「私家版英語教育時評」

『英語教育』2006年6月号(大修館書店)の「英語教育時評」で関西大の靜哲人氏が、大学入試からの和訳排除を叫んでいた。『英語青年』2006年4月号(研究社出版)の特集からの流れである。発表の場が多々ある人がうらやましいと思う一方で、これは雑誌制作サイド、編集者が望んだ切り口なのか?という疑問も頭をよぎった。靜氏は大学入試出題者で自信・信念を持って和訳を出題している人からの反論を待つと言っているのだが、正面切って反論する人が現れるだろうか?名指しされている京大・阪大の先生は静観なのか、無視なのか注目したい。大修館編集サイドは、責任を持って寄せられた反論を掲載すべし。反論は何も、出題者側の大学の先生に限る必要はないだろう。たとえば、「地道にマジメに英語教育」の山岡大基先生はご自分の掲示板でこの「時評」に関して良質の考察を述べていた。こういう話をこそ『英語教育』誌は掲載して欲しい。大学入試問題と本来四つに組まなければならないのは『英語教育』誌だったはずなのである。
例えば、ここに英語が出来る生徒が二人いるとする。一人は京大を、一人は関西大を受験するために英語の対策を立てて勉強をし、両者とも無事現役で合格したとしよう。では、京大合格者に関西大の入試問題を解かせ、関西大合格者に京大の入試問題を解かせてみたらどうなるだろうか?進学校での指導経験のある高校教師なら予想がつくだろう。
もっと大々的に、テレビ東京の番組『TVチャンピオン』ではないが、「英文読解王選手権」とかを企画してはいかがだろうか?現役合格した「阪大生」と「関西大生」とを10人ずつ選び、1ヶ月のトレーニング後にTOEFLでもTOEICでも受験させてみるのである。下世話な企てだと笑っていられるだろうか?
『英語教育』では「英文解釈演習室」、『英語青年』では「英文解釈練習」がこれだけ長い間連載されていることの意味を一般の英語教師は考えておいた方が良い。本当に英語が出来る人に、ご自身のエピソードを交えて英文を読んで理解することがいかに複合技術であるのかを説いて欲しいものだ。