taking liberties

前回から約1ヶ月が空き、久々の更新となりました。
GWの連休明けに、「教えて!絶版先生」の第10回の締めくくりをしようと、安井稔先生の著作をあれこれ読み返していたのですが、GW前後の「英語教育」を取り巻く動きが「イヤハヤナントモ」という感じで、「第10回」は暫しお預けです。

連休の最後には、上京して「座談会」に出席してきました。
こちらにある書籍の「高校教員」として。私以外の座談会メンバーは皆さん、高等教育に携わる第一線の研究者ということで、大変刺激的な会でした。出版が楽しみです。


これからの英語教育の話をしよう.jpeg 直

5月の「英授研」は関東支部、関西支部が同日の例会開催だったのですが、関東支部で緑川日出子先生が講演なさるということで上京し関東支部の例会へ。
講演の中で、Michael Swan の著作を勧めていて、わが意を得たり、という思いでした。
過去ログだとここで紹介しています。

一週間の詩
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20121224

もっとも、私が駆け出しの頃に緑川先生に影響を受けているわけですからね。
非常勤になった頃に受けたご恩返しなど、これまで殆ど出来ておりませんが、英語教育において私のできる実作に励むことを肝に銘じて帰山しました。


先週末は、広島での「日本英学史学会」の研究例会へ。
県立広島大の馬本勉先生が、「令文社・学習英語辞典」にまつわる発表をされるという知らせを受け、これは千載一遇、とばかりに学会初参加。
日本での基礎語彙研究の歴史に関しては、馬本先生の研究にお世話になってばかりなのですが、今回の「学習英語辞典」に限っては、私のブログでの紹介が緒になっているとのことで、私の所有している、所謂「旧版」も持参しました。「新版」と二冊並べて見ることができるとは今まで思ってもいなかったので、感動。そして、研究の成果(の一端)にも感動。
Michael West の GSL を日本の英語教育へきちんとした形で移入した端緒が、「令文社・学習英語辞典」だったのではないか、そして、その中心となった人物が…、というスリリングな内容でした。

関連する一次資料をしっかりと集め、それを比較分析するというのは、研究者にとっては基本のキなんでしょうけれども、論文の「参考文献」でしかお目にかかったことのない資料の「現物」を拝見することもでき、「英学史」「英語教育史」に携わる方々の凄さを実感する一日となりました。

こうした充実の足跡の一方で、メディアを賑わす「英語教育」関連の話題には、アドレナリンが迸るやら、眩暈がするやら…。


小学校と中学校の新学習指導要領(案)に関するパブリックコメントの結果公表も終わった、と思った矢先に、「小学校英語」に関わる、トンデモな情報が漏れてきました。

5月25日の読売新聞朝刊では一面の扱い。流石に総理の広報紙。いつまで読めるかわかりませんが、リンクだけ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20170524-OYT1T50120.html

度肝を抜かれました。
施行規則を変えて、「総合的学習の時間」まで使って、授業時数をごまかした中で実施しなければならないようなものを「教科化」する必要や意義があるのでしょうか? 「教科化」も「前倒し」も白紙に戻すのが筋でしょう?
これって、「総合的学習の時間」って、実は何やったって同じ、何やったって変わらないんですよ、っていうオフィシャルな宣言でもあるんですから。
現行の「外国語活動」を必修化した時 (2011年) に、どのような理屈をつけていたのかを考えれば、「総合」の枠を食うような「外国語活動」や「教科」はありえないはずです。

パブコメはこちらからどうぞ。

小学校学習指導要領、中学校学習指導要領の改訂に伴う移行措置案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000901&Mode=0

時間割に入らないものをモジュールなどといってウヤムヤごまかしの見切り発車するのか、という「現場」に配慮したらしいのですが、あろうことか、「総合的学習の時間」の大枠から「外国語活動」「英語」に一定の時間を割いてもよろしい、という「容認」へと舵をきりたい模様。

