このところ、「リストマニア」の移植をしていて、新旧様々な「英語関係書籍」がブログを飾っています。あるものは、高校生の頃に、あるものは大学時代に、またあるものは教師になってから、そして更にあるものは、「もうこの領域・分野に関しては『専門』とも言えるくらいに充分知っているから、自分の知識を揺すぶられることはないだろう」と思っていた、つい最近読んだものとなっています。
これらのリストを見て、「アレがないじゃないか!」とか「あの本を入れていないなんて…」という方もいらっしゃるでしょう。その場合に、この「リスト」にあるものも全て読まれているなら、いいじゃないですか。流石ですよ。リストの作成時期とのタイムラグがあるものもありますから、リストを更新中・刷新中のものも若干ありますが、恐らく、「中高生に英語を教えるのであれば」もうこのあたりで充分なのではないかと思っています。
かかり付けの「街のお医者さん」が世界の最先端の医療研究者である必要はないのと同様に、「街の英語教師」が英語学の最先端研究者である必要はないと思っています。ただ、患者や生徒に信頼されるだけの「目利き」「腕利き」である必要はあるかと。
でも、「医者」にかからなくても済むように、自分の健康は自分で、がまず第一に来てしかるべき。では「英語学習」というものを考えた時に、そこでの「健康管理」とは一体どんなこと、ものなのでしょうか?
そんなことをずっと考えていて、大学時代の教科書だった、「イリイチ」を久々に読み直そうかな、と思っています。
今週の授業日誌をば。
高3の授業は、中間試験の解説が中心。
次時の予告で、新たな題材が「言語」をテーマとしているので、「話型」の確認で、コミュ英のBook1の『ジーニアス』(大修館)での既習の課で、「言語」がテーマだった課は?と問うて、レスポンスがゼロ。何の事はない、この教科書は「言語」をテーマとした課を入れていないのでした。そりゃ、レスポンスもないわけです。
随分前に、東京外国語大学の根岸先生が高校生にとったアンケートで、最も人気のないテーマ、トピックが「言語」だったという記憶があるのですが、改めて考えてみて、「言語」に関する話題を読んで、面白くないと思う人、「ことば」についてあれこれ考えてみることが面白くないという人が、母語以外の新たな言語を身につけることが容易だろうか、という「?」も浮かびます。
「ことば」を使うことも含めて、「ことば」というもの、「ことば」そのものが面白いということを、教える課があっていいだろうという放課後の感慨でした。
高1は、発音と綴字。「英語で、綴り字が -al で終わる語の発音が、カタカナ発音のような『アル』になることはない」というシリーズ。昨日の授業で、classical をやったときに、黒板に「ビーカー」の絵を描いて、「フラスコ」の絵を描いて、カタカナで『フラスコ』と3回言わせてから、classicalを言わせるという力技を導入していたので、classicalの他に、既に日本語のカタカナ語になっている、-alで終わる語をいくつあげられるか?というグループ対抗戦。
musical, special, national, casual, usual, など、クラス合計が13個。そこから、やりとりを重ねて、digital, vocal, local, visualなどを追加。
前時に、minceの「ミンチ;メンチ」を取り上げ、舌先の強い /n/ に続く /s/ での音変化で生じる「つ」のような音を扱った際に、強勢のある母音の「顎の開き」で、digitalの強勢のある母音を「カタカナ」で「エ」と聞いているセンスの良さに言及。では、自分でも、発音練習を、といって「テレビ塔、自民党、digital」で、リズムと音の確認。
vocal では、「オシッコ漏れちゃう!」と私が叫び、「膀胱」との類似と相違を練習。リズムが大事なのは勿論ですが、ここでの母音は、決して「勃興」とか「フルボッコ」のような音にはなりませんから。
そんなこんなで、授業の前半25分を費やしたのでした。
週末課題として、他にどれだけあるか?を問うて、『プログレッシブ逆引き』をチラ見せして「すっごくたくさんあるよ〜」と伝えておいて、一夜明けた土曜日課外で事件は起きたのです。
高1の「-alの続き」。
朝、準備室に提出物を持ってきた女子生徒に、「ホワイトボード、あれから増えた?」と訊いたら、「めちゃくちゃ増えました!」と元気よく答えていたので、ちょっと嫌な予感がしていたのですが、教室に行って白板を見て確信。彼ら、やっちゃいました。
まず、最初に書いてあったのが、
etymological
中段に
maternal
mathematical
後半に
biological
などなど。
恐らくは、辞書を懸命に引いて見つけたのでしょう。でも、これは、辞書の見開き頁という「ヨコのもの」を白板という「タテのもの」にしただけの「作業」にすぎません。
生徒一人ひとりに、「前回、授業の半分の時間をとってまでやったことは一体何だったのか?」と問い、
あなたが今まで生きてきて『エティモロジカルな興味があります』とか、その言葉を自分で使ったことある?やっぱ、高校の数学はまさに『マセマティカルな要素が濃いよね』なんて言うの?
