Is silence really golden?

ウインタースポーツの華とは言え、「フィギュアスケート」は今では完全に「屋内競技」なので、「冬真っ只中」という感じは薄いかもしれない。

一方、「入試シーズン」は真っ只中。
大学入試の問題だと、センター試験の問題と正解と講評は全国紙といわれる新聞紙上で目にすることができる。私の住む地域だと、地方紙に、その地域の有名大学の問題が掲載され、その解答は地元の予備校が担当しているようだ。高校入試の場合もほぼ同じで、地域版に地元の公立高校の入試問題が掲載されるだろう。ただ、その解答は「公表」、つまり、県教委などの発表する「公式」の情報であるところが最大の違いだろう。

センター試験に関する私のコメントは過去ログにあるので、興味のある方もない方も是非、他では見ることのできない指摘をお読みいただいた上で、「英語のテスト」というものについて改めて考えて欲しい。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150118
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150120

内部のリンク先も面倒でもご覧になることをお勧めします。

個別試験での「ライティング」に関しては、こちらを。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150129

そうは言っても、大学入試を受験する高校生は多くて約半分。残り半分の高校生には現実味は薄い。この残り半分の高校生を教えている高校の先生にも現実味は薄いかというと、このあたりがちょっと微妙で、公立校に勤めていると「人事異動」で、ある年からいきなり「切実な現実」として迫ってくることも考えられる。まあ、どう対処するか決めるのは教師自身なのですが。

それに対して、現在の高校進学率を考えると、高校入試は90%強の中学生にとって大きな意味を持っている。推薦入試での合否判定に「英語のテスト」が課されないとすると、実際には7−8割の中学生が「入試での英語のテスト」を経験していると見ればいいのだろうか。

このブログでも、昨年は、大阪府の「府立高校入試改革案サンプル問題」を二回にわたって取り上げた。こちらのエントリー内にあるリンク先からどうぞ。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150104

その前には、現行の入試問題の例として、首都圏入試の中から、昨年の千葉県の出題を取り上げて批評した。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20140305

その千葉県の、2015年度入試の前期試験が東京新聞で公開されていたので、読んでみたのだが、愕然とした。二問取り上げる。

第六問は「絵を見て、対話を完成させる」という問題。

http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/15/cba/cba1/cba-en/en_5.html

場面設定が謎。

千葉の公立中学校は私服?いや、これは中学生ではなく高校生の設定?
千葉県の公立中学校は「学校給食」ではなく、お弁当持参?いや、そもそも高校生の設定?
中学生なら、自転車通学ではヘルメット(ヘッドギア)着用では?すると、これはやはり高校生?
徒歩通学なら家と学校の距離は近く、自転車通学はそれなりに遠いはず。では、このコンビニ前でその二人がなぜ一緒にいるの?
自転車を押して歩いているということは、このコンビニは、学校のすぐ近くにあるということ?
そもそも、中学生は登下校でコンビニに入ってもいい?

もっともらしい「場面設定」などやめて、絵だけ見せて英語で描写させた方がよほど「どのくらい英語が使えるのか」が分かると思うのだが…。

まさか「この自転車は実はパンクしている」とか「チェーンがはずれた」ので押している、という場面ではないだろうと思う。
「このコンビニはもう潰れているから中に人の姿が全く見えない」とか「まだ新規開業前で、営業はしていない」とかがあり得るか?
コンビニの店名「XYZ」に実は隠れたメッセージが込められている?
Examine your zipper! で「社会の窓」を確認する?トイレで緊急避難?

冗談はさておき、設問の検討を。

まず、Yutoは、「弁当を忘れた」という事実しか発言していないことが気になります。独り言ですか?それに対して、「空気を読んで、当意即妙の適切な応答を20語前後の一回の発話で言い切る」というのは中々に高い技量を求められています。

忘れたことに気がついた次の選択肢として考えられるのは、

  • 「弁当を取りに帰るのか帰らないのか」

取りに帰るなら、徒歩で遅刻を覚悟か、遅刻をしたくないので、自転車を借りるか。ということで、Jasonは「自転車」に乗っていたのでしょう。でも、どこでYutoと合流し、どこからどのくらいの距離と時間を自転車を押して歩いているのかが全くわかりません。そして、もし、徒歩にしろ自転車を借りるにしろ、弁当を取りに帰るのなら、遅刻にならないように時間を確認するはずだと思うのです。そのためには、「今何時?」ということ以上に、Yutoの家は学校から歩いたら何分で自転車なら何分なのか?という「物理的条件」が大きな意味を持ってくると思います。

取りに帰らない、という判断も「アリ」でしょうし、その選択肢を選ぶことも考えた上での「コンビニ」という設定なのでしょう。
「帰らない」という判断を下すならば、次の選択肢は、

  • 「昼食は食べるのか、食べないのか」

いや、「アリ」でしょう?「今日は昼食抜きだ」でもいいわけですから。
「食べる」なら、「買う」か「もらう」か、ともう一つ。お弁当を「届けてもらう」か。
「買う」なら自分のお金で買うか、借りて買うか。
「届けてもらう」には誰かが在宅で、時間に融通がきく事が前提。そして、おそらくは電話かメールでの連絡が必要。

「食べない」なら、問題は少ないが、「そもそもその弁当を誰が作ったのか?」というところに「問題の要因」はあるかもしれません。

  • 「母さん、せっかく作ってくれたのに、忘れてごめんね」

とかを気にすることは現実的に考えられるでしょう。

私が考えた解答は、

Yuto, go and get the lunch your mother made for you. Only 15 minutes to go now. Use my bike. (20 words)

だったのですが、解答を書いているうちに、もっと、「そもそも論」に戻ってしまいました。

  • the table

って、どこのテーブルなんでしょうか?

