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経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う。
(ァ) ねらい
1. 自分の気持ちを言葉で表現する楽しさを味わう。
2. 人の言葉や話しなどをよく聞き、自分の経験したことや考えたことを話し、伝え合う喜びを味わう。
3. 日常生活に必要な言葉が分かるようになるとともに、絵本や物語などに親しみ、保育士等や友達と心を通わせる。
(イ) 内容
1. 保育士等の応答的な関わりや話しかけにより、自ら言葉を使おうとする。
2. 保育士等と一緒にごっこ遊びなどをする中で、言葉のやりとりを楽しむ。
3. 保育士等や友達の言葉や話に興味や関心を持ち、親しみを持って聞いたり、話したりする。
4. したこと、見たこと、聞いたこと、味わったこと、感じたこと、考えたことを自分なりに言葉で表現する。
5. したいこと、してほしいことを言葉で表現したり、分からないことを尋ねたりする。
6. 人の話を注意して聞き、相手に分かるように話す。
7. 生活の中で必要な言葉が分かり、使う。
8. 親しみを持って日常のあいさつをする。
9. 生活の中で言葉の楽しさや美しさに気付く。
10. いろいろな体験を通じてイメージや言葉を豊かにする。
11. 絵本や物語などに親しみ、興味を持って聞き、想像する楽しさを味わう。
12. 日常生活の中で、文字などで伝える楽しさを味わう。


さて、この文言はいったい何でしょうか?これは、

  • 平成21年4月1日試行 「保育所保育指針」 第3章 保育の内容、1 保育のねらい及び内容 (2) 教育に関わるねらい及び内容

から、「エ. 言葉」の項を抜粋したものです。「保育所」に関わる文書ですからその管轄は「厚労省」です。普段、文科省の言葉に慣れ親しんでいる我々高校教師にとっては新鮮な言語材料に映るかも知れません。
「ことばへの気づき」を学校以前に遡ると?という素朴な疑問から、

  • 戸田雅美編著 『演習 保育内容 言葉』 (建帛社、2009年)

を読んでいるところで、巻末の資料に載っていました。他にも何か発見があったらまた書いてみたいと思います。

  • 橋本治 「なぜ、嫌いなのか」

『おそい・はやい・ひくい・たかい No. 50』 (ジャパン・マニスト社) という岡崎勝さんの出している雑誌の7月号にあたる特集が、「子ども&親のための文章作法」でした。その中の文章なのですが、一読、「これは、響かないなぁ。」というのが率直な感想。与えられた分量が短すぎたのかも知れません。奇しくも、岡崎氏自身が、特集のまとめとしてこう書いています。

  • 文章を書くことが苦手な子どもにどんなアドバイスがいいか?そんな質問を仮定して、橋本治さんが「ミもフタもない」。しかしこれ以上ない的確ないい方で、「書きたくなったら書くし、… "書けるようになりたい” と思ったら」書くと答えている。(中略) しかし、学校では、書きたくなるまで待っていられないので、できるだけ優しくかつ易しく、あの手この手で教えることになる。(p.47-48)

橋本治の物の見方考え方に多くのものを学んだ私にも、「そんなこと言ってる間に卒業しちゃうでしょ!」と文句を言いたくなる内容。
この雑誌は言ってみれば岡崎氏のものなのだから、特集で見栄えの良い執筆者に頼らずとも、連載の「ひとをはぐくむ教師 (ひと) だから」のような岡崎氏らしい言葉を届けてくれればそれで一読者としては満足なのです。今月は「親に『問題』を感じたとき」(pp.122-126)
これはいいですね。鶴見俊輔の「紋切り型」を排す、に通ずるものがあります。

  • 教員など、周囲の人間が、こうした子育ての問題について論じるとき、その原因を「愛情不足」とか、「過干渉」「共依存」「母子分離ができていない」などというキメ言葉で語りがちです。でも教員は、そう談じた後、では、どうするのかと考えなくてはなりません。親子を見ているだけのギャラリーではありませんから、何らかの対応をしなくてはなりません。それも仕事のうちだからです。(p.125)
  • そもそも「愛情不足」とは何でしょうか?わかりやすいキメ言葉は、中身がいまひとつ曖昧なのです。こういうキメ言葉のもつ、わかったつもりにさせるマジックに騙されてはいけません。/困っている親の側で、教員は立ちつくすだけです。(中略) 多少親から冷たいと思われても、私たち教員は、子育ての達人ではありません。教員自身だって、自分の子育てに自信を持っているわけではないのです。そのことも率直にいうべきでしょう。まして、子育て経験のない教員は、言葉に慎重にならざるをえません。しかし、子育てをしていないからといって、遠慮する必要はありません。遠慮しないということは、ぶしつけでもいいということとは、まったくちがいます。(P.126)

教育に関わる多くの人に読んで欲しいと思います。
同じ教育系の雑誌でも、

  • 『教育科学 国語教育 2009年9月号』 (明治図書)

は「読解力を育てるための重点指導」という特集で、約90頁を当てている。1年間、そのテーマを追いかけてもまだ足りないように思うのは私が門外漢だからか。
「音読力を高める秘策 ---『TOSS教材』の連結で組み立てる--- (pp. 20-23)」
伴一孝氏の実践例はこれまでにもいくつか読んだことがある。ここでも披露される迷いのない直球は、歯切れが良く、爽やかで、力強い。でも、違和感が残るのである。まとめのような一節から引く。

  • どうしてこうなるのか。それは、私が、「言葉を削る」からだ。本稿で紹介した様に、私の言葉は短い。短いから、耳に残る。残るから、子供は復唱出来る。よく私の言葉を真似るようになる。だから、だらだら発言していた子供も、短く話すようになる。話し方はだんだん私に似てくる。(中略) これが、音読に生きる。三年生だとて、ダラダラした読み方はしない。きびきびと読んでいく。ダラダラ読みをしている学級の、二倍速から三倍速だ。その方が、文章は頭に入る。読解も容易になる。読む (読める) 回数が増えるからだ。(P.23)

小学校国語というのは今やそういうものなのだろうか。

「音読」で思い出したのは、次のような文章。

  • 私はそれよりも、自分の綴る文章の中に、無理な息遣いが残っているのではないかと、それが気になり、深夜、書き終えた自分の文章を低い声を出して読み返す。幾度か読み返しながら、訂正すべき箇所を見つける。半日、一日間をあけてまた読み直し、また発見し加筆する。/ そのためにも、他人の文章、時には古代の人の綴った文章をも音読してみることを続けたい。文章を綴ることを抜きにしても、音読は有効であり、それを習慣としていれば、黙読をしていても音読の効果は現れるようになるはずである。(串田孫一、「音読」 1994年5月、『読書のすすめ』岩波文庫収録)

私はこういう声と自分の声を重ねてみたいと思っているのだろう。

  • 佐高信 『魯迅烈読』 (岩波現代文庫)

の表紙を見て、先日の『文学の器』の表紙デザインを考える。「答えはどこにもないけれどね」 (inspired by 直枝政太郎。“Edo River” が1994年。でもこの年はオザケンの “LIFE” が邦楽を席巻した年として記憶されるのだろうなぁ…。)

夜になって、ようやく、自宅に届いたDVD。
これを見て今日は終わりにします。

  • 『吉本隆明語る 思想を生きる』 (京都精華大学40周年記念事業)

本日のBGM: love experience (carnation)