「志」はそのままに

内田樹『ひとりでは…』読了。

  • 経験的に言って、健康法を律儀に実践している人間は必ずしも機嫌のよい人ではない。というか非常にしばしば彼らは不機嫌な人である。理由は簡単。「世間の人々が自分と同じように健康によいとわかっている生き方を採用しないこと」がどうしてもうまく受け容れられないからである。どうして、「あいつら」は平気で命を縮めるような生き方をしていられるのか。(中略)周囲の人間の生活習慣の乱れに対する辛辣な批判と、おのれの実践している健康法に対する原理主義的確信は、彼らをしだいに社会的孤立へと追いやる。(pp.221-222)

This part hit home.
この「健康法を律儀に実践している人」のところを「正論を吐く教師」で置き換えてみれば、まさに私の今を端的に表すではないか。まあ、そんな自分と折り合いをつけて行くしかないのだね。

津田塾フォーラムの準備で、国語教科書で扱われている詩人(と詩)を整理。

  • まど・みちお/工藤直子/金子みすゞ/阪田寛夫/新川和江/谷川俊太郎/高田敏子/原国子/島田陽子/武鹿悦子/小泉周二/鶴見正夫/こわせ・たまみ/みつはしちかこ/小野寺悦子/木村信子/みずかみずよ/西村祐見子/青戸かいち/さくらももこ/野呂昶/はたちよしこ/与田準一/間所ひさこ/宮中雲子/長田弘/北村蔦子/岸田衿子/羽曽部忠/原田直友/香山美子/川崎洋/有馬敲/小野十三郎/草野心平/井伏鱒二/三好達治/山村暮鳥/室生犀星/北原白秋/島崎藤村/野口雨情/八木重吉/高野辰之(以上、坪井祥編著『詩人別 教材詩集』(フォーラム・A、2006年)より)

この本は、現行の小学校の国語教科書を調べて作者を抜き出し、そこから教材として適した詩を集めたもの。

  • 高村光太郎/宮沢賢治/土井晩翠/武者小路実篤/国木田独歩/釈迢空/伊藤静雄/蒲生有明/高見順/壺井繁治/千家元麿/丸山薫/中原中也/簿田泣薫/立原道造/佐藤春夫/河井酔茗/大岡信/真壁仁/北川冬彦/吉野弘/石垣りん/金子光晴/原民喜/峠三吉/与謝野晶子/茨木のり子(以上、『教科書でおぼえた名詩』(ネスコ編/文藝春秋、1997年)より)

こちらは、昭和20年代から平成8年までの中学・高校の教科書が対象。この他に短歌・俳句・漢詩も扱われているが、ここでは省いた。さらに、上述の『詩人別…』で取り上げた詩人は省いた。

比べてみると、小学校の教科書で現在扱われている詩人の半分を知らないことにショックを受けた。英詩の前にまず、日本(語)の詩の状況をきちんと踏まえておく必要がある。意外と言っては失礼だが、山口県出身の詩人は多い。

  • 金子みすゞ(1903年 山口県生まれ)
  • 中原中也 (1907年 山口県生まれ)
  • まどみちお(1909年 山口県生まれ)
  • 原田直友 (1923年 山口県生まれ)

日本(語)の詩がこれだけ扱われているというのに、英語の教科書で英語の詩がほとんど扱われていないというのはどういうわけだろう?
教科書に載った途端に、「どんな作品も面白くなくなる」などと批判する人が時々いるが、批判の前に、教科書にある文化資本を活用することが先決だろう。読解力をいくらPISA型にしたところで、ことばというものの使われ方、媒介を考えた場合に、詩歌と戯曲を含まないのでは片手落ちだろう。前任校ではネイティブスピーカ教師(専任の方です)がスキットを作らせて演じさせていたのを思い出した。
英語劇、やりたいのだがなぁ…。

本日のBGM: そして僕は途方に暮れる(福山雅治)