Rehearsing for what?

体育祭の予行のために、午前中3時間授業。代休分の火曜日振り替えなので、私は一コマのみ。
高2の英文吟味の続編の解説と語学の基本姿勢について。
続編の解説の前に、その前の回に扱った問題文(本当に「問題のある」文だね)のうちのひとつにあった、realizeは本来recognizeとなるべきものであり、そのrecognizeの用例を確認すべく、コーパスの使えない環境にある高校生は、学級文庫の英語辞書を活用すべし、ということで、教室の後ろの棚(テーブル位の高さになっている)の上に辞書の該当ページを私が拡げて易〜難へとずらーっと並べて、メモを取らず、ひとつ読んでは覚えて自分の席に帰ってくる、面倒くさい課題を課したのであった。
で、本時。

  • 昨日は、recognizeはどんな時に使われるのかを複数の辞書を横断して見たわけだが、では、おかしな使い方といわれた realizeの方はいったいどんな使い方なのか、同じように、複数の辞書で横断してみた人は?

と問うた。
挙手をした者、ゼロ。
効率の問題ではないのだよ。自分の学びはどこにあるのか?学んでいる自分はどこにいるのか?
目の付け所、ことばへの興味関心、知的好奇心、学ぶという基本姿勢、そのことごとくで、いつまでたっても「きづき」、内省が育っていかない危惧を持った。この問題文の収録されている教材の酷さももちろんなのだが…。
1−100までの項目のリストを誰かから渡されてそれをコツコツ順番に覚えていく、という学習が苦手だった者が、項目1000のリストを渡されても、苦手には変わりはない。自前のリストを10なら10、20なら20作る中で、自分のことばをしっかりと意識し、自分の居場所を作る。そのリストに学習の過程で肉付けをしていき、20を40,40を80,80を160としていくことで、人様から与えられた100を超える。そこから、荒波だろうが、大海原だろうが、1000に向かって漕ぎ出して腕を磨く。Comfort→confidence→competenceというのはそういうことなのではないか、と最近では考えている。
続編の解説を冷静に終えて、この問題文ともおさらば。頼むから、良い教材を世に問うて下さい。

早めの昼食を経て体育祭リハ。教員も総動員。
生憎の夏空。
おきまりのラジオ体操。下手、というか身体のリズムの悪い者が本当に多い。こりゃ、体育の先生は苦労するだろうなぁ。
英語教育フォーラムのレジュメを作り直し。7時過ぎに帰宅。曜日感覚が今ひとつ。
昨日、編集者の人とメールでやりとりした、国語辞書にも収録されている、ある用語について考えていた。私のこだわりはおそらく世間の人とも、英語教師とも共有できないものなのだろう。出口無し。
今日は大江千里の誕生日だった。

本日のBGM: Playground (XTC)