不定詞と動名詞

伝統的な学校文法を修正、または否定して、よりネイティブスピーカーの発想や感覚に近い枠組みで英文法を構築しようという試みが多々生まれてきている。『理屈』や『規則の暗記』ではなく、『イメージ』『フィーリング』なのだ、と力説されても、ちょっと待ってくれよ、と思う項目に、不定詞と動名詞の区別がある。
不定詞は前望的で未来志向、仮定的、未完了を表し、
動名詞は叙実的で、現実的、生き生きとした、完了を表す
などという説明がなされることが多い。根拠としてはD.ボリンジャーなどの研究に始まり、安藤貞雄などの論文で定着したのだろうか、最近では大西泰斗などが(異様に?)脚光を浴びているが、これだけで全体像を把握したことになるだろうか?

吉田正治(1998年,研究社出版)『続・英語教師のための英文法』のpp.7-18までに、「動名詞は叙実性のみを表すか」というタイトルで非常によくまとまった論考が示されている。advocate/acticipate/consider/discuss/contemplate/recommend/risk/suggestなどの例を挙げ、動名詞が「前望的・これからのこと」に言及することを示している。動名詞が『叙実性』を表すかどうかはあくまでも、主節の動詞の持つ統語的特性によるのだという吉田の言は非常に説得力がある。ただ、不定詞への言及は、「この構造が統語的に前置詞句に近いことを考慮に入れますと、toは到達点(goal)を示すゆえに、本質的に『前望的』といっていいようです。」となっている。(吉田がここで引いているのは Duffley & Tremblay (1994)だが、Duffleyの1992の単著The English Inifinitive, Longman ですでに子供が母語のsyntaxを習得する際に、不定詞を direction towardsの意味で習得しているというリサーチを示している。)
私が気になるのは、toを前置詞句として習得しているとしても、「到達点」=「結果」という意味で用いられる例はどう説明するのだろうか、ということである。
To my great surprise,
To my great joy,
さらには、結果を表す不定詞句の用法は「前望的」とは言えないだろう。
My grandmother lived to be 88.
The bomb threat turned out to be a false alarm.
He was dismayed to find that his daughter was pregnant.
何事も、過度の一般化には慎重でなければならないということであろう。