「教えて!絶版先生」第7回 Basic By Examples 

tmrowing2015-06-27

「教えて!絶版先生」も不定期連載とはいえ、前回からかなり間が空きました。自分の実作が上手くいかないのを棚に上げて、ブログだけ息巻いていてもダメですからね。地道に滋味滋養を心がけます。

ということで、第7回は、ちょっと毛色の変わった本をご紹介。

C.K. Ogden 著『Basic By Examples』

これは簡単に言えば、『例文集』になるのでしょう。
ただ、例文を選ぶ基準が、所謂Basic English となっています。初版は、1933年。私の手元にあるものは、1952年発行の第3刷のもののリプリント版だと思われます(判型はB5版、扉には、The Basic English Publishing Co., とありますが、このリプリント版そのものの正確な出版社は不明。かつては、新書判で、『べーシック短文例2734』という書名で北星堂からも出ていた模様)。
印刷がやや不鮮明ではありますが、充分使用に堪えるものです。

既に、Basic Englishやオグデン、GDM (Graded Direct Method) を知らない若い世代も多いでしょう。学習者だけでなく、英語教育を専攻する学生や院生、英語教師であっても状況はあまり変わらないかもしれません。

Basic English に関して、古くは、室勝氏や片桐ユズル氏の著書が書店にも並び、図書館の開架にも見られましたが、最近ではなかなか眼にすることが出来ないような印象を持っています。
一方で、I. A. リチャーズの『絵で見る英語』(English Through Pictures) のシリーズは、IBCパブリッシングからMP3での音源つきで今も市場に出回っています。

私は今でも、教材研究で、

The Basic Dictionary (『ベーシック英英いい換え辞典』、北星堂、1990年)
The General Basic English Dictionary (1960年初版、北星堂リプリント版1987年)

などを参照していますが、これらの本を中古市場で見ることも少なくなりました。

比較的新しいものというと、相沢佳子先生の書かれたものになるでしょうか。

相沢佳子 『850語に魅せられた天才 C.K. オグデン』(北星堂、2007年)
相沢佳子 『英語を850語で使えるようにしよう〜ベーシック・イングリッシュを活用して〜』(文芸社、2013年)

のように、直接、オグデンやBasic English に焦点を当てたものも出ていますし、

相沢佳子 『英語基本動詞の豊かな世界 名詞との結合に見る意味の拡大』(開拓社、1999年、新装版2008年)

のように、Basic English の「ような」考え方が、現代の英語学習や英語教育でも生きる(べき)ことが説かれているものもあります。

私自身が、Basic English を学び始めた頃は、「使用する語彙を制限することで、意味の表出での選択組み合わせが豊かになる」、という程度の認識でした。
自分の英語使用における「回避ストラテジー」の強化に役立ち、「思ったことが100%上手く言えない時に、他の簡単な表現で代替して70%位言える」ようになればいいなぁ、というような欲目で続けていたわけです。しかしながら、動詞が16しか使えないとしたら、どのようにして「意味」を形にしていくのか、という根本のOSで、やればやるほど、疑問と悩みが出てきました。
SVOでの人主語、モノ主語、前文脈を引き受けるコトガラ主語の選択や、目的語としての名詞句の限定表現、名詞のないところに名詞のかたまりを作り出すwh-語の働きなど、現在の「名詞は四角化で視覚化」実践が生まれるベースにもなっていますし、田地野彰先生の「意味順」との出会いで「これだ!」と思えたのも、Basic Englishを経験し、その背景を知っていたことが寄与していると思います。

今でも、850語という語彙の制限、統制に「違和感」や「拒否感」を持つ人は多いでしょう。
でも、「統制語彙」による段階的学習という考え方は、21世紀の現在でも「英語教育」の世界では広く取り入れられています。

ブームとも言える、所謂「多読」で広く用いられているGR (graded readers) は、統制語彙によって書かれています。では、この多読用教材における「600語レベル」「1000語レベル」 「1400語レベル」などというheadwordは、どのような観点で選ばれているでしょうか?また、600語レベルで使える文法項目と、1400語レベルで使える文法項目にはどのような違いあるのでしょうか?

