Father Christmas or the abominable showman

クリスマス寒波に負けじと、午前中3時間の課外講座。
ベースとなるのは、教科書の素材文を元にしたトレーニング系の授業です。「笑い」の要素はほとんど無いですね。
語句の仕込み、発音・アクセント、コロケーションを踏まえて、本文を見ながらの範読の精聴。
その後、自力で記号付け。
確認のために、日本語での質疑応答を通して要所を締める。適宜、英語でのパラフレーズを入れて、指示語が何を指すかの確認。今回難儀したのが、thatとit。クリアーできてから振り返ってみれば、この難儀が御利益となるので踏ん張り処ではありますね。
今回のthatは、

I dream of seeing great numbers of wild animals, jungles and rain forests, but will my children be able to have the same dream? Did you have to worry about that when you were my age?

で登場。ここでは、疑問文の内容を名詞節にして、「自分の子どもたち世代が、自分が今見ている夢を見ることができるのかどうか、ということ」を表すと読むべきところでしょう。
「英語は英語で」を金科玉条の如く推進しようという人たちは、このthatをどのように高校1年生の最初のレッスンで指導するのでしょうか?

  • When you were my age, did you ever have to worry whether your children would be able to have the same dream as yours?

と言い直して、原文より分かりやすくなるでしょうか?坂道で自転車を漕いで登っている時、傾斜が急でなかなか進めないのに、意地でも張るかのように地面に足をつけずペダルを踏み続けている場合ではありません。自転車から降りて押して登った方が速くて快適なのであれば、そちらを選択するべし。こういう時は、「母語」の助けを借りて、授業の優先事項にエネルギーを割いた方が健全でしょう。
さらに、難儀するのは、次の決めぜりふでの “it” です。

Environmental destruction is happening before our eyes and yet we think we still have time to find the answers to the problems. How can we fix the ozone holes? How can we bring salmon back to the dead rivers? Some beautiful forests are now deserts. If you can't fix it, please stop breaking it!

ここでのitが指す内容を問うて、最初に答えた生徒は、 “the ozone hole” で自信ありげでしたが、

  • 両方のitにthe ozone holeを代入してみて?

と私に言われて気が付いたようです。後者のitはthe environmentとかその代表的・典型的な例である the beautiful forestなどと捉えても問題ありませんが、the ozone holeは、the ozone layerの中でozone depletionがあっために薄くなっている部分を指して “hole” と形容しているわけですから、fixすることはできても、breakすることは難しいわけです。でも、日本語での日常のことばの使い方でも、

  • 自転車を直す / 修理する。
  • パンクを直す / 修理する。

というのはどちらも正用法として捉えているでしょう。ここでは、厳密には形式と意味の釣り合いが取れないものの、そこで言わんとすることを誤解する者はほとんどいないので、皆スルーしてしまうところですが、「代名詞のitは一筋縄ではいかないんだな」という感覚を持ってこれからも英文と接していけるかという試金石になりそうな文だと思っています。

高1レベルとはいえ、and やbutはきちんと「読めているか」を問うています。

Here you may be delegates of your countries. But really you are mothers and fathers, sisters and brothers. And each of you is someone's child as well. We are part of a large family, five billion of us.

まず、“But”は何と何を対比しているか?そして、 And … as well. では何と何が同レベルでの添加なのか?ここは次のパートへの伏線ともなっているので、重ね塗りの如く何度も行ったり来たリして足下を固めるところです。
一見して分かるのは、 “may be”という助動詞での可能性の査定と “are” での事実の提示です。<may … but> で公式化された相関語句のように読むことは薦めていません。では、なぜ、最初の文は may be で断定を避けているのか、ということになると、いろいろな要素を考慮に入れないといけません。授業では、地元であるリオの運営スタッフや、報道関係者も含めて、「大人世代」へのメッセージなので、areではなく may be と言っている、という私の解釈を伝えました。それに対して、続く文では、例外なく、誰もが誰かの親だったり兄弟姉妹だったりするので、事実として areを用いていると考えられます。それ以外の対比で何に気が付くか?ここが重要な箇所で、

  • delegates of your countries は publicでofficialな存在。
  • mothers & fathers / sisters & brothers はprivateでpersonalな存在。

の対比で捉えた時、Severnはどちらに重点・焦点を置いて、スピーチをしているのか?を考えさせました。
次は、And … as well.での情報の添加です。「同様に」と日本語に置き換えて済ませてしまうと主題に迫るのに苦労します。ここで私が指摘したのは

  • 『サザエさん』の一家をイメージせよ。

ということでした。このパートの冒頭で、Severnの語る「夢」を軸足にして、その前、その後と三世代の連なりを語ることで張られた伏線がここで生きてきます。次の文で、スピーチの後半部分のキーワードとなる “family”が出てくるわけですが、横のつながりに対して、縦のつながりの指摘となっていて、同世代の横だけのつながりだけではなく、次世代や前世代との縦のつながりも含めて “family” と言えるのだ、というメッセージが込められています。
「地球家族」などというのは、言い古された形容かも知れませんが、この「家族のメンバーの総体としてのwe」の感覚を共有することなしに、

  • We are all in this boat and should work together toward one goal.

を日本語に訳してもあまり意味はないように思います。

  • Why should we work together?

という疑問文に対しての答えは、 “Because we are a family.” だと実感を持って捉えられているか、ということでもあります。

次のパートの、冒頭は、

  • In my country we make so much waste. Day after day, we buy and throw away.

