「一度だけならまだ…」

生業の二学期平常授業も終わり、成績も出て、高3の担任はなかなかに気の重い時期ですが、「真冬のそよそよ大作戦」くらいの気合いで乗り切ろうと思います。

今回の2学期期末試験では、私の授業では定番のobituary からの出題をしています。
今回は十世(十代目)坂東三津五郎。
昨年度は勘三郎と団十郎の対比でしたが、今回は三津五郎を取り上げた二紙の比較です。

高3追悼文出題例.pdf 直

不謹慎に映るやも知れませんが、「追悼文」というのは、時系列での記述、人物描写、近しい人の談話紹介などなど、英語の運動性能を体得する格好の教材だと思います。今回の出題も、単純な空所補充完成ですが、どこを空所にしているのかというところに意味があります。その意味に気づいて自分のことばの運動性能向上に繋げられれば、同じ学びの時空を共有したと言えるでしょう。身体知となったことば、頭からからだに降りてきたことばを通じて、目の前の人から何を学ぶか、ということでもあります。

自分のカンチガイから中3の冬以来数年間、TIMEを定期購読していましたので、著名人のobituaryや追悼特集号は十代の頃から集中的に集めてまで読んでいました。今の私の英語力を下支えしてくれていると思います。

日本語で書かれたものですが、こんな本もあります。

  • 鶴見俊輔 『悼詞』(2008年、SURE)


前書きの如く詞が書かれています。本来は縦書きなのですが、こちらに引用します。

人は
死ぬからえらい
どの人も
死ぬからえらい。


わたしは
生きているので
これまでに
死んだ人たちを
たたえる。


さらに遠く
頂点は
あるらしいけれど
その姿は
見えない。

本編でどのような方たちのへの追悼文が収められているかは、是非ともこの現物を手に取って読んでいただきたく思います。

お問い合わせは
編集グループ〈SURE〉 へ
http://www.groupsure.net/post_item.php?type=books&page=tsurumi_toushi

読んで見て「おもしろい」というだけなら、このような切り口もあります。

  • 文藝春秋編 『私の死亡記事』(単行本2000年刊、文春文庫2004年)


既読の方には言うまでもないことですが、「死亡記事をまだ存命中の本人に書かせる」という企画です。

「はじめに」から抜粋します。

死を考えることは生を考えることです。人の業績や人生上のエピソードは、つねに同時代のまわりからの評価にさらされ、それを集約したかたちで、死亡記事や人名事典の記述がなされます。それをもって『客観的評価』とされ、私たちはあまり疑問を抱きません。しかし本人がどう思っているかは別問題です。また人物やその作品、業績の評価は、時代と共に変化することはご承知の通りです。それならば、いっそご本人にその作品や人生について書いていただければ、時代を隔てても価値をもつ貴重な資料になりうるのではないかと考えたわけです。

解説の内容に関しては一切おまかせいたします。死亡記事であることを常識的にお考え下されば結構です。したがってご執筆は三人称でお願いします。お名前、生年月日、出身地、現在の肩書きは事実をお書きいただきたいと存じますが、没年(架空)、経歴、代表作などはご判断におまかせします。既成の死亡記事の形式にこだわる必要もなく、望ましい死の状況描写、今後(死に至るまで)の業績、辞世の句や歌、最後の言葉なども考えられます。

一読してお分かりのように、編集部からの執筆依頼文です。

単行本刊行後4年で、文庫化されています。新たに十二名が執筆。その間に、6人が故人となりました。




「代表作や業績」というものを三人称で客観的に書くのは、第三者でも難しいものです。

  • 片岡義男 『彼女が演じた役 原節子の戦後主演作を見て考える』(早川書房、1994年)


は異色ではあるけれども、優れた日本映画評ともなっています。原節子さんがお亡くなりになられて、メディアは色々なかたちで原節子という女優を「描写」していましたが、片岡氏のエピソードを引いているにも関わらず、この著作に言及していない某メディアには驚きました。

かなり長い「はじめに」から引きます。

『東京物語』は、現在の日本人たちが遠く忘れ去った、かつての庶民の生活哀感を正確に描いた物語だ、とよく言われている。その証拠の手近なひとつは、僕が勝ったヴィデオのパッケージ印刷してある、次のような案内文だ。その短い文章のタイトルは、小津安二郎の代表的名作、老夫婦が巡る哀愁の旅路、となっている。

  • 地方から老いた夫婦、周吉ととみが、成人した子供たちを訪ねて、上京する。しかし子供たちは自分の生活で精いっぱいであり、両親を歓待するのは二の次となってしまう。(中略)

ほんとかなあ、と僕は思う。もっとも見えやすい外側だけをとらえるなら、『東京物語』という映画は、おそらくこのとおりなのだろう。しかし、本当はもうちょっとちがうのではないか。この映画は喜劇だ、と言うことは無理なく出来るけれど、そう言いきっておしまいにしてしまうことには、確実にためらいが残る。不思議な映画だ、という感想はそこから出て来る。(pp.8-9)


冒頭の試験の話で、坂東三津五郎の追悼文を使ったことを書きましたが、こんな本を学級文庫には入れています。

  • 八世 坂東三津五郎 『新版 聞きかじり見かじり読みかじり』(三月書房、2000年)


追悼文で扱われた十世 三津五郎の祖父、八世 坂東三津五郎によるエッセイ集です。
十世は当時「八十助」で既に人気者でしたね。

エッセイ集のはじめに八十助が「祖父の思い出」を語っています。

芝居の世界で十八、十九というと、ようやくこれから本当の意味での役者修行が始まる年で、まさにこれから博学の祖父にいろいろと教えて貰わなければならないところでした。ですから肉親を失ったという以上の本当の意味の悲しさ無念さを味わったのは、しばらく経って仕事に専念したときでした。

幸い祖父はこの本を初めとして、多くの著述を残してくれているので、死後二十四年経った今でもその教えを知ることができるのですが、肉声で生の肉体を通して芸を伝えてもらえなかったことは残念でなりません。 (p.10)

本編の八世三津五郎自身のことばから少しだけ。

聞きかじり読みかじりは知っているが、見かじりという言葉はあるのですかと聞かれたが、私たちは清元の『子守』の中に、

  • ほんに思えば後の月、宵庚申の日侍の夜、甚句踊りや小唄節、多くの中にこなさんのお江戸で言わば勇肌、好いた風じゃと背戸屋から見かじり申してなまなかに…

と子供の時から使っているから何とも思っていなかったが、さてそれ以外に今ちょっと例を思いつかない。そこで大言海、広辞林、広辞苑その他の辞引きを引いてみても出ていない。大日本国語辞典、言泉にもない、ただ一つ平凡社の大辞典にだけあった。

見齧る---うわべだけ見る。一部分を見る。として用例が一つ載っていた。これで安心した。私たちが平気で舞台で使っている言葉も辞典類にない言葉によく出あう。 (「見かじり」、pp.300-301)

この引き方では、一寸齧っただけの半可通と言われそうですね。

もうすぐ母の命日なので、こんなことを考えていました。
今年は躊躇わずに赤を身につけようと思っています。


本日のBGM: 悲しいしらせ(Moonriders from 『謀らずも朝夕45年 Keiichi Suzuki chronicle』)