と畳みかける。
既に、自分の馴染んだ、自分の意味がその語に乗る『ことば』として使っている『カタカナ語』の、英語での実態、実際の姿は一体どうなっているんだろうか?という「確認の作業」こそが求められていたんだよね?
いくらたくさん書き出したところで、これでは『意味がない』。『そこにあなたはいません〜』なんだから。ただ、ヨコ のものをタテのものにしただけ。そして、この白板のタテのものを、次の段階で綺麗に自分のノートにまとめたところで、それは再度『ヨコのもの』になっただけです。いっ たい、いつ『自分のもの』になるの?
ということで、白板の途中にある、「お馴染の」「自分の中に既に住んでいるような」カタカナ語をいくつか取り出してコメント。
その流れで、男子生徒に、
「第三次世界大戦で地球上の人類が皆死んでしまい、あなたともう一人しか残っていません。もう一人は女性です。あなたは次の二人のどちらに生き残っていて欲しいですか?
- 1.広瀬すず、 2.ガッキー
と訊いたら、一寸間を置いて、「ガッキー!」と答えたので、
じゃあ、ガッキーのでていたTVドラマのタイトルは?
と尋ねたら、「…」。おいおい沈黙かい!
ということで、すったもんだで、『リーガル・ハイ』から、legalを引き出し。意味の確認。
白板の中の語から、trial を取り上げ、「トライアル」っていうTVのコマーシャルのジングルの真似をして、「みんなの地元にあるかな? 大型スーパーみたいな、まとめ買いする時に使ったりするよね?」と共通理解を得てから、「じゃあ、この trialってどういう意味なの?」と問う。生徒にも、動詞 try の派生名詞という理解や知識があるわけはなし。当然の如く、辞書引きタイムです。
『エースクラウン英和』(三省堂)だと、
1.裁判、公判
2.試してみること、試験、テスト
3.試練、苦労;迷惑、やっかいな人[物]
などという記述になっています。「モンスタークレイマーとカリスマ店員との間で裁判の公判のような争いが展開されているの?」と、「リーガル・ハイ」からの伏線を感じてもらってから、解説。
「日本語のカタカナ語は、英語から採られたものも多いけれど、元の意味とずれているものもあるので、必ず確認が必要。」
「日本語として定着しやすいのは、元の英語が『名詞』か『形容詞』。『動詞』はなかなか定着しないけれど、定着した「カタカナ語」に隠れている『動詞』を引っ張り出せると、英語の世界に少し足を踏み入れることが出来るし、飛躍的に語彙は増える。」
というまとめ。
課外の2コマ目は、高3。こちらは「接頭辞」に言及。私の基本方針で、3年生になるまで、語源や語根、接頭辞、接尾辞は一切扱わないので、まず基本語を身につけることが先決といういつもの話。
本文中にendangered speciesが出てきたので、お約束のendangeredからendangerを引き出してencourageとの対比。その後は3枚目の写真の通り。 「気休めは言わないよ」というオチ。
過去ログのまとめがこのエントリーにありますので、このリンク先から、更にリンク先を辿って下さい。
Beware of English teachers
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20140510
高2は土曜日課外はなかったのですが、週末に、所謂「分詞構文」を扱ったので、いよいよ、「物語文」の「読み比べ多読」へ踏み込めそうな気配がしています。
今朝の素朴な疑問がこちら。「呟き」からの転載です。
高校では「英語の授業は英語で」というお題目で進められているようですが、小テストとか、定期試験の返却時の解説も英語でしているのでしょうか?いや、返却も「授業中」に行われるところが多いと思ったので。その時も「わからないところは気にせず、文脈から類推する」ことが推奨されるのでしょうか?
