『君は誤解している』

土曜日は台風接近。自宅で『英語教育』8月号特集、他の執筆者の書評を一通り読む。期待していた執筆者が意外な内容で、唸らされるようなものが少なかったのが残念。拙稿もその一つか。次にお呼びがかかることはあるまい。
書評ついでに、もう一冊。「書評空間」での阿部公彦氏の書評に影響され、佐藤正午の『小説の読み書き』(岩波新書、2007年)を今読んでいるところ。「読んでいるところ」というのは現在進行形というよりも、未完了といったほうがいいかも知れない。というのも、苦手な作家についての回を数回飛ばしているから。結局、そこは読み終わらないかも知れないが、面白かったからよしとしよう。普段この人の小説は読まないのだが、誤解していたかも知れない。
冒頭の川端康成『雪国』についての記述に、

  • 僕はそろそろ初老と呼ばれる年齢の、自分でも恋愛小説を書いたりする作家なのだし、いまさら『雪国』がよくわからないなどと言える立場ではない。(p. 2)

とあって、佐藤氏が初老?、と著者略歴のページへ。1955年生まれだから、執筆時の2004年には49歳くらい。むーん、初老 = 50歳、というつもりなのか?『新明解国語事典』(第五版、三省堂)では、ていねいに「もと四十歳の異称、現在は普通に六十歳前後を指す」とある。私は当然「初老 = 40歳」のつもりで、引用箇所を読み違和感を覚えたので、執筆時49歳前後という実年齢に、納得のいかないまま、暫し、この先のページを繰ることができなかった。
ただ、この冒頭に川端康成の回を持ってきたのは正解だったと思う。

  • なぜならそれが書くことの実態だからだ。
  • そう考えると「書く」ということはとどのつまり「書き直す」と同義語になる。
  • だから書かれた小説とはすでにじゅうぶんに書き直された小説である。
  • 読むことによってさらに小説は書き直される。
  • 読者は読みながら小説を書く。読者の数だけ小説は書かれる。小説を読むことは小説を書くことに近づき、ほぼ重なる。

などなど、片岡義男が書いているのか、と一瞬思ったくらい、ハンサムな文体だ。
後半、武者小路実篤の『友情』あたりは、切れ味がなく、気の充ちる様子がなく、ハリが感じられない。幸田文『流れる』では、言葉の解釈でミスをしたことをじくじく引きずっている、ということを正直に書いている。些細なことが気になる、不器用な人間なんです、というようなことを、ものすごく器用に書いている気がする。名作をただ有り難がるのではなく、小説との関わり方を職業作家の眼を通じた自前の考察として、職人芸の極みとも言える文章で示してくれる。近年まれに見る作品。とにかく、「書く人」に読んで欲しいこの本なのである。
最近、小説そのものではなく、小説に「ついて」ばかり読む気になるのは何故かしら。私自身のフィクションについていく体力が衰えてきたということか?
日曜日は台風一過で青空。週末の台風を避け、月曜日に本業をずらしたのだが、日曜とはうってかわって明け方から雨。学校に集合したら直後に猛烈な雷雨。道路が川のようになっていた。ところが湖に着いたらすっかり晴れ。急いで午前の練習。60分放牧。合間に大学生の2Xと2-を見て、午前の部終了。そのあと再び雷雨。昼食後また午後の練習前にはあがってくれた。これって幸運?
午後は股関節の動きを集中的にアップさせた後、放牧60分ノンストップの指示。練習後は副顧問の方に生徒の移動をお願いして、引き続き2時間ほど大学生の練習も見る。最後はエルゴを使って、スピード感覚のチューニング。

  • ダンパーを5か6くらいで、腕漕ぎ。目一杯加速させボディを弛めず使い切って、自分が出したスピードでハンズ。ボディが緩んで腕と一緒に出てこないように、前スペースを確認。
  • シート10cmだけつけてぶら下がり同様に加速。ダンパーを少し閉める。
  • スライド1/4。ダンパーをまた少し閉める。
  • スライド1/2。ダンパーさらに閉める。
  • スライド3/4。ダンパー全閉。
  • フルスライド。ジャケットで通気口も塞ぐ。

スピードを自分の身体で拾いきれないとシートが長くなってもエルゴの数値は伸びていかない。同じ出力を間延びさせただけでは、同程度の数字しか出ないことがよくわかる。スピードを出す条件を満たしていないと、エルゴの数値が如実に物語るので、おなかを締めるとか、フィニッシュの上体の角度とか、ハンドルの位置とか考えている余裕はない。だからこそ、ナチュラルに身体を反応させられる。誰でも出来るとてもよい練習。でも、めっちゃきついですから、これ。次の週末は国体のブロック大会。自信を持って頑張ってきて欲しい。
帰宅後、夕飯は最近妻が凝っている味噌ラーメン。満腹なり。
Hero’sをテレビで見る。相変わらず試合が中心と思えない番組の作り方。全く面白くない。スポンサーに苦労しているのだろうなぁ。ここでは商売の理屈がチャンピオンだ。宇野薫は充実した表情。判定ではあったがパワーで勝る永田に何もさせず順当に勝ち上がった。柴田勝頼はメンタルな部分で既に負けていた感じ。宿命だとか、師匠の仇、とか自分の勝負に集中できていない。この人はHero'sで戦う意味があったのか?プロデューサーは猛省すべし。柴田はNOAHでKENTAと組んでいたときの方が輝いていた気がする。そういえば、最近NOAHを見ていないのだが、社長はまだチャンピオンなのか?
寝る前にメールを読む。今回の書評に関しての忌憚のないご意見をいただいた。深謝。こういう「ことば」によって書き手は鍛えられ、育てられるのだ。
今夜は、もう一度、書評を読み直すことにしよう。まずは自分のから。
本日のBGM: 21世紀の大馬鹿者(鈴木博文)