appropriacy

文化祭の代休日。
ようやく青空。
昼前に近い方の湖へオールを運び、ローロックの付け替え作業。途中、小雨に降られたが、とりあえず2Xのピン出しは完璧。ピンヒルとハイトを乗艇時に微調整で週明けのトレーニング開始。1Xは左右差の付け替えとシート高の調整が難儀しそうだったので、選手と一緒に明日以降でリギングの予定。今日は、娘も車に乗せ、艇庫や湖を見せて回った。娘としてはアクトビレッジ側にあるハーブ園とかキャンプ場の方が好みの模様。浮き桟橋には、はじめ段差が怖くてなかなか足を降ろせず。慣れたら慣れたでこちらが冷や冷やするくらい行ったり来たりを楽しんでいた。

国体のレシート整理で夕方まで。まだ終わらないので、気分転換。

  • 坂井孝彦 『英語で味わう日本の文学』 (東京堂出版、2010年)

から気になるところを拾い読み。文学の翻訳を考えるのにはよい素材であろうと思う。英語の勉強に使うも佳し。詩、短歌や俳句なども大胆に英訳してあり、意欲作と言えるのだろうが、山頭火の句を次のように翻訳してその意味は伝えられても、それはもう違う何かになってしまっているように感じる。 (p. 210)

I make my way on and on deep into mountains,
But still I cannot find what I have been after.
All I can see is a chain of green mountains
At any place I may wander about.

pp.247-250 では大衆音楽から『世界に一つだけの花』 (槇原敬之作詞作曲) を取り上げている。私はp.250の解説を読んで初めて、この曲が「親子で歌いつごう日本の歌百選」に選ばれたことを知った。正気なのか?
サビの歌詞が持つメッセージ性は分からなくもないが、言葉だけを取り出し、詩として扱うのであれば、語彙選択もレトリック、構成も拙いものであろう。擬人化なのか、象徴なのかとにかくよく分からない「花」を主題としたと思しき歌の出だしで「花屋」や「花」というダイレクトなことばが出てきてはもうそこでなんだかなぁという感じ。さらに、メロディに乗せるとなると二番が聴くに堪えない。本書でこの曲の前に収録されている、『花〜すべての人の心に花を〜』 (喜納晶吉作詞作曲) と比べるとそのクオリティは雲泥の差であろうと思うのだが…。

言葉の選択というのは簡単なことではない。そんなことを考えていたのは、今朝、妻から英訳のチェックを頼まれていたから。
妻の知人の芸術家の方の作品が海外で紹介されるらしく、作品それぞれのタイトルの英訳を見せてもらった。文字通りの訳で等価なものが先方にあるものはいいのだが、下手に詳しく説明すると、上に引いた山頭火の句の英訳のようになってしまうところが難しい。パラフレーズしてしまうと、そこでもう命の輝きが薄れてしまうような、研ぎ澄まされた、置き換えられない価値を持った言葉と向き合うには、文学や芸術が最適なのだろうと改めて思った次第。

山口県英語教育フォーラムの準備も佳境。
倫太郎さんのAR学会での発表は男前だった模様。
私の実作はいかに。
明日からは平常授業。

本日のBGM: 花のように (鈴木博文)