英語『脳』より英語『能』

英語の学習方法で最近、音読が流行りである。シャドウイングという用語も認知されてきた。音読筆写という言い方もかなり広まっている。英語学習教材や雑誌で、「英語脳を作る」とか「英語耳を作る」などというコピーも目につくようになってきた。音読の効果は多くの学習者が実感していると思われるが、その効果の根拠として、「脳科学」などが出てくるとき、その科学の関わり方に対して私は慎重でありたいと思っている。
最近では流石に、「日本語の処理では左脳しか使わないが、英語の処理では右脳を使う」などという事を信じる人はいなくなっただろうが、「音読で脳が活性化する」といわれると、「活性化」=「諸手をあげて歓迎すべきこと」というとらえ方をしてしまうのではないだろうか。
東北大学の川島教授などが進めてきたfMRIを利用した研究では、脳の血流量を、神経細胞の活動と相関があるものと見なすことによって、「血流量の増大」=「神経細胞の活動の促進」=「脳の活性化」という説明なのである。川島教授の言によると、「単純計算や音読、他者とのコミュニケーションの行為が、左右の大脳半球の前頭連合野を活性化し、脳機能を発達、改善させる」ということなのだが、本当に問題なのは、脳機能の活性化の結果、「より複雑な計算が速くできるようになる」のか、「より長い複雑な英文の聴解能力が向上する」のか、「コミュニケーション能力が向上する」のだろうか、という部分である。音読によって血流量が増大した脳の映像をfMRIを通じて見せられると、脳はがんばってるんだなあという気にはなるのだが、それってコンピュータでいうと、CPUの稼働率が高くなって、その他の作業に割く余力がない状態なんじゃないのか?と少し心配になる。コツをつかんで、いちいち適用すべきスキルを探し出さなくてもよくなった活動は当然、より少ないCPUの稼働率でこなせるのではないだろうか?前頭前野がフル回転している状態というのは本当に喜ばしいことなのか、その部分の解説や説明、裏付けが聞きたいのである。
この分野に詳しい方の情報をお待ちしている。