得手不得手

来月9日発売予定の『英語青年』10月号に拙稿が掲載される予定です。
(詳細はhttp://www.kenkyusha.co.jp/guide/mag/sei-hen.html#jigou)
今回は、斎藤兆史、馬場哲夫両氏に加えて私と連載の中に三人の執筆陣というちょっと変わった陣容。「大学入試の英文和訳を考える」というテーマ。私のところにリーディング系の話が回ってくるとは思ってもいなかったので、苦労しました。
テストとしての和訳を考える際に、私の頭の中にあったのは「読解力」の構成概念が日本語でも英語でもいまはかなり揺らいでいるのかなぁ、ということであった。国語教育の分野では、論文は日本人が一番書いているわけで、お互いの研究を読み込んでいることが多いと思われるが、英語教育の場合はどうだろうか?
先日のブログで言及した『いま求められる<読解力>とは 教育フォーラム38』(金子書房, 2006年)ではなかなか突破口が見えなかったので、

  • 『読解力向上に関する指導資料 PISA調査(読解力)の結果分析と改善の方向』(文科省)
  • 『現代教育科学 9月号 PISA型読解力は何を示唆するか』(明治図書)

の二冊を併せて読んでみた。
後者では、市毛勝雄氏が「文科省がPISA型読解力の肯定的評価」を歓迎しているのとは対照的に、大森修氏は『…指導資料』の示す提言の具体性のなさを批判していた。国語教育の読解力に関する議論はとりあえず議論にはなっているようだ。
自らを作文の教師と言っている手前、表現力に関しても最近の話題を。

  • 『授業作りネットワーク9月号』(学事出版)

は「論理的表現力を鍛える授業」が特集。物足りない。食い足りない。付け焼き刃。なぜ、いまこの特集なのか、と言われたら「PISA型読解力」で求められている力だから、と言う答えが返ってくるだろうことは容易に想像できる。この雑誌は上條晴夫氏が編集代表なので気にはしているのだが、今回の特集はいただけない。

  • 京野真樹「[欧米式]作文で論理的表現力を鍛える!」はフィンランドメソッドを小学校の授業に取り入れたもの。それ以前に、どのような手法を試し、成否がどうであったのかわからないので、批判は避けたい。気になることを一点だけ。p.19で「逆の立場になる/推敲する」という授業を行っているのだが、「感情に流されずに議論をするため」といいつつ、扱っているテーマが「好き/嫌い」なのだ。論理的思考にとって最も扱いにくい好き嫌いをなぜテーマとして扱ったのか理解に苦しむ。
  • 喜岡淳治「論理的思考の基礎―三角ロジックとは何かー」はクレーム、データ、ワラントによる論理的思考を三角ロジックとして、その利点・効能を説く。この三角ロジックは英語の授業でもディベート指導などではよく取り上げられるのだが、The Toulmin Model of Argumentにあるような、reservationやbackingまでを含む論理の多層性が語られることは少ない。教室で実践する場合は、ワラントを作るところで生徒は躓きやすく、どんなテーマにも対応できるような漠然としたワラントでお茶を濁すことになりやすいので注意が必要である。

渋谷孝氏のいう次の言葉を読み聞かせてあげたい。、

  • 精読は悪ではない。精読を克服する必要はない。精読に対応するものは「多読」ではなくて<粗読>である。精読の指導をすべきか否かは、当該教材の特質と指導目標と年間の配当時間で決まる。指導法の問題であって、指導事項の問題ではない。(『教育科学国語教育』明治図書、1998年)

夕食後、英授研に備えて、リスニングに関する資料の整備をしようと思ったのだが、書棚にはほとんどリスニング関係の本がない。ベランダストッカーか押入か?もともと、リスニングで発表するとは思ってもいなかったので間際になって慌てるのだなぁ。仕方がないので、フォニクスの指導書を読み返す。

  • A.W.ハイルマン/松香洋子監訳『フォニックス指導の実際』(玉川大学出版部、1981年)

「フォニックス」をやりすぎる弊害、「フォニックス法」の教育上の問題点、などマイナス面にも言及してあり極めて現実的な内容である。
「フォニックス」が初学者だけのものではないこともよくわかる。ちなみに、接頭語・接尾語・文節法に約10ページを割いている。私が、単語の縦書き練習を思いついたのもこの練習を見てからである。
disappointmentからdiscontentmentまで同じ語形成の10語を早読みする練習に加えて、いろいろな語形成パターンをもつ語群を早読みする練習など高校生レベルでも十分活用できる。現在の児童英語教育でともすればもてはやされる「フォニックスは魔法の杖」のような衒学的な取り扱いでは決してない。まえがきにはこうある。

  • もう一つ大切な点は、初期の読み方指導において、子供を1つの学習法に片寄らせてはならないということです。たとえその学習法がどんなに本質的なものであっても、この原則には変わりがありません。