words to grow with

tmrowing2015-07-28

鶴見俊輔逝去。

93歳。

十代の頃に初めて、彼のことば、思想に出会い、今日まで、私が最も影響を受けた人です。
one of those ではなく、 by far the greatest inspiration というところ。
私よりも下の「世代」では、あまり影響力は強くないような印象も持っていますが、実際はどうなんでしょう?普段はあまり、そういうことは話していないということかも。

膨大な著作、言説が残されていますが、「ことば」に携わる仕事につく人に読んで欲しいのは何といってもこちら。

ちくまから復刊されているので、若い教師や学生も是非。

鶴見 俊輔 『文章心得帖』 (ちくま学芸文庫;2013年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480095802/ref=cm_sw_r_tw_dp_gltSvb188AN5Z

「言語表現」の教科書といってもいいでしょう。
「紋切り型」のことばを実感するのに数年、抜け出ようともがいてまた数年、抜き差しならない自分の中の「紋切り型」を受け入れられるようになってきたのが最近、という感じです。
この後に続く「言語表現」のテキストとしては、加藤典洋や高橋源一郎の著作でしょうか。

学級文庫には、

鶴見俊輔 『大切にしたいものは何? ?鶴見俊輔と中学生たち (みんなで考えよう)』(晶文社、2001年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794926510/ref=cm_sw_r_tw_dp_lG9Tvb020CYYH

鶴見俊輔 『きまりって何? (みんなで考えよう (2))』(晶文社、2002年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794926529/ref=cm_sw_r_tw_dp_HH9Tvb1DY7A3C

という、中学生との「対話」や、

鶴見俊輔編『日本の名随筆 (別巻97) 昭和1 』(作品社、1999年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4878936770/ref=cm_sw_r_tw_dp_SJ9Tvb0HRQXDQ

が入っています。
今思えば、『決まりって…』の表紙のイラストは、佐々木マキさんだったのですね。

2008年、当地に赴き2年目に、「山口県英語教育フォーラム」を立ち上げました。その時に考えていたことはあれこれありましたが、こういうのが多分下敷きにあったのだろうな、と今は思います。
どこからどこまで影響を受けているのか、皆目見当もつかないのですが…。

鶴見俊輔・小林和夫編『祭りとイベントのつくり方』(晶文社、1988年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794957904/ref=cm_sw_r_tw_dp_B-0Tvb1X2WSWD

巻頭言とも言える「祭りとイベント」で鶴見はこう述べています。(p.13)

原広司さんという建築家の『機能から様相へ』(岩波書店)という本の中で、建築上のファシズムの定義に出会ったんです。私の場合はファシズムを「ひきずられていく熱狂状態」というふうに簡単に定義したいと思っているんですが、原さんは建築上のファシズムを「部分のない全体」と定義しているんですね。うまいこというなあと思ったんです。昔、建築は「部分のない全体」はつくれなかったんです。ところが十九世紀の末から鉄筋コンクリートの技術などが発展してきて、のっぺらぼうの均質空間がいくらでもつくれるようになった。同じような空間がいくらでもつくれるようになったわけです。このことはイベントの構築にもかかわりがあると思います。
私たちの技術は一つ一つの空間の質を考えないでもいいような、大きな、同じ質の空間をつくれるようになりました。この技術は世界大の民主主義をつくりだす技術にもなりえます。しかし、それと同時に、これまでにありえなかったほど大きなファシズムの舞台を用意する技術にもなりえるんですね。

新国立競技場にまつわる大騒動を思い起こしました。

掉尾での、粉川哲夫との対話、「フリースペースとしての下町」 は印象的です。象徴的と言っても良い。鶴見のことばだけ引きますので、粉川とのやりとりは是非、この本をお手にとってご覧下さい。

いまいわれている「国際化」は、新しい鎖国のかたちであるような気がするのです。国力が大きくなってきて、そのゆえに国家としての障壁を厚くし、主に経済力を通してほかの国に圧力をかけ、いくらか富も分配するが、自分の国の影響を強くしていこうということ。つまり大正時代に戻ることが開国だという考え方があるのではないでしょうか。これは敗戦による開国からいえば、新しい鎖国のかたち、という気がするのです。
鎖国性が強まっていくのは満州事変以後で、大東亜戦争でさらに強くなるのですが、大東亜戦争の前の年に、沖縄に柳宗悦が行って、沖縄のことばを大切にすれば、この方言からダンテの文学も出るのだという話をします。
これはいかにも白樺的なアナクロニズムだと当時の東京の知識人はとったと思うのですが、そうじゃない。むしろ敗戦をこえて未来を指しているおもしろいかたちだと思うのです。つまり、いつも時代と対決する力を持っている。それぞれの地域の暮らし方としての文化が世界大の文化の創造性を担うという考え方ですね。
いま「国際」ということを「政府間」という意味に政府がずらし、なんとなくそれを受け入れちゃっている。しかし、そうじゃなくて「地域間」ととらえ直して、「インタナショナル」というものを「民際」性の意味でとらえる。そう考えると、そのひとつのきっかけとして下町をとらえると、「民際」的に日本の文化ができていくということではおもしろいのではないでしょうか。

