中間考査スタート。今年度は、2課程3コース3学年に跨り6種類のテストを毎回作ることになります。ちょっと英語の先生らしい日々。テスト前の授業最後の1週間で大雨により登校の出来なかった生徒が多かったり授業そのものをカットして早く放校にしたことなどもあり、予定していた進度とは大きく隔たりの出来たコマがあって苦労しましたが、なんとか、4種類終えました。
英語Iやオーラルは書き下ろしもあるので、課程やコース、学年に合わせた語彙や構文のコントロールで教師としての英語力も鍛えられることになります。後2つは、進学クラス高2のライティングと進学クラス高1のオーラル。ライティングは高2のこの時期は『コーパス口頭英作文』からの1000本ノックならぬ、前半35 ユニット、計350例文が範囲なので、サイコロと相談というのは冗談で、解答用紙の許す限りの出題です。オーラルは「ライブ」リスニングなので、ダイアローグやモノローグの書き下ろしや自然な対話となるようターンを増やしたり、隣接ペアを工夫したりと意外に楽しいものなのですが、自分の発音練習もきちんとしておかなければなりません。2回読むのを均質にするのはいまだに大変です。オーラルの仕上げは明日のお楽しみ。
職場の準備室では今、私と同僚で「大滝詠一」がブームです。普通に考えれば近い世代でのノスタルジアとなるのでしょうが、今年は『ロンバケ』30周年記念盤が出たので、専らその話題。
『君は天然色』、いわゆる「君天」のオリジナルベーシックトラックを聴いて、サビのオリジナルのキーを知って衝撃を受けたりと3ヵ月は持ちそうです。久々に『サンレコ』も3号連続で買ってしまいました。
雑誌を買うと言えば、『英語教育』6月号特集は「生徒からの質問にどう答えていますか」。
手島良先生が「発音と綴り字」、蒔田守先生が「文字指導」という鉄板。参考文献で、宮田幸一とか成田圭一などがあっても良かったように思う。そして、その二人の間の加藤京子先生のコラムを読んで、昨年の「第3回山口県英語教育フォーラム」での感動が甦ってきました。あの日、インスパイアーされた英語教師たち一人一人の心に豊かな実りがありますように。
牛久祐介氏の「疑問文・否定文」に関する記述で、some / any の対比と、Will you …?が出ていたので、私の今シーズンのテーマである「学習英文法」関連で今読んでいる本から補足しておく。牛久氏は、
- anyには「どんなものでもよいから」という意味がこめられている。 (p.20)
というのだが、これには「ゼロでなければ」という但し書きがあった方がよいだろう。"not + any = no" の説明も容易となるという利点もあるが、指導や説明の利便性だけに目を奪われてはいけない。この項目は、毛利可信『ジュニア英文典』 (研究社、1974年) に詳しいのだが、
疑問文におけるsomeとanyの使い分けは注意を要する。someは疑問文にする以前の内容でいったんまとまっており、<その内容をたしかめるつもりできく>、あるいは疑問文の形式をかりて、<じつは人にものをすすめる>などの文であり、anyの方は直接的な疑問である。 (p.59)
という平易で明快な説明に続けて、毛利氏の示す用例は、
- Does he live somewhere near Kobe? (= Is it true that he lives somewhere near Kobe?)
- Did he go anywhere outside Japan?
