酔狂

先週の日曜日は、市内の研修施設で行われた、畠山重篤さんの講演に妻と二人で出かけてきました。行って良かった。300名収容の会場はほぼ満席。私よりも年齢が上の方が目立っていました。
畠山さんは、牡蠣養殖家を経て、NPO法人「森は海の恋人」の理事長をされています。
このような分野、テーマは「パーマカルチャー」を学び、その生き方を実践している妻の方が、私より遙かに詳しいのですが、その妻も概ね納得して帰ってきました。
「森は海の恋人」というスローガンを作るまでのエピソードで、「プロジェクトには詩人を入れないと上手く行かない」という件に大きく頷きました。そして、そのスローガンの英訳である、”The forest is the partner of the sea” に辿り着く契機となった、皇后美智子様の助言での “long for” のエピソードなど、心に届き、人を動かす「ことば」について改めて考える時間ともなりました。
講演後はサイン会。
会場ロビーで販売している、畠山さんの著書や翻訳本などを購入してサインをもらうという流れだったようですが、私は講演前に購入していた、

  • Grandfather Oyster and Shigebo (カキの森書房、2012年)

にサインしてもらいました。講演では、「教科書に取り上げられて、みんながいいことだと教わっている取り組みを壊すことはできないでしょう?」と、「教育」の重要性を再三指摘していました。その中で、畠山さんたちの取り組みは、来年からの高校英語の教科書でも取り上げられる、とのことでしたが、

  • 現行版の教科書でも、「三友社出版」の英語IIの教科書では、取り上げられているんですよ。

とお伝えしておきました。発行部数が多くないから、ご存じないのでしょうかね。

海の話しを聞いたことも作用して、帰宅後に、回転寿司へ。
ちょっと高めの価格設定の店でしたが、ロボの握る、お米が熱い回転寿司ではなく、ちゃんと「人」が握ってくれるところというと今では選択肢が限られてきますね。

週が明け、奥歯の痛みは小康状態。
期末テストは、自分の担当科目が終了。悲喜交々。これもまた、自分の実作。自分の蒔いた種。豊かな海の恵みを受けるには、豊かな森の実りが必要。
さて、
某所でも呟いたことですが、こちらでも。
教科書会社が教科書を作って売るのは当然。そして、その教科書の教師用指導書 (TM) や関連DVDを販売するのもまあ、頷けることです。
しかし、 ものの喩えですけれども、教科書を作ってそれを販売し、その指導書や指導DVDを販売するのではなくて、その指導法をセミナーで切り売りするようなことが本当に「英語教育」の実践、普及、啓蒙と言えるのでしょうか?「商売」としては全くもって合目的的ですが、そんなことを「英語教育」だなどと称するのは、いい加減やめにしたらどうなのだろうか、と思います。
流行が変わるたびにそれを追ったり、カリスマをあちこちに見つけては彼ら、彼女らを真似たりするのではなく、目の前の生徒をみて、泥臭く、悩み所では悩み、迷い所では迷える人こそが宝でしょう。
偏差値やスコア、そして自分のキャリアも含めて上に登る (昇る) こと、高みを目指すことしか考えていない教師や、受験での実績のように限られたパイの中で、何人増減したなどということを目指す指導者だけが舞台に上がっているうちは「英語教育」は何も変わりはしないのではないかと思います。
傍目で、

  • 「自称」ならまあ、いいでしょう。「称賛」されることはないだろうし…。

と思っていたら、あらあら、という感じ。「勝算」のある戦いにしか参加しない人を「勝負師」とは思えないし、「指導者」として同列で語ってもらいたくはありません。
中教審では「有識者」が招集され、その多くは大学人。専門家なので、そういうことになるのでしょう。でも、文科省の中にいる「お役人」で、いろいろな肩書きが付く中高英語の施策を作った人たちが、数年後気がつくと、大学の先生になっていたりするわけです。地方自治体の指導主事も似たようなもので、その後、現場に戻るといっても教頭や校長での管理職。中高現場に戻って、自分が作った「施策」を、その後自分自身が率先して教室で実現してみせようという骨のある人を見たことがありません。
一度高みに登った人たちは、「降りていく」こと、「地を這う」ことを潔しとしないのでしょうか。遺族には申し訳なく思いますが、上を向くのは天国の九ちゃんに任せておけばいい。涙がこぼれようと、目の前の現実から目を背けてはダメでしょう。教室では、Here & Now、目の前の実作こそが一番大切なのですから。
音読・暗唱・自動化が好きな人もSLAの知見に学べばまた新たなものが見えるだろうし、最新のSLA命の人も、高校の底辺校・困難校の再入門に応用するとしたら何が出来るか、創造力が働けば強みになるように思います。唯一絶対のモデルを喧伝したり求めたりするメンタリティからまずは自由になることから。
私の本業の世界では、次のように言われることがあります。

  • Rowingに特定のheroは要らない。ただ、rowingは、どこまでもheroicなスポーツである。

その精神たるや正業にも宿れかし。
旗を振る人を追いかけて猛進するのは盲信に繋がりやすいので要注意。
自分の振る舞い、言動に酔ってしまうのは論外だけれど、「時代」とかよく分からないものに意識だけ高揚されて気持ちよくなっていたりすると、その酔いから覚めた時が怖いですから。

本日の晩酌: 三千盛・純米大吟醸・五年熟成・朋醸・45%精米 (岐阜県)
本日のBGM: Down Down (トクマルシューゴ)