英作文』(旺文社、1980年 重版)

でした。

この後、しばらく月日が流れてから、1980年の本の『改訂増補版』と謳った、

『英語参考書の誤りとその原因をつく』(大修館書店、1991年)

が出版されました。

続編・増補改訂の2冊の表紙はこちら。
河上1982 1991.jpg 直

その増補改訂版の「はじめに」に、このように書かれています。

『英語参考書の誤りを正す』の上梓以来10年を経た。旧版を書くにあたっては簡潔をむねとした。少なくとも『英語教育』誌(大修館書店)のQuestion Box の読者の水準を想定し、詳しい説明は不必要だと思ったのと、詳しく説明すれば誤った英文や誤った記述を書いた参考書の著者がいかにも無知無能あるいは無責任な人に見えてしまい、失礼になるであろうと思ったことが簡潔な記述を心掛けた理由であった。
しかし読者を選ぶことはできない。いろいろの読者がいることを質問を読んで知った。このため、この改訂増補版では英語を専門として学んだり、英文法・英語語法に関心をもって日ごろからその方面の研究をしている読者以外の人にも理解されるように書き改めることにした。書店で求めることのできる英文典や語法書がとり上げている事柄については読者がさらに調べられるように参照すべき書名を示し、また今では一般に入手できなくなった書物からはかなり詳しく引用した。日本で誤解されて、間違った知識が根強く行きわたっている事柄についてはくどいくらいに説明をした。

このブログで私が「英文批評」「エイブン批判」をする際の、できる限りの出典の明記、絶版書からは比較的大量の引用というのは、この河上氏の姿勢に倣ったものです。

河上氏は続けてこうも言っています。

旧版で学習参考書の中の多くの誤りを指摘したが、同じ誤りが依然として姿を消していないようだ。誤りを指摘されても訂正せずに出版を続けている著者がいる理由の1つは、誤りを指摘されて心理的に反発を感じているのかも知れない。今回の改訂では参考書名をのせないことにした。本書はどの本が良いか良くないかを問題にしていない。

誠実で紳士的な態度で貫かれているところに敬意を表します。

  • 誤りを指摘されても訂正せずに出版を続けている著者がいる

のはそれから四半世紀が経とうとする今も同じでしょう。
しかも、単文・短文など、文法・語法レベルでの指摘はまだしも、より「つながりとまとまり」が求められる、ディスコース(談話)レベルでの「英文」に対する指摘は、する人もそれほど多くなく、したとしてもなかなか受け入れられないように感じています。

今こそ、河上氏が貫いた「わが国における英語教育の向上に少しでも役立てること」「文法的に正しいだけでは十分でなく、より効果的な表現が望ましい、換言すれば correct English であるだけでは不十分であり、good English でなければならぬ」という姿勢に倣う時ではないかと思うのです。

巷の学参に限らず、教室で使われる教材も含めて、その英文を精査し、今回とりあげた『河上三部作』で指摘された事柄はもう充分に消化され、問題点は解消しているということを確かめることが必須でしょう。河上氏の1991年の増補改訂版では、正されるべき項目だけが取り上げられ、詳細な解説がなされている反面、上述のように「書名」が消えましたが、やはり、どの本で、どの項目が、どのように記述されていて、それを正すべきなのか、ということは分かった方がいいと思います。

そして、それを前提として、その先の「つながりとまとまり」のレベルで、目利きによる新たなレビューがなされることで、英語教科書、英語教材を作成する現場の風通しが良くなり、その結果として教師、学習者ともに益するところが増えることを強く望むものです。

より良い英語で、より良い教材(学習材)
より良い素材で、より良い授業(学習)
より良い批評で、よりよい業界

ないものねだりでないことを願っています。

本日のBGM: 白と黒 (White And Black) [Studio demo/1991] (鈴木慶一)