時間数ばかりが問題ではありません。
資料にはこうあります。

・ 平成30年度及び平成31 年度の第3学年及び第4学年の外国語活動の指導に当たっては、新小学校学習指導要領の規定の全部又は一部によるものとし、新小学校学習指導要領第4章第2の2〔第3学年及び第4学年〕(1)イ(ア)及び(3)1に係る事項は必ず取り扱うものとする。【(i) 英語の音声やリズムなどに慣れ親しむ、(ii) 日本語との違いを知り、言葉の面白さや豊かさに気付く、(iii) 聞くこと及び話すこと[やり取り][発表]の言語活動の一部】

・ 平成30年度及び平成31 年度の第5学年及び第6学年の外国語活動の指導に当たっては、現行小学校学習指導要領に規定する事項に、新小学校学習指導要領第2章第10節の2の全部又は一部を加えて指導するものとし、新小学校学習指導要領第2章第10節の2〔第5学年及び第6学年〕(1)ア、同イ(ア)、同エ(ア)e 及びf、同エ(イ)並びに2〔第5学年及び第6学年〕(3)1イ及び同オに係る事項は必ず取り扱うものとする。【(i) 音声、活字体の大文字と小文字、(ii) 文及び文構造の一部、(iii) 読むこと及び書くことの言語活動の一部】

「新指導要領」での「外国語活動」「教科化」での時間割問題、教員確保の問題等、「見切り発車」がこれだけ問題視されているというのに、その見切りで発車する列車へと接続する「移行措置期間」の列車は、「総合的学習の時間」を食って時数のごまかしで運用しようという言語道断。

ここにある文言のうち「必ず取り扱うものとする」という意味、重さを皆さん理解していらっしゃるでしょうか?

平成30年度って来年度ですよ?
「文字指導」のノウハウって、共有されているの?
そんなにしてまで「教科化」したい人たちに聞きたいです。
何かというと、「伝えたい気持ち」が大事、「やりとり」のできる英語力を、などと言うんですけど、「伝えあい」で、話す内容が漏れないように、予め、キーワードだけメモしておくとか、「伝えあい」をしたあと、自分が相手から聴いた内容を忘れないようにメモする、とか、「書くこと」って、この入門期の段階でもかなり大変なタスクですよ。
そんな個々の児童の表現内容に対応した臨機応変な「メモ書き」ができるような「文字指導」までホントに出来るんですか?

無理なものは無理、無茶なものは無茶、と言わないと。土俵が相手の都合で勝手にどんどん狭められていくのに、いつまでも相手の土俵で戦おうとして苦しむのはいい加減に止めませんか?

「ユーシキシャ」はこんな暢気なことを言ってくれるだけです。

「中1」で英語を嫌いになってしまう理由
小学校教員が導く役割は大きい
http://president.jp/articles/-/21966

「外国語活動を3、4年生まで下ろして、そこで体験的に英語を学んだものをベースに、学区内で格差がないように5、6年生で基礎作り…。」というのだけれど、なぜ「学区内で格差がない」と言えるのですか?

・現状できちんと英語を教えられる小学校の先生ばかりではないので、夫々の小学校での取り組みとその成果にバラツキがあるのではないのでは?
・では、それが3、4年生に降りて行った後の、5、6年生の指導と成果が異なる学校間で均質になる根拠は?
・例のDVD教材が各学校各学年に揃ったら万事解決する?

いったい「誰得」なんでしょうか?


文科省の中の心ある方たちにお願いです。
せめて、土屋澄男先生の次のブログ記事を読んで考え直して下さい。

桐英会ブログ (土屋澄男)

<番外>書評:大修館書店『英語教育』6月号特集「小学校英語」
http://kiyofan.com/blog2/?p=2402

「コア・カリキュラムでの『コア』とは?」と「高大接続での英語外部試験への丸投げ大作戦」に関しては、また日を改めて。

本日のBGM: 勝手にしやがれ(沢田研二)