On the table? Right? Then, which table? The kitchen table? How many other tables do you have at home? (19 words)

って、身も蓋もない応答ですね。でも、これって、もし「電話で家の人にお弁当を届けてもらう」となれば必要な確認ですよね?

ここまで読んでいる方の中には、

  • 何故そんな突拍子もないことばかりを考えて、あら探しをしているんだ?!

と訝しく思う方がいるかもしれません。では、そういう方にお訪ねします。
この設問は、いったい、英語で何ができることを確かめようとしているのですか?

  • 「発想力」?

でも、それって、「英語の試験」で評価すべきことですか?
だったら、むしろ国語の試験でやった方が、ことばの壁に阻まれずに、柔軟、大胆、繊細、その他個性豊かな「発想」に出会えることでしょう。

  • 「和文英訳」ではありません。

ということで、この「絵」を使った設問にしているのかもしれませんが、「英語力の弁別」には殆ど機能していないどころか、「英語でのコミュニケーションスキル」の高い者ほど、何を言えばいいのか、出題者の要求がわからず、戸惑うのではないでしょうか?

もう一題、第7問の (3)。PISA型読解力からの流れなのか、TOEIC的な試験に近づけようとしているのか、こんな「現実的」な「英語の使用場面」を模した出題です。

http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/15/cba/cba1/cba-en/en_7.html

この設問で診たいのはどんな「英語力」なのでしょうか?
内容理解を問う選択肢の作られ方に凹む以上に、"Sweet Sixteen" に、こんな注釈をつけなければならないような話題を選んだことが悲しいです。

こんな「北米の特定の価値観」をもとにした内容理解を入試で扱う必然性などないでしょう?
そんなところで「ポップでガーリーな話題」を取り入れるよりも、英語のテストとしての要件を満たすことを考えるべきです。
もう、ギャグにしか思えません、ギャグ。
英語の「招待状」の注に、invite = 招待する、attend = 出席する、ってあるのですから。そこに注付けないとわからないものを「見せて」テストしようというのですから。
そもそも、inviteやattendがわからない受検者が、設問・選択肢に使われているcelebrate を身につけていると思える根拠を知りたいですね。「何社以上の教科書に載っているから、注は不要」とかやっているんでしょうね、きっと。

北米の英語ネイティブのことばの発達段階を伺う資料として時々参考にしている、Children's Writer's Word Book によれば、invite とattend は3年生、 celebrate は4年生の動詞となっていますね。

その前の「絵による対話文完成」といい、「招待状」といい、このような

  • 「教室やテストに、現実の使用場面の劣化コピーを持ち込む」

ことによって、結果として、学習者・受験者のコミュニュケーション能力は向上したのでしょうか?そこまでは結びつかないとしても、その「素地」「土壌」や「態度」「感性」は豊かになったと言えるのでしょうか?

私には、「コミュニケーションスキル」というものをあまりにも「皮相的」に捉えた言語観に思えてなりません。それどころか、この作問者は、「コミュニケーション」というものをハナから信用していないのではないかとさえ思えてしまいます。

全国的な『英語教育雑誌』で、このような視点から「入試」が語られることは殆どありません。各種の「学会」でも同様でしょう。
「英語教育改革」の中身で、いつの時代も取り沙汰されるのが、この「入試」です。

今や「外部試験の活用」に関する議論が囂しいのですが、その改革・改善を唱えている方たちが「見ているゴール」は、実際に英語を学んでいる中学生、高校生の目の前にある「課題」、「英語との付きあい方」とあまりにもかけ離れてはいないでしょうか?

確かに改善点は多いだろうけれど、「英語ができる者は高得点を取れて、英語ができない者が点を取れないのだから、テストの信頼性の方を見るべし」という意見にも一理あります。でも、「せいぜい一」だと思います。その場合の、

  • 試験と対比し得る、「英語ができる」という基準はどこに置かれているのか?

という問題です。
「このようなテスト」対策が、学校内外で日々の英語学習を「食み」、ことばへの気付きや感性の優れた者が次第にそっぽを向くことで、試験を受ける前に不必要に予備的に「受検者層」は弁別されているのではないか、という危惧を現場の教師として感じずにはいられません。

私も都立高校で15年、私立高校で6年働いていましたから、首都圏入試事情も少しは理解しています。地方都市と違って、公立校の高校入試は私立に比べて影響力が小さいのかもしれません。
それでも、高校進学率が97%程度の現在、推薦入試での進学者を除くとしても、教科の試験の持つ意味、中学校への波及効果は依然として大きいと思います。

中学生、保護者、中学校の先生方、そして高校の先生方が、自分の住まう地元の入試問題に「物申す!」というのはむずかしいことであろうこともわかります。
であれば、もう少し視野を拡げて、他地域の高校入試を契機に皆で考えてみてはどうでしょう。お互いに批評しあう、風通しの良さを求めてはどうでしょう。

自校入試に関しては、ここで少し取り上げています。ご笑覧あれ。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150205
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130128

本日のBGM: Pidgin English (Elvis Costello & the Attractions)