「力を抜くには時間がかかる」

卒業式の翌日の最終授業を経て、土曜日の今日から高1、高2の学年末試験スタート。

早朝、出かける前にビートニクスのライブを観てマインドセット。『ある晴れた日に』の高野さんのアコギが凄く良い。佇まいが自然で衒いが無く、若い頃のJTに見えた。

テストは高1の商業科と、進学クラスの英語 Iが皮切り。
商業科の方は、試験前に、インフルエンザによる大量の出席停止者もいたので、範囲は短め。授業で扱った、free substitution drillを活かして、英文を書かせる出題を増やしてみた。
進学クラスの方は、少人数ならではの個別選択問題を4割ほど含む問題。中間期末など定期試験をしなくても、生徒の英語力は評価できているのだが、この選択問題があるので、「できる」生徒も、「苦手」な生徒も試験時間をフルに活用することになる。
前日の授業で「手書き文字」の注意をしておいたのが功を奏したのか、私の授業を受けていながら、普段かなり判別しにくい文字を書きがちな生徒が、非常に明瞭な文字で解答用紙を埋めてくれていたのが嬉しい。担任にも報告。前時に話したときのまとめはこんな内容。

中1で最初に単語の綴り字を教わる時には、かなりの時間を掛けて、文字を綴り、文字と文字の繋ぎ方を練習し、語を発音し語を綴ってきたはず。boyとかdogとか、bookとかfoodとか、putとかcutとかcatとか、girlとかturnとかいった基本語でさえ、発音と綴り字と定着するまでには時間をかけた「はず」。で、高校へ。1年経って、『P単』も一回り以上が終わり、語彙が増え、発音・アクセント (強勢) ・綴り字の難しい語を相当覚えてきた今だからこそ、中1の入門期以上に、書く練習をしなければならないはず。適切なバランスで、一定の速度で書ける文字を身につけることが大切。

教室で配布した資料は、先日のエントリーでも紹介した、handwritingの指導では定番のもの。
準備室でこの話をしていたら、お子さんが小学校にいらっしゃる方で「外国語活動」での英語の指導や、中学生のお子さんをお持ちの方から聞く、英語授業での文字指導の話しなどが出てきて、一頻り盛り上がった。準備室には『ネルソン』のBook1からBook4までと、National Surveyが置いてあるのだが、「1文字の中でのバランス」、「文字の続け方と間隔」という観点で眺めてもらった。文字指導に時間をかけられる余裕のある教室の方が少ないのではないかと思うので、保護者として、自分の子供がどのような指導を受けているのか心配になるのは無理もない。
bやsの書き方、hとk、の書き分け、小文字のlのループなど、とにかく、「筆記体」という慣れ親しんだ用語で語られている「文字」が共有されていないことに気づくことが大切。数字の6と区別させるb、かけ算の記号との区別を求められるxを書かせる数学の先生からレポートされる、生徒の書く「文字」の実態はとても参考になる。そういえば、今は筑附中にいらっしゃる植野先生は、文字指導に関して、早くから算数で用いる記号の書き方と関連させた鋭い指摘をしていたなぁ。流石である。
英国でSasssonとかNelsonなどの定番の教材で用いられている文字と、日本の市販教材で用いられている文字が大きく異なることも、知っておく価値はあるだろうと思う。自分が生徒の頃に慣れしたしんだ「筆記体」や「ペンマンシップ」の感覚で、自分の子どもの文字指導に注文を出さないような配慮はできたのではないかと思う。まずは、等間隔の4線ペンマンシップ帳の使用を止めることから。
もう少ししたら、きちんとした指導手順を踏まえた概説書と教材を世に問いますので、今しばらくお待ち下さい。

高2ライティングの試験問題を印刷して帰宅。

途中で、駅によって、新幹線の切符を購入。

仮眠を取って、オーラルコミュニケーションの作問。書き下ろしを一本。
本日の夕飯は、回鍋肉。塩麹につけた鰤のカルパッチョを晩酌用に作ってもらったので静岡の酒を合わせていただく。
娘は桃の節句らしさが無いことに不満なのか、妻にべったり甘えていた。

明日は、京都。

生き方が見えてくる高校英語授業改革プロジェクト
シンポジウム
「Intelligenceを高める英語教育を求めて」
http://www.ecrproject.com/55.html

普段、全然お役に立てていませんが、賛助会員のひとりとして成果を見届けたいと思います。

『齋藤秀雄講義録』から一節を引いて本日も早めの就寝。

人間っていうのはね、力を入れる時には急に入る。抜く時には暇がかかるんです。
なぜかっていうとこれは、ちょっとお見せするけれどね、これ、筋肉がこう入りますね。入れる時にはこう入るんです (自分の腕でやって見せる)。で、抜く時は手を離したって、しばらくたたないとこれ、抜けてこない。入れる時はふっと入る。だから、急にフォルテにすることは生理的に可能なんだけれど、急にピアノにすることは生理的に不可能なんです。だからそれを厳格に守れっていったら、人間の生理から外れちゃって出来ないって言うんです。
これはもう誰の筋肉を見たってね、入れる時はキュッと硬くなるんだけれど、抜く時はそんなに急には抜けないんです。そういうことを無視して表情を付けるとしたらこれは非人間的で、で、音楽が非人間的であるってことは、ある機械動作か何かして、曲芸みたいなことをして見せる時はいいんだけれど、当たり前の時には不必要なんです。 (p. 255)


本日の晩酌: 開運・純米・無濾過生・山田錦 55%精米 (静岡県)
本日のBGM: Girls Talk (Elvis Costello with Steve Nieve Live in Australia)