また、英語教師で「英英辞典」の効用を説く人は多いと思いますが、定義・説明での使用語彙は辞書により差はあるけれども、「統制」されていることを知った上で勧めているでしょう。
では、LDOCE、OALD、MEDなど2000語から3500語程度の限られた語彙で、なぜ何万語もの定義や説明は賄えているのでしょうか?それに対して、なぜBasic Englishは850語という制約を自らに課したのでしょうか?

Basic English が英語教育に対して持っている今日的価値、教育的示唆を考える契機となればと思い、今回は、この『例文集』を取り上げてみます。

オグデンによるNote (はしがき) を全文転載します。当時の教材からの引用以外は、Basic Englishです。Basic Englishがいかに丁寧に言葉を選んで書かれているか、ちょっとだけ伺い知れるのではないかと思います。

This is based on a new idea in language-teaching. In place of word lists and rules, the learner is here given a number of examples of statements made in Basic English. Taking the 850 words in ABC order, all the uses they may have in Basic (other than the special uses, or ‘idioms’) are covered, so if anyone got these examples by heart he would, in theory at least, have a complete knowledge of Basic for use. That, however, is not the true purpose of the book, and for the normal person it would certainly be a waste of time. The suggestion is that, after working with The Basic Way to English or Basic Step by Step or The Basic Teacher, the learner will be able to make use of Basic by Examples for testing his knowledge; and it is hoped that this simple experience of the words in operation will give him greater control of the material of his new language. Some of the uses will be new to him and will have to be noted; others will have got these into his head, meeting them again will be a help in getting them to the end of his tongue and the point of his pen.


But Basic by Examples is not designed to be of use to the learner only. It will be of equal value to the teacher in the school-room. Quite commonly, when the language a person is teaching is not his mother tongue, he is put at a loss if requested to give examples. To the teacher who is not very expert, the examples given in this book will be a guide in such times of doubt, and with these before him, a number of other examples of the same sort will probably come into his head.

In framing these examples, the writer did not have a completely free hand, because the form of the book is made it necessary for them to be kept inside the limits fixed by a line of print, with the key word placed more or less in the middle of the statement. But care has been taken to see that, as far as possible, the examples given are part of the living language. It is very important for the learner to get into his head, from the start, word-groups which will be of use to him later. So frequently, however, his teachers make him say things which he would be laughed at for saying outside school hours. For example, in one much-used English-French handbook, a hotel servant is made to say to a newcomer, “Will you have the kindness to follow me?” In the same book, a man says, on meeting a friend, “I have the honour to salute you”, a statement which has probably not come from the lips of an Englishman for the last 100 years. A number of other examples might be given from books of this sort. Not all the Basic examples are of equal value for everyday purposes, but at least they may all be used by anyone who has reason to do so without making him seem foolish.

It will be seen that a number of the words have been used in examples which are designed to give light on their sense. This has not been possible all through, but statements like “Queen had a ring on one finger of her left hand” and “Estonia became a nation after the Great War” do not give much room for doubt.

Certain changes based on new rulings about the senses of the Basic words have been made in this printing, which is, for this reason, not completely in agreement with the 1947 printing of The Basic Words. It might further be pointed out that changes of use (name of thing used as name of quality, and so on) and the senses of words formed by the addition of endings are more fully covered than in earlier printings.

C. K. Ogden
The Orthological Institute,
45, Gordon Square,
London, W.C.1.

この「はしがき」の英文を現代英語のコーパスを利用した「視点」で計量化した、Text Inspectorでの 分析結果を載せておきます。


Text Inspector のサマリー

こちらが、リーダビリティスコア

Lexical Diversity

EVPによるCEFRとの対応表

AWLでの対応表

metadiscourse の分析

論理展開や結束性を司る語彙の内訳

CEFRでは、B1レベルくらいの評価となります。オグデンの考えていた "Basic" の語彙と、現代の「使用頻度」の統計に基づく基本語彙とは随分異なることが伺えます。