というもので、例1のパラフレーズは上手いなぁ、と思うものの、somewhereをそれ以外の言葉で説明するのは難しいことには変わりはない。
従来、文法書などで「someは、疑問文や否定文ではanyに変わる」という趣旨の説明が多く見られる。たしかに、いちおうはそれでもよい。しかし、常にそうとは限らないということは、いままでのところであげた例文によって明らかである。some, any, no の各系列の語はそれぞれ別語であって、意味も用法も別である。それが、たまたま、上記のような説明が成り立つような文脈に用いられることが多いというのに過ぎない。このことを念頭において、some, any, noのそれぞれの持ち味を知ることが大切なのである。 (p. 61)
という言葉を反芻したい。someとanyに関しては、英文ではあるが、
- D.キーン、松浪有『英文法の問題点』 (研究社、1969年)
のpp.2-9での記述を若い先生方にも一度は通過して欲しいと思う。
牛久氏の取り上げている “Will you …?” はその依頼としての発話に対する応答なので、直接、氏の記述に関するものではないことをお断りしておく。中学段階で決まって取り上げられるこの「依頼表現としての Will you …?」ではかねてより「丁寧さ」が気になっていたが、毛利可信『動詞の用法 (下)・教室英文法シリーズ4』 (研究社、1960年) を再読していて、ようやく腑に落ちる説明を得たように思う。
(c) 命令・依頼のwill: 前項 (b) の we will = let’s において、willと命令の関係の一端がうかがえる。let’s < let us は元来「〜となるべし」という命令であり、willであらわされた、意志の表現は、いわば命令事項を、いうまでもなく、実行する意志があるものとして表現したことになっているからである。
日本語で、「いい子だから、あしたは早く起きます、ね」などという場合をとってみるとその関係は明瞭である。「早く起きてほしい」ということを、命令の形を借りないで、むしろ相手が自主的に決めたこととして表現していると言えよう。You willが「緩和された命令」を表すということは、このような心理から説明できるのである。
- Helen, Dick and John, you will sit on this side. --- Sun II, p. 27 (ヘレン、ディック、ジョン、君たちはこっち側に座るんですよ)
依頼勧誘の公式 will youはこれを疑問文にしたものである。
- Will you come to tea? --- Sun II, p. 26. (お茶をあがりませんか) [用意が出来ている場面]
このWill you …? は「…してくださいませんか」と訳すのが、定式のようになっているが、その心持ちから言うと、上述の理由から「あなたはお茶にしてくださいますね」というのに近く、日本語で、否定形で「…してくださませんか」ときくよりも、ずっと積極性がある。 (p. 83)
私が教壇に立つようになったのは1986年。1960年代、70年代に既に、「学習英文法」に関する良質の概説書、指導書があったということをベテランの先生方から積極的に発信、発言していって欲しいと思う。
このブログではほぼ常に批判の対象となる「夜郎自大」雑誌といえば、『プレジデントファミリー』 (プレジデント社)。6月号の特集はいつになく扇情的なものとなった。
千葉大学の大井恭子先生のコラム (「日本の英語教育に、もっと『書く力』『考える力』の訓練を」 、p.71) がなければおそらく買ってはいなかっただろう。
記事を通してみていくと、英語教育界でも影響力のある大学の先生方があちこちで登場しているのだが、購買層の家庭・子女にとってイメージを持ちやすい一般人の「証言」は定性的なものばかりが集められている。データとして示されるのはベネッセなど、外部機関が行ったアンケート調査。
文科省の担当者にコメントは求めているものの、現行の指導要領や新課程の問題点を特集で浮き彫りにするのではなく、「それでいいのかなぁ」程度の扱い。
結局、その文科省に対してパブリックコメントを送ったりすることのない、「公立に行く子はいいのだろうけれど、うちの子はそれでは嫌だから少しでも良い学校に」という、一般的なこの雑誌の購買層に対して、正しい情報が届いているのか、きちんとメッセージが届いているか、私の方に不安が残った。
『英語教育』のフォーラムでこの『プレジデントファミリー』の特集が取り上げられる可能性は低いように思う。英語教育の現場担当者たちは、こういうものに対してきちんと反論しないがために、一方的に土俵を狭められ続けているだけでなく、このような「世間」の声を利用する文科省や教育行政によって、自分の後方からも弾が飛んでくることに早く気づくべきだ。
妻が珍しく料理に失敗し、遅い夕飯と晩酌。かねてより評判は耳にしていた銘柄。いただきものではあったが、食中酒としてのクオリティの高さに驚く。人の繋がりに思いを馳せ、就寝。
本日の晩酌: 水尾・純米吟醸・金紋錦49%精米 (長野県)
本日のBGM: 君は天然色・original basic track (大滝詠一)