迷走する(?)『英語教育』

『英語教育』7月号(大修館書店)が研究室に届いた。今年度はもう購入しないことに決めたので、必要なページのみをコピー。どんどん、普通の雑誌になっていく気がする。
ELEC同友会の面々が授業を公開するページで、日本女子大附属高校の工藤洋路先生の授業が紹介されていた。昨年か一昨年、私も見に行った私学関係の研究会で発表した時のものと同じようで、「これは、いい授業だったなぁ」と思っていたので、授業の評者がどのようなコメントをつけるかという期待で読んでいたのだが、がっかり。「言語活動がない」というのだが、では翻って「言語活動のある」授業とはどういうものだろうか?「習い覚えた表現を自分で使うことでinternalizeする」授業だとでもいうつもりなのだろうか?
よく考えてみて欲しい。この授業は高校2年生の英語IIの授業で、新しいレッスンの導入第一回目なのである。タイトルが「Post-reading活動を見据えたPre-reading活動」である。新出事項を導入して、内容を導入して、story reproductionまでをほぼ完璧にこなしているのだ。この導入の授業になぜ、これから読もうとする英文のtopicや主題と無関係な「自己表現」もどきの言語活動を入れる必要があるのか?それこそ蛇足だろう。この評者は学習指導要領の「言語活動」の定義にひきずられて、この授業の本質を見失ってはいまいか?ともすれば、欲張りすぎる導入の授業を、本当のwhile-reading activityへとつなげ、さらにはpost-reading activityを活かすものとして設定した手腕をこそ、指摘するべきだろう。主題と関連性の薄いoutputを有り難がるのではなく、習い覚えた表現をinternalizeするのであれば、inputをintakeへと導くこの授業のような段階を経た次の段階で、異なる場面設定をした上で行えばいいことである。
今月号は他にもつっこみどころ満載。
『New Books』のコーナーでは、『田尻悟郎の楽しいフォニックス』(教育出版)の書評が。評者は「フォニックスを一から学び、教えてみたいという教員にとっても十分満足のいく内容となっている。」というのだが、これはいただけない。田尻実践は私もいくつかビデオで見させて頂いているし、尊敬もしている先生だが、この教材には問題が多いと思う。中学生はゲーム感覚で取り組んでくれるのかもしれないが、記号の恣意性が高く、一般化するのが難しい。正しい発音とフォニクスのルールと独自の記号の3つを覚えなければならないのはどのフォニクス教則本でも同じであるが、類書と比べて格段に学習者の負担が軽くなるとは思えないのである。いつか、田尻先生にこの教材の真意を尋ねてみたいと思う。
特集は「スポーツと英語」。日本で生まれたスポーツは当然のことながら対象外。自己表現に使えるはずなのにねぇ?
もっとも気になったのが、ポール・レクター氏のバスケットボールの用語にまつわる話。ここは日本ですよ。たとえ英語を母語とする国で生まれたスポーツであっても、日本語でそのスポーツを語る時に日本語を用いて何が悪いのだろうか。このような原稿を書く人も書く人だが、依頼する編集部の見識そのものを疑う。
「英語教育時評」は江利川春雄氏。「迷走する小学校英語」。至言。異論なし。
先月の靜氏の宣戦布告は誰も受けて立たないのか気になる所。来月号を待つこととしよう。
明日の英授研の資料印刷とホチキス止め完了。このブログを読んでいる人には「また同じ話」に聞こえるだろうなあ。でも、『英語青年』の特集が読まれていないから、こういう話も続けていかないと…。