Mind your own business!

期末試験最終日。出題にミスがありへこむ間もなく、英検の面接指導。約3時間。自分自身、教員になってからの最近の10年は英検に対して消極的・否定的なスタンスで接してきたので、学校を上げての英検への取り組みというのは困惑するやら新鮮に感じるやら。いつもお世話になっている近県のN先生に資料とワークシートを送付してもらい対応。助かりました。この対策ワークシートは、speakingのレスポンスの前に答えで求められる情報をwritingさせる、という点で単純と言えば単純だけど、効果的でありかつ適切。普段のオーラルを中心とした英語の授業が、教師の独りよがりにならないように配慮されているのだろうと推察される。
その後、昼食もそこそこに、萩往還の行程下見。とにかく私が初参戦なので、全体の流れを把握するべく、車でポイントを回ってもらった。
学校に戻り、校舎内外巡回&週番日誌の記入。
明日は朝から本業。オールが2セット学校に届いてしまったので艇庫まで運ぶ予定。下見には生憎の雨足だったが、これだけ降れば本業には恵みとなっているだろうか?
今日から軽量級。関係諸チームの健闘を祈ります。
疲労感とともに帰宅。ドアを開けると大貫妙子がかかっていた。リクエストで妻に久々に麻婆茄子パスタを作ってもらう。挽肉の代わりに挽き割り納豆と味噌を使うのがポイント。超大盛り完食!気が充ちてくる。「単純!」と妻からお褒めの言葉。
採点が終わるのかも気になるが、昨日、中古車を見て回った帰りに書店に寄り購入してきた雑誌2冊に目を通す。

  • 『ジュリスト』(2007・7・1号;有斐閣、定価1250円)、特集「教育再生と法」

「戦後教育制度の変遷」と題する座談会は、戸波江二(司会)/兼子仁/苅谷剛彦/横田光平。これを読む限りでは、兼子氏の言説では新たな地平は開けないと思った。
苅谷氏の「再帰性(リフレクシビリティ)」に関わる発言から引用。

  • 要するにマニフェストなどはその典型ですが、具体的な政策を出して、それに対して賛成を得られたものについては政治的な決定なのだという形で、どんどん執行されるようになってきています。ところが、素人ながら、三権分立という教科書レベルの知識で考えれば、行政と政治と、もう1つ司法という権力の場があって、選挙を通じて短期的に住民や国民の意思決定がなされたとしても、その政治的な決定に待ったをかけたり、行政にストップをかけるようなこととして法律や司法が機能するというのが民主主義の原理ではないかと思うのです。(p.29)

「教育再生会議」は市川須美子。よくまとまってはいるものの優等生的な論評。特に、「V 教員免許更新制」(pp. 51-52) での指摘をより一般的なメディアで繰り広げてくれないだろうか。

  • 今回の教員職員免許法改正案の段階では、免許状更新講習の中身はほとんど白紙である。すでに実施されている10年経験者研修についての政策評価もなく、「メリハリのある講習」はどのように実現可能なのであろうか。講習免除の仕組みも予定はされているが、原則全ての教員が10年ごとに受けることになる新更新講習は、ただでさえ多忙化している教育現場から、教師をさらに一定期間確実に遠ざけ、多忙化の促進要因となることは明らかである。一部の例外的な不適格教員の排除のために、同時に不適格教員認定制度の厳格化も図られているのに、全教員に対する定期的不適格検査により追い打ちをかけるこの制度により、「身分の尊重」(新教育基本法9条2項)が保証されるべき教員の身分が一般公務員より不安定となる。このことが昨今の教師に向けられる過大な要求ともあいまって、教職の職業としての魅力を大幅に減じ、大量採用時代を目前に、教職志望者の減少を招くことを危惧せざるを得ない。

市川氏は、上述の苅谷の発言を聞いたらどう反応するのだろうか?
もう一冊の雑誌は、

  • 『経済セミナー』(2007・7・No. 628;日本評論社、定価940円)

特集は「教育問題を経済学的にみると」。コストパフォーマンスでみると、今月は、『経セミ』のあざとい切り口の勝利か。以下特集の執筆者をあげる。

  • 経済学からみた教育改革(小塩隆士)
  • 教育の経済効果とは(玄田有史)
  • 所得格差と教育格差(松繁寿和)
  • 国は教育にどうかかわるべきか(矢野眞和)
  • ちょっと待って!その「教育改革」(清川輝基)
  • 教育の質・教師の質を高めるにはどうしたらよいか(岡崎勝)

岡崎氏の言説は彼のサイトでもおなじみだろうから、ここでは小塩氏の論考から引用。

  • 筆者は現在、同僚と一緒に中高一貫校の経済分析を進めている。そこでは、中高一貫校の東大・京大等の進学率の高さは、入学してくる生徒の平均的な学力でほぼ決定され、教員/生徒数比率、授業のコマ数や土曜日授業の有無など、学校が提供する教育の「質」はほとんど影響しないという結果を暫定的に得ている。(p.18)

「お受験マインド」の保護者や生徒たちはこの結果が実証的に有意なものとして整備されたときにどう対応するのだろうか?教育を社会学や経済学・経営学の物差しで語るとき、その分野の専門家も含め良識派さらには改革派と呼ばれる人たちでさえ、「受験戦争」「進学率」「格差社会」「競争原理」「消費者」などといった紋切り型の言説に自らをとどまらせてしまっている人は多い。学際的といえば聞こえはいいが、こういう人たちの言説で外堀を埋められたり、土俵を狭められたりしていることに教育界の住人はもっと敏感になっていい。
小塩の指摘は、傾聴に値するが、たとえば、ブログ「英語教育にもの申す」での倫太郎さんの次のような発言と読み合わせてしかるべきだろう。

  • いわゆる「底辺校」の英語の教員は、「国公立に何人入れるぞ!」という今をときめく数値目標もないのですから、プレッシャーのない中で、もっと自由に英語を教えられます。ドリル学習や文法のための文法をやめて、心理学+教育学+英語教育の3つを意識した授業ができたらいいと思うんですけど、いかがなものでしょうか?(http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/2007/07/post_9df3.html


本日のBGM: まっすぐのうた(大貫妙子;詞:谷川俊太郎作「まっすぐ」)