駆け込みで、パブリックコメント第二弾

駆け込みで、「次期高等学校学習指導要領(案)に対するパブリックコメント」の第二弾を提出してきました。

意見の提出方法
(1)提出手段 郵送・FAX・電子メール・電子政府の総合窓口の意見提出フォームから
(電話による意見の受付はいたしかねますので、御了承ください)
(2)提出期限 平成30年3月15日(木)必着

電子政府の意見提出フォームはこちらから。

パブリックコメント:意見募集中案件詳細
教育
学校教育法施行規則の一部を改正する省令案及び高等学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリックコメント)の実施について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000958&Mode=0

以下、第二弾の内容です。

件名: 高等学校学習指導要領案について
氏名: 松井孝志
性別:男
職業:高等学校教諭

意見: 高等学校学習指導要領案「外国語(英語)」に関して
意見の分類番号:(11)

「論理・表現」という科目の内容は、「英語コミュニケーション I」の内容に基づくものと謳われているが、技能統合・連関の観点で整合性を欠くものであり、根本的な見直しを求める。

「論理・表現」科目(I-IIIに共通して)においては、「話すこと(やりとり)」「話すこと(発表)」「書くこと」という領域における「内容」「言語活動」、「言語の働き」とその取り扱いに関する言及として「効果的に関連付け」や「総合的な指導」があるが、技能統合・連関に関しての基本的な枠組みが表層的、短絡的である印象が拭えない。


例えば、「書くこと」の領域において「表現」するものとして、「情報や考え、気持ちなど」が挙げられ、「論理」が求められるものとして、「意見や主張」が挙げられている。
では、その「情報や考え、気持ち」「意見や主張」の源となるものは、「聞くこと」「読むこと」の領域で示されている知識や技能とはどう関わっているのか、また、「話すこと(やりとり)」「話すこと(発表)」での聞き手としての知識や技能とはどう関わっているのかが不明である。


「論理・表現」で求められている知識や技能は、「英語コミュニケーション I」までに身に着けた(または身につけることを想定されている)知識や技能に基づいている、と記されているが、「英語コミュニケーション I」の「聞くこと」「読むこと」の記述のどこにも「論理」「論理的」「論理性」という文言はない。


一方で「英語コミュニケーション I」の「話すこと(やりとり)」「話すこと(発表)」「書くこと」の三領域では、「情報や考え、気持ちなどを論理性に注意して」という文言が共通して用いられている。これは、「論理・表現」という科目で主として扱う領域はこの三領域であるという表層的、短絡的な技能統合・連関の考えに基づくものではないか。


そもそも、「聞くこと」においては、「論理性」が全く問われていないのに、いったいどうやって「やりとり」「発表」での「話し手に求められる論理性」が理解され、定着すると言えるのだろうか?「読むこと」においては、「論理性」が全く問われていないのに、いったいどうやって「書くこと」での「書き手に求められる論理性」が理解され、定着すると言えるのだろうか?


技能統合や技能連関という目や耳に優しい「バナー」を掲げて済ませるのではなく、実態・実際の「言語運用」での、下位技能と発達段階に関して、言語教育の専門家の声を聞き、ガイドラインたるものを構築していただきたい。

この「論理・表現」の案を作った人は、よっぽど「ディベート」「ディスカッション」という「形式」を教室に入れたくて、それが「行われていさえすれば」それで満足なのだな、という印象です。

書くためには読めなきゃダメですよ。しかも論理性を担保して書くためには、少なくとも「論理性が高い文章を読むこことで、その論理性を高めている要因が何なのか」を学ぶ必要があるでしょう。私には「自明」なことも、「なぜ、そうだと言えるんですか?」と問う人とのギャップを埋めるためにはいくつものハードルを超えなければなりません。
今回の「案」を読む限りでは、そんなハードルなどないかのようです。
「ライティング」という技能に長く関わってきて、「書くこと」がそんなに簡単だったら本当にいいのにな、としみじみ思います。

本日のBGM: Perfect Production (佐野元春)