で始まるのですが、この出だしのイントネーション、卓立の置き方で、この前段の理解が現れる、という指摘をしています。この続きが、

  • And yet the richer countries will not share with the poorer countries. Even when wwe have more than enough, we are afraid of losing our wealth.

となっているので、「家族内格差」を踏まえて、そこに「彼我」の感覚を持ちながら、”in my country” を読めば、当然、音調は決まるでしょう、という指導です。
こんなことをやっていると、当然のことながら進度は遅くなりますが、それでもやるだけの価値のある英文を扱っているわけです。今回の文英堂版は書き直しがかなり乱暴な印象を受けますが、他社本でも様々なretoldがされていますから、それらを足場として、「本物」へと近づけることを意図しています。

  • 心に響く文章、魂を揺すぶる言葉を教材として読ませたい。

という願いは、多くの英語教師が共有しているでしょう。でも、その真の「共鳴」のためには、学習者の側の語彙や表現、文法や論理も一定の成熟を求められるものであると思います。初学者、入門期 (あるいは再入門期) の学習者に対して、「感動」とか「豊かさ」を求めて、安易な書き直し教材を使うことで、言葉そのものやその持つメッセージの価値を下げてしまうよりは、その段階では深追いすることなく、学習者の成熟を待って、しかるべき時に「オリジナル」または、「オリジナルに近い」もので再体験・再学習することにも教育的価値があると思っています。
とまあ、こんな具合に課外講座は進んでいるわけです。

自宅に戻ると、海外からの書籍が届いていた。届いたのは、こちら、

  • Alfred Fairbank. (1970). The Story of Handwriting Origins and Development, Faber & Faber

以前、久保野家にお邪魔した時に、BBCの特番か何かのビデオを見せて頂いたことがあるのだが、その時からずっと、書籍版でコンディションの良いものを探していた。
英語のhandwriting、文字指導、書写 (視写) 指導に関しては、久保野りえ先生と、「教材を作りましょう」と約束してからもう随分時間が経ったのだが、私も国体での一仕事を終えたので、本格的に準備に入ろうと思っている。
今年になって、

  • John. Jackson. (1894; reprinted 1991). The theory and practice of handwriting, the University of California Libraries
  • Reginald Piggott. (1958). Handwriting A National Survey, George Allen & Unwin
  • Alfred Fairbank. (1968). A Book of Scripts, Pelican Books
  • Alfred Fairbank. (1975). A Handwiritng Manual, Faber Paperbacks
  • Rosemary Sassoon. (1999). Handwriting of the Twentieth Century, Routledge
  • Nelson Handwriting Developing Skills Books 1-4. (2003). Nelson Thornes

などの英米の書籍に加えて、

  • ABC 第九巻第二号 (研究社、大正十二年)

が良い状態で手に入ったので、これまでの文献、書籍と合わせて、入門期に適切で望ましい書体と運筆 (基本である個々の文字のstrokeと文字と文字のjoiningを含む) の指導方法を考え、整理していきたいと思う。

さて、
靜先生がブログで「教員歴が何年か経ったら研修会で他人の授業をそうそう見るもんじゃない」というようなことを言っていたと思うのだが、最近その言葉を反芻中。何年くらいで、自分の授業が見えてくるのか、というのは難しいが、例えばベテランの教師が、そこから先の自分の授業のモデルをまだ求めている感覚って、過去問が解き終わった受験生が予想問題を欲しがる感覚と似ているような気がする。こういう教師は「進学校」の出身で、「進学校」に勤務し、より進学実績を高めようという「上昇志向」を刷り込まれているのではないか、と思うこともある。もう雛鳥じゃないのにね。停滞とか、後戻りとか、失敗とかをしたくないと思っているのは他でもない、教師である「自分自身」なのだ、という自覚があれば、fast laneとかpower gameから降りる勇気も持てるだろうになぁ…。
以前、このブログのエントリーでも、巷の研修会が「うさんくさい」と形容したと思うのだが、研修会に参加する皆が皆、「より上を目指す」って気持ち悪くありませんか?
「研修会で、自己を高めよう!」って力むのではなく、衒いも躊躇いもなく、

  • これがうちの生徒なんです。
  • これが私の授業なんです。
  • これが私の見ている景色なんです。

というそれぞれの「…なんです」を気軽に持ち寄り、ただただ眺めて、味わう「なんです山脈」くらいで充分おつりが来るのではないでしょうか?「山高きが故に…」、ですよ。
10年以上前、公立校勤務時代に「ポートフォリオとカンファレンス」で授業評価と立案をしていた時のこと。「これこそ先進的な評価事例だぜ!」と、例によって慢心していたわけであるが、その時教えていた、とても優秀な生徒が、カンファレンスの際に、

  • 目標を立てるとそれに縛られてうまくいかないことが多いので、私はできるだけ目標を立てることをしないようにしています。

という回答をしたので驚いたことがある。極々近未来から、大いなる将来まで、達成のイメージがリアルに感じられるように、具体的に細かく目標設定することを良しとしていただけに、虚をつかれたというか、ドキッとした。一緒に授業をしていた米人のALTも同じ反応だった。そこからは、かなり柔軟にシラバスを捉え、行きつ戻りつができるような「遊び」「糊代」の意義を見いだしたように思う。
何事も、思い込みから自由になることが大切なことである。
その気づきからも自由になれるだろうか…。

明日にかけては雪の予報。
安全運転でお願いします。

本日のBGM: Frosty the Snowman (原田知世)