男前

朝、車の前に来てビックリ。
フロントガラスに霜がびっしり。
湖に行く途中の峠で、デジタルの温度計の表示が0度。冬?
湖についてみるとベタ凪。鏡のような湖面。
スタ練までのレースアップを終え、500m2発、1000m2発。
RPの間には修正しきれず、ストレートアームでの加速を確認しながら1周。その後、ダウンを兼ねて、1 by 1 で2周。第1部の練習終了。距離にすると13〜14km程度ですね。
他チームが水に浮かぶ中揚艇、休憩。他校の顧問の先生と新入生の情報交換。すでに1Xで元気よく漕いでいる者もいました。
昼で他チームが引き上げるところで第2部の練習開始。
陸でエルゴを使ってアップ。ボディが弱いのがどうにも…。
乗艇は2周アップのなかで、ミドルから加速のない尺が潰れた漕ぎになっていたので、腕漕ぎで片道。
SR22からSR32までのラダーで片道、SR24からSR34までのラダーで戻り。課題を取り出して、SR24からSR36でのスプリントを入れ、またSR24というalternateの練習で3往復。
その後、スパートの練習で、SR36↑。ダウンを兼ねて、1 by 1 で1周半。16kmといったところでしょうか。1日2モーションで30km弱。やっぱり、身体が強くならないとね。
明日は、午前中が進学クラスの保護者会で、午後からは本業で近い方の水域までの予定。
選手を送る途中の温度計表示は16度。まるで、春じゃないですか。
帰りがけに、書店によって、『英語教育』と『新英語教育』、それぞれ5月号を購入。現場の教員にとって今、どっちの雑誌が面白いでしょうかね?
『英語教育』では、まず、卯城先生の時評を確認。うむ。得心。
次に、特集に目を通す。
トリを飾る論文は、広島大の前田啓朗先生。

  • (統計の) 専門用語を正しく適用することなく、日常語として理解、解釈することが、なぜ、どのように問題であるのか。

を説いている。
準備室の三先生の喩えは秀逸。ツートップは納得。久々に清々しい読後感でした。こういう特集の中で、こういうことを書けるというのは、「男前」と言わずして、なんと言いましょう。天晴?快哉?いやあ、やっぱり「男前」でしょう。
特集での記事を書く、という場合、当然、特集を貫く何か柱のようなテーマがあり、他の執筆者との力学があり、という中で、自分に求められるものがあるので、大変なことなのですね。依頼原稿という制約の中で、”My aim is true.” というような言説を残せる方を本当に尊敬します。
来月号の特集は「ライティング」です。私は特集そのものの企画段階で相談を受けましたが、一二度メールと電話でのやりとりの後、執筆をお断りしました。その際に、編集部の方に伝えたのは、

  • いろんな人にいろんなテーマで総花的に書いてもらうのはいかがなものか。指導実践を語るのなら、プロダクトの実例がなければ説得力がないので、執筆者一人あたりの分量を増やすこと必要不可欠。とすれば、執筆者の数は絞られるべき。昨年度の特集でよく見られた、同じ執筆者による中途半端な「コラム」の追加は止めて、記事そのものを増ページでとことん論じて欲しい。
  • 小中高大、さまざまな学校種など、バランスをとろうとして、どこからも等距離の記事ばかりになれば、誰の心にも響かない。批判が生まれれば、その批判を取り込んでまた誌面を賑わせればいいのではないか。ブログやtwitterなど、雑誌が世に問うた論考に関わる情報伝達のスピードが格段に上がった現在、1ヵ月半くらい遅れて、同じ雑誌の「Forum」欄で意見を戦わせる、というのは何とも長閑な印象を与えるかも知れないが、早いからいいというものでもないだろう。
  • 大学入試のライティング問題、を扱うのなら、リーディングなども含めて、「入試問題」だけで特集に値するテーマである。研究社の『英語青年』2006年4月号の特集での問題提起に対して、『英語教育』誌からは、何の回答も返していないまま、4年が過ぎている。本来、あの特集は『英語教育』の方がすべきだったと私は思っている。
  • 高校の指導要領が変わるからといってまだ教科書も出ていない「英語表現」の中身をあれこれと先取りする記事にはそれほど魅力を感じていない。むしろ、「ライティング」という現行の科目は、何だったのか?失敗だったとすれば、その何がいけなかったのか?という検証を、今こそしておくべきだろう。私は、自分自身の実践を振り返っても、この「科目」が失敗だったとは思っていないし、この「科目」でできなかったことが、「英語表現」という科目の新設によって実現できるとは思えないので、その新設の必然性を感じていない。新課程になっても、自分の勤務校では、学校設定科目で「ライティング」を設置しようと思っている。

ということで、言いたいことは言いましたので、来月号の特集内容に関しては、後出しじゃんけんのような批評・批判は一切しないつもりです。
そうそう、『英語教育』の5月号で、もうひとつ、「男前」な記事がありました。Forum欄 (pp. 89-90)での、

  • 「英語の授業は英語で」を越えて---“英語”授業より英語”授業”を (海木幸登)

です。私は面識は全くないのですが、新任で英語教師になってからというもの、いろんな誌面で影響を受けてきた方です。
T/FなどのQ&Asから、Fを修正訂正し、繋がりとまとまりを踏まえて、サマリーへと発展させる自分の英語I&II授業の根幹を支えている生徒の活動も、海木実践にinspireされて始め、試行錯誤を経て今の形へと変わって来ました。「ライティング」への橋渡しの鍵を握る、私の授業の定番でもある生徒に作らせるQ&Asも、この実践がなければ生まれていなかったでしょう。さらには、特別活動やHRでのクラスマネジメントなど、英語の授業だけに留まらない、「教師」としての役割を考える契機を与えてもらったように思います。この欄で思わぬタイミングで、ご挨拶を頂いたような喜びがあります。
『新英語教育』5月号の特集は、

  • この文法にはこの例文を〜実感をともなった基本文を〜

小山内洸氏の「良い例文とは」 (pp. 7-9) が巻頭論文。ここでも海木実践が取り上げられていた。地に足のついた取り組み、さらには、その自分の足下をも揺すぶる考察、を受け継ぐ者でありたいと思う。

週末の学び直し、

  • 毛利可信 『意味論から見た英文法』 (大修館書店、1972年)

新たな学び、

  • 大野照男 『社会人のための英文法のはなし』 (東京図書出版会、2009年)

本日のBGM: The Standard (斎藤誠)