writers & critics who prophesize with their pen

今年度は地元国体での変則日程ということで、1学期末の文化祭。初日は合唱コンクールなどステージ物中心。昼まで観覧し、出張。インターハイに出場する各高校の代表監督会議。諸注意、諸連絡。国体での強化絡みで、競技種目によっては既に1学期の授業を終えているので、全国行脚の旅に出ていて、そのまま帰山せず現地入りなのだとか。公立高校単独チームでも国体で勝てそうな種目には特例があるのですね。

自宅に戻り、自分のテーマ研究。「学習英文法」ということで、市販の教材の指導法・解説などを見てきたが、ネット上でも様々な見解が披露されている。今日は、そんな中から、気になった項目として<want / need / deserve など+ -ing>の扱いを取り上げる。

(c) This book is worth reading.
   「この本は、一読に値する」
(d) This car needs washing.
   「この車には、洗車が必要である」

 (c)では、This book は「読む」側ではなく「読まれる」側であるのに、前置詞 worth の目的語は being read ではなく reading、そして(d)では、This car は「洗車する」側ではなく「洗車される」側であるのに、他動詞 needs の目的語は being washed ではなく washing とする。
 これは、動名詞から動詞の性質が消えて名詞化しているからであると考えることができる。
 動名詞である限りは動詞として能動態と受動態の区別があるが、動詞の性質が消えて名詞化してしまえば、能動と受動の区別がなくなって、専ら単純な能動態の形だけを名詞として用いる。
 したがって、(c)では reading は「読むこと」でも「読まれること」でもなく「一読」、そして(d)では washing は「洗車すること」でも「洗車されること」でもなく「洗車」ということになる。
以上、「英文法道場: be worth 〜ing とneed 〜ing」 (http://blog.livedoor.jp/eg_daw_jaw/archives/51948699.html)より。


この項目は、私が20代の頃だからもう20年近く前になるだろうか、当時の勤務校の『研究紀要』に語法ノートを書いた記憶がある。当時の私の拠り所は、CGEL系の20世紀的な規範文法や、F. R. PalmerのThe English Verb (2nd, 1987, Longman) だったのだが、そこではとうに解決済みの項目なのだろうと思っていた。
Palmer (pp.183-184, p.204) では

  • The clothes need washing.

の例をあげ、その構造を、

  • NP1 V [NP1V]

または

  • NP1 V [-V NP1]

としている。特に後者の分析で、動名詞の意味上の主語を省略し、 (-) の記号で示しているところがわかりやすい。この部分に、yourとかour など動名詞の意味上の主語を補えば、この場合の動名詞を「受動化」として特別扱いする必要がなくなる、というわけである。
「…道場」の説明で私が気にしているのは、「動名詞である限りは動詞として能動態と受動態の区別はあるが、動詞の性質が消えて名詞化してしまえば、能動と受動の区別がなくなって、専ら単純な能動態の形だけを名詞として用いる」という部分。
名詞にも能動・受動の意味が残されているものがあるし、動名詞でも能格動詞では、一筋縄ではいかない。過度の単純化には慎重でありたいので、いくつか引用。
安井稔 『英文法総覧・改訂版』 (開拓社、1996年) では、pp. 398-399で、興味深い記述が見られる。
28.5.4.3の項目では「一定の動詞・形容詞に伴う動名詞は、受動的な意味を表す」として、

  • It is worth discussing. It needs explaining more clearly.
  • They deserve punishing for what they have done.
  • The language won’t bear repeating.

の例をあげて、次のように解説している。

本来、動名詞は、能動・受動という態に関しては中立的であった。つまり、文脈によって、能動的な意味にも受動的な意味にも用いられていた。その名残がdeserve, need, require<要する>, want (= need), bear, worth などの場合にみられる。これらの語の意味上の主語が非動作主であり、能動の意味をもちえないことが明白な場合に限られていることに注意すべきである。

面白いのはこのあとである。直後の項で、「受動的な意味を表すと考えられる to不定詞がある。」として、

  • There are many sights to see in this city.
  • The house is to let (= to be let).
  • Much is yet to do (= to be done).
  • There was much to learn (= to be learned).

There’s not a moment to lose (=to be lost).
という例を示しているのだが、その後の解説では、

歴史的にみると、受動形の不定詞は能動形の不定詞よりもずっとあとになって発達したという事情はあるが、現代英語に関する限り、訳文からもある程度わかるように、これらの不定詞は、能動的な意味をもつものであり、ただ、その主語が一般的なものであるか、場面からわかるものであるかであるにすぎないと考える方が理にかなっていると思われる。例えば、There was much to learn. はThere was much (for us) to learn. に相当する内容をもっていると考えるなら、この場合の不定詞は能動形の意味をもつものであることになり、わざわざ受動形の意味をもつものと考える必要はなくなってくるということである。

このように、不定詞の扱いを考えるのであれば、動名詞の方も同じように考えてはどうか、というのがPalmerの分析だと、考えられないだろうか。

安藤貞雄 『現代英文法講義』 (開拓社、2005年) は、「動名詞の態」 (p. 260) として、

  • (2) Your hair needs cutting / to be cut.
  • (4) My dress requires pressing.

などの実例を示したあとのNBで、

以上の動名詞は、「受動的な意味を表す」とされるのが普通であるが、動名詞の前に[PRO cutting]のように、意味上の主語PROがあると考えれば、能動の意味のまま解することができるし、その方が自然な解釈だと思われる。その場合、(4) の例で言えば、「プレスされる必要がある」と解するのではなく、「(話し手を含めて) 誰かがプレスする必要がある」と解することになる。日本語の「舌切り/*切られスズメ」や「詠み人知らず/*知られず」なども同類。

という日本語との比較まで持ち出してきめ細かく説明している。
高校生レベルの学習参考書であっても、杉山忠一 『英文法詳解』 (学研) では、pp.33-34、「抽象名詞の注意すべき意味」で、

(a) 動詞性<抽象性>の強い場合と名詞性<具体性>の強い場合
動詞から作られた抽象名詞は、「〜すること」という動詞の意味が強い場合と、「〜したもの」「〜されたもの」という名詞の意味が強くなって用いられている場合とがある。

として、

  • They began the construction of a new bridge.  彼らは新しい橋の建設を始めた。
  • It was a solid construction. それはしっかりした建造物だった。

という類の対比で説明している。また、

(b) 能動の意味と受動の意味
他動詞から作られた抽象名詞には、通常、「〜する [した] こと」「〜する [した] もの」 [能動] と「〜される [た] こと」「〜される [た] もの」 [受動] の2つの意味がある。

として、

  • He deserves recognition. 彼は認められる価値がある。
  • There is a chance of discovery in our going out together. われわれがいっしょに出かけると、見つけられる可能性がある。