Art is long.

高3ライティングは、「福袋」課題提出。ワークシートの最後の欄に「こういう意味を表したかったんだけれど、英語が出てこなかった、うまく言えなかった表現リスト」を書かせ、その部分にのみ4人一組でpeer responseの作業。なかなか、真剣に該当する表現を考えたり、より簡単な表現に言い換えたり、頑張っていました。その後、他社本の「日本文化紹介」のレッスンから、パラグラフを抜き出したワークシートで、何の説明かを答えるクイズ。自分で説明を書いているときは、「これならわかるでしょ!」と思っていても、いざ、英文を読んでみると、「あれ、これはほかにも当てはまるかな?」などと思うもの。両方やってみて初めて、descriptionの勘所がわかってくるのだと思う。家庭学習では、音読と、Look up and sayの応用、Turn over and write (on the flip side).を。私の授業ではおなじみ、例の裏に書くヤツですね。
高2英語は、「英詩…」収録第3ラウンド。自習課題は、Anita de Frantzのコネティカット大学での2004年のcommencement speechから抜粋。(defrantzcommencement2004.pdf 直)
「先生、これ難しいよ!」という声がいくつも上がっていたが、とにかくやらせておく。波瀾万丈の半生を振り返る内容で、きれい事だけをいっているわけではないので、若い人にも感じるところが必ずあるはず。1学期に扱った Paul Robesonの生き方と比較できると面白いのだが…。
さて、先日、あるTV番組で漫才(師)のオール阪神・巨人さんが出ていた。漫才ブームといわれた頃からの映像も交えて、コンビの魅力を探る時間であった。その中で、印象的だったのは、今後の目標を聞かれて「いとし・こいし師匠のような芸」と答えていたところ。「僕等は、間がもたんのです。1分でいうところを40秒でしゃべってしまう。師匠のようなテンポでも話ができるようになれたら、目指す境地に近づいたかなという感じ。」
一般に、若い世代はテンポの速い展開、めまぐるしく変わる場面設定でないと飽きてしまい、TVに依存した芸能、さらにはTV以外にも、ビデオやDVDやオンデマンドなど早送りできるメディアが存在する時代には、ゆっくりと展開する芸は生き残れないと思われている。しかしながら、彼らは、もっとゆっくり、間をとることができる芸を目指している。
今、新たなお笑いブームといわれ、TVや舞台で、毎日のように多くのいわゆる芸人たち(総称的に表す適切な言葉が思いつかないので、仮に使わせてもらう)が、文字通りブツブツと細切れに喋っている。さらには、若い世代の客がそのおもしろさを「評価」し、その「評価」が今度は、彼らの芸そのものの評価となっていく。「若い感性にウケる」ことだけに躍起で、「客を育てる」、「客を大人にする」ことなど全く念頭にはない。子どもに商品を売りつけることでマーケットを拡大していくかのようなその流れとは、まったく対極にあるのが、TVで見た阪神・巨人のお二人の姿勢だった。乱暴な比較で言わせてもらえば、漫才を、芸能として落語のレベルまで引き上げていくというような志を感じた。ベテランのベテランたる所以というクリシェではいい足りない、時の試練に耐える本物の気概とでも言えるだろうか。今の新漫才ブームらしきものでメディアに露出している人たちでどのくらいの人が、5年後に記憶に残っているだろうか?
英語教育に限らず、日本の教育に関わる者みなが我が身を振り返るに足るエピソードだと思った。