荘享陽でも王小余でもなく

連日学校の生き残り戦略を担う会議。
私自身、まだまだ県内の公私立高校さらには中学のパワーバランスやヒエラルキー、はたまたダイナミズムがわからないので、歯痒い限り。私の方からの提案は、結果が出るまではアピールしつづける一方できちんとデータを整理すること。
高大連携も考えるべきだし、中学校への出前授業も断られようがお願いするべきだろう。今考えているのは、中学校の英語の先生を対象とした研究会。この人の話が聞きたい、この先生の授業観・教育観を自分でも共有したいという「人」を読んでくるのが大変だけれど。
そんな絵に描いた餅を愛でている一方、授業は低調。
普通科は疑問文の復習で1コマが費やされた。授業で示した手順を自分のものにしているのはクラスの1/3位か。安易に「わからない」とか「できない」とか言う生徒の目線に簡単に降りるのは慎重にしている。まずは、クラスの上位者の意識改革。「過去の物差しで自分の未来を計るな」と言っておいた。学びのダイナミズムがこの教科書では作れないのだなぁ。新年度の1年生は私の意向が強く反映され新教材になるのだが、chemistryはどうだろうか。
進学クラスは過去完了の自己表現活動をグループワークで。教師が楽をしていると言えばそれまで。基本手順は過去ログの過去完了とほぼ同じ。状況設定を考え、日本文を書き、時の流れの図式を描き、次のグループへ回す。日本文と時の図式を元に英訳し、次のグループへ。そこまでの流れを見て英訳修正バージョンを書いてホームグループに返却。ここまで終えてから30年くらい前の中学生向け英文法参考書の過去完了の解説ページ、20年くらい前の高校初学年向け学習参考書の過去完了の解説ページ、最近の私立進学校の授業用プリントが教材になったものの過去完了の解説ページをそれぞれグループで読み合わせ。時間を区切ってローテーション。計3冊の解説と例文を読み、自分の理解と摺り合わせる。自分で日本語を用いて想定した状況設定の段階でのミスから英語に訳す際のミスまで明確な段階があるわけではない。ただ、日本語の発想の段階で英語での世界の切り取り方に寄りそえることが肝要。和文英訳を目の敵にしても、学習者のほぼ全てが日本語で思考している以上、建設的な解決にはならない。これは、絵や写真を使ったところで同じ。その映像やストーリーを「ことば」で解釈している以上は日本語での思考過程。和文和訳というブラックボックスを放置して「そのうちに勘が働く」と気休めを言ってもダメ。こういう部分は昔の方がボトムアップの手順がしっかりしていたように思う。やはり、授業の中で誠実に扱うしかないのだろう。作業の間は2月の歌を流しておいた。今回の曲は、仮定法を扱った時期に仮定法が盛りだくさんということもあり、概ね好評。
進学クラスの教材も、新年度は私の意向を大きく取り入れてもらった。どんな教材を採択しようと、結局授業が全て。教師と生徒、つまりは「人」である。教師の側に限って言えば、単なる教材配当、進度表ではないシラバス作成、英語力の発達段階を議論する必要がある。しかしながら残された時間はそれほどない。
本業の練習では地元Y大チームとA高校からのフィードバックを元に、旧知のS氏にメニュー作成をお願いしている。まだまだ「エグさ」のェの字も出ていないが、それでも成果は現れている。今年は成年チームの監督になりそうなので、関東で活躍する大学生の動向・コンディションも把握しておかねばならないため、頭が痛い。自分のチームが一番後回しか…。
バレンタインデーということで、途中で妻にケーキを買って帰る。安心して食べられることが嬉しいというのも変なものだ。そういえば、以前住んでいたところからほど近い北与野でオペラのおいしいケーキ屋さんがあったなぁ。流石にもう口にする機会もないか。
同窓で元同僚、りばそん氏のブログを覗いてコメント。人柄と知性の幅というか感性の奥行きというか、豊かな言葉に出会えるブログだ。自分でコメントしたので思い出して、
『袁枚』アーサー・ウェイリー著、加島祥造・古田島洋介訳(東洋文庫、平凡社)
をパラパラと。その中の袁枚の詩「我が筆は老いることがない」の冒頭を引く。(アーサー・ウェイリー英訳、加島祥造和訳)

  • 詩が出来るということは、/ 私のなかの花が開くことだが、/ その数が多すぎると、/ 小さな花しかつけない。

さてさて、崖っぷちで咲く私の花はどんなものになるだろうか。
本日のBGM: 助けて!フラワーマン(Bo Gumbos)