この本が世に出たのは、バブル経済真っ只中の1988年。
その泡も、濡れ手の粟も弾け跳んで、もう四半世紀。
「グローバリゼーション」が「インターナショナリゼーション」に取って代わりました。ここでの鶴見のことばは、四半世紀を隔てたエコーでしょうか?

対談、というよりは対話の人、という印象が強い鶴見ですが、私自身、その資質はなかなかに身につけることはできていません。

一般の書店では販売していないものから一冊。ここでは「対論」としていますね。

小田実・鶴見俊輔 『手放せない記憶 ―私が考える場所―』(編集グループSURE、2004年)

は、その爽やかな「空色」の表紙とともに、記憶に留まりつづけることでしょう。
お問い合わせはこちらで。

http://www.groupsure.net/


喪失感は大きいのですが、しばらくは、いろいろと著作を読み返し、自前の思索を続けようと思います。

合掌。


さて、
英語教育』2015年8月号第二特集は「小学校での『文字と音の指導』を考える」でした。
かなり不満です。まず、「文字指導」のかなりの割合を占めるはずの、実際に「文字を書くこと」をどう捉えているのかが不明です。

扉頁で言及されている「文科省教材」の問題点はこちらの過去ログで既に批判済みです。

Look who’s talking!
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150407

小学校で「外国語活動」に携わっている指導的立場にある人たちにも、真剣に考えて欲しいのが「文字指導の問題点」です。
「教科化」を見越して、先取りして、特需をにらんで、いろんな「教材」が出るわ出るわ…、という状況です。

「密林レビュー」でも取り上げたこちらの「教材」は先ほどの文科省のサイトにあった「指導法」よりも問題を孕んでいます。

https://www.amazon.co.jp/review/R2A6Q3O5SHKUAF/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4523265305

「文字の認知」と「実際に手で書く」ということとの間の隔たりに、どうして誰も彼もが無頓着なのでしょうか?
その問題点が分かっている人の目には、「痛み」が見えるのでしょうが、そうでない人が多数派のようなこの状況で、小学校英語が教科化されてしまうと、もう手の施しようがなくなるのではないか、という危惧を覚えます。

このような「文字指導(での定見のなさ)」への怒りで忘れていたのですが、『英語教育』2015年8月号の第一特集は「ブックリスト」でした。
この『英語教育』という雑誌も、対象とする読者が、小学校〜大学までの英語教育関係者・志望者となってしまったからでしょうか、あれもこれもと欲張り、拡散しすぎで、「その一冊」の「肝」がはっきりとは伝わってこないように感じました。

特集で組まれていた本の多くが「英語」や「教育」に関する本なんです。

  • そりゃ『英語教育』なんだから当然だろ!

という人も多いでしょう。

でも、「英語教師」なら、指導法や英語そのものに関する本は「日常」で読んでいてしかるべきだと思うのです。夏休みとは名ばかりですが、それでも、スイッチを入れ替える、というような折り目をつけられるのなら、「英語」から少し距離をとって自分の住む世界を眺め直してみることが必要ではないかと。

  • 「英語」教師にこの夏読んでほしい10冊 として私が選ぶのなら、このあたりかな。

といって、「呟いた」のがこちらの写真。


まあ、3冊だろうが10冊だろうが、何冊指定されても選ぶのが難しいことには変わりありません。となると、この特集の執筆者で2頁割り当てられている人と3頁割り当てられている人とがいるのはなんだかなぁ、って気がします。

  • 分量は必要。

だから私は自分のブログで「教えて!絶版先生」という不定期連載を始めたんですけどね。


で、この手の特集で思うのは、

  • 毎月の「連載書評」の存在意義は?

ということです。

「ことば」「フィクション」「ナラティブ」「読書」「社会と権力」…。 他にも「英語教師」に読んでほしい本は、まだまだたくさんあります。ことばの教師のことばの土壌をいかに豊かにするか。そういうことを考え、議論する契機となる特集を望みます。

本日のBGM: everything I own (Boy George)