https://twitter.com/tmrowing/status/602214977781370880
私の主張のほぼ全ては、こちらに書いていますので。いつも同じ話です。
「英英の弱り目、和訳の効き目」再録
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20110210
その後、組田先生宛に呟いたものも、こちらに転載しておきます。
私は政策立案者や、その政策の推進者からの答えを求めているわけではありません。「学習者」の意識と「教師」の意識の喚起、といったところでしょうか。What worked wth them. ではなくてWhatever works.とでもいいますかね。
「教師が英語で喋る時間よりも、生徒が英語を口にする時間を」等とも言われますけれど、生徒が「口にするのはどのような英語か?」、生徒が「耳にした後、どのように処理をしているのか?」っていう部分を考えると、「インプット」を増やせば済む問題ではありません。
「フィードバック」「やりとり」「介入」など用語はさておき、「よしよし」とか「一寸待った」とか「ダメよ〜、ダメダメ」という局面が必要になると思うのです。とすれば、より適正な発達段階を考慮した「英語」が教師から発せられた方が良いのではとも思います。
さらに言えば「教師の口」からなされなければいけないわけでもないと思います。語彙や構文(統語)の側面だけを考えれば、「読み」という形で段階的に提示されても同じ「気づき」が得られるのではないか、ということです。で、私の関心は「気づき損なった」人にあり。
私がかねてより1000語〜3000語レベルと、難易度を変えた「読み比べ多読」を推奨しているのは、その辺りを考えてのことです。オーラルイントロダクションやオーラルインタラクションをして「易しく」して理解した後、「ターゲットの英文」は何時身につくのか?
「英語は英語でが王道!」を、AAO!と揶揄してきましたが、「庶民」「平民」の「道」は、それぞれ、それなりで、ある意味「王道」以上に試練に満ちています。いや、生徒だけじゃなく、指導者もですけど。
一夜明けて、日曜日は「本業」三昧。
ロウイング(今、変換で、「狼咽愚」って出てちょっとビビりました)の聖地「戸田」では、全日本軽量級選手権のクライマックス。
自チームは、といえば、午前中は学校でエルゴでのトレーニング。昼前に、遠い方の湖へ移動し、来週のレース想定のトレーニング。午前中までは、他県から遠征で来たチームと、地元高校生の「並べ」(練習試合)がありました。
自チームは、そのレベルでは絡めないので別メニュー。選手に食事をとらせている間にリギングを済まそうと思ったのですが、スパンの調整に手こずるうちに、陽射しも強くなり、大汗。とりあえず、ピンの角度と振り角は許容範囲の数値に収まったので、出艇してみて、直進性を確認。スタート6本10本のあたりで、やっぱり曲がるんですよね。一端揚艇して、再度チェック、の時に、左右でリガー取り付けの高さが違っているのを発見。大急ぎで、付け直して、スパンを測り直して、安堵。
再出艇後は疲れも出たのか、なかなか思うように加速を継ぎ足せませんでしたが、まあ、足を運んだだけのことはありました。選手を駅まで送り届けたところで、物凄い疲労感に襲われ、帰路で腹ごしらえ。ちょっと生き返りました。
この競技に魅せられて、早三十余年。自分が選手としても、指導者になってからも、勝てないレースのほうが、うまくいかない年のほうが多い競技人生です。それでも、次に生まれ変わって、「自分でするならどの競技?」と訊かれたら、この競技をまた選ぶような気がします。
本日のBGM: 遥かなるまわり道の向こうで (KAN)