では、実際に、この例文集はどのような語の、どのような「生態」を見せてくれるのか、実物を眺めてみましょう。
まず、凡例といいますか、ボールドと記号について補足をば。

限られた語が多方面で活躍することが伺えます。

収録は、所謂「アルファベット」順となっています。ただ、ひたすら「例文」が並ぶだけです。ここからはDL可能なファイルを貼りますので、[↓] のアイコンをクリックして、内容を確認して下さい。

BBE a to after_1.jpg 直
BBE ant to at_1.jpg 直
BBE with no BASIC in it_1.jpg 直
BBE in_1.jpg 直
BBE in 2_1.jpg 直
BBE not KNOW but KNOWLEDGE_1.jpg 直
BBE on_1.jpg 直
BBE out_1.jpg 直
BBE window to working_1.jpg 直
BBE working to young_1.jpg 直

この2700強の例文から、学習者は何に「気づく」ことができるでしょうか?
解説もなく、理解確認の小テストも、自分で英文を作成する例題もないのです。

ここ十数年、高校生を教えていて感じることの一つに、

  • 練習問題が与えられないと、何が重要なのかに気がつかない
  • テストが課されないと学べない

という学習者の存在があります。
近年のクラスではくり返しこう説いています。

目の前に適切に用いられた英語がある、というときに、そこから何が学べるか、が大事。

この Basic By Examples という「例文集」で、「適切に用いられている英語」から何を学ぶのか?
basic というのが、単なる「入門」ではなく、「基礎」であることを痛感します。

Basic English という名を冠する言語体系、概念体系でありながら、basic という形容詞はその850語の中にはないことはさておき、動詞の数を制限していながら、動詞から派生したと考えるべき「名詞」にその意味の言語化を依存しているところなど、発達段階を考えると、初学者にとって、必ずしも「敷居の低い」、「覚えやすい」OSと言えないのではないか、とも思います。

例えば、know という動詞を使わずに、どのように「知っている」という意味を表わすのでしょうか?Basic Englishでは、限られた<基本動詞+概念を表わす名詞>の組み合わせで、「分析的」に表わす、として、

  • have knowledge of; be conscious of; be certain of

と言い換える、という趣旨はよくわかりますが、初学者がknowledgeという語を身につけるためにはknowという動詞に出会うことは必要ないのだろうか?knowという動詞を経験しなくてもよいのだろうか?という疑問は拭えません。

しかし、そのような疑念があってもなお、Basic English で書かれたこの例文集には、何か、可能性の「種」や「芽」のようなもの、別の比喩を使うなら、希望を見いだす「眼」の付け所がちりばめられているように思うのです。

「天才」と言える学者によって創出された言語体系であり、教育の観点からも、「教え込まずに、気づきを促す」という今風の英語教授法とは対局にあるように見えるのですが、その実、今風の教授法が説く「学習者における気づき」を成り立たせる「感性」のようなものが、このBasic English を学ぶことによって育まれるような気がしてなりません。

英語教育の世界の外からも中からも、激しい風に吹きさらされつづける学校現場ですが、今、本当に必要なのは、「しっかりとした拠り所となる考え方」、「長続きする」「息の長い」言葉に対するアプローチなのだと思っています。

Basic の基本動詞や、方位詞(空間を表わす前置詞や不変化詞)に関する考察は、上述の相沢 (2013年) に詳しいので、是非、そちらを併せ読んで欲しいと思います。

冒頭の写真のDL可能なファイルはこちらに。
Basic & Aizawa.jpg 直

最後に、この例文集との直接の関係はありませんが、ウィトゲンシュタインがオグデンに宛てた書簡集に収録されていた、オグデンからウィトゲンシュタインへ宛てられたファクシミリの写真を転載しておきます。拡大すれば、直筆のメモも読めると思います。

Letters1.jpg 直
Letters2.jpg 直
Ludwig Wittgenstein. (1973). Letters to C.K. Ogden, RKP/Blackwell より。

本日のBGM: small good things (山田稔明)