8月8日の金曜日、雨ザーザー降ってきて…。

昨日は、昨年に続いて「広島大学オープンキャンパス」へ。
高2と高1の生徒引率。
私は、所謂「教英」へ。
柳瀬先生にご挨拶。
同僚の国語の先生も、柳瀬先生のお話に頷くこと頻り。
現任校での教育方針内容の先に求めるものとしては大変良いと思います。
あとは、基礎学力の養成ですね。
頑張りましょう。
お昼は、大学近くのお好み焼き屋さんで「スペシャルS」を。流石に「W」にはしませんでしたが。

行き帰りのバスの中で、「グローバル化」と「英語教育」と「発信」について考えていました。
こういうキーワードが並ぶと、直ぐに「ディベート」をしたがる人が多いのはなぜ?個人的には、「ディスカッション」の方がまだ肌に合うというか、で、結局は「ライティング」ができないとね、という具合に「振り出しに戻る」わけです。
ディベートの「立論」で本当に「論は立っているのか?」ということも気にはなりますが、その前提となる「論理的思考」となると、とかく余りにも単純化された「トゥールミンモデル」がお手本として蔓延しているようで心配です。

随分と古いエントリーですが、過去ログで言及しているので参照されたし。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060816
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061114

問題点を掘り下げる、立論をする、論拠を築く、根拠を示すなどなど、必ずしも「トゥールミンモデル」に当て嵌めなくても意見を交わし、熟慮し、議論するということは可能であると思います。まして、教室で成立が可能な「ことばのやりとり」と「思考」となると、単純なモデルに頼るだけでは上手く行かないのでは?と思います。
少々長いですが、次の一節をお読み下さい。

In most advanced English courses, time is usually set aside for conversation lessons. These can be the most difficult and most unrewarding of all the lessons the teacher is called upon to conduct. The root of the trouble is that the teacher cannot predict the course of each lesson. He sets a topic and then attempts to stimulate a class discussion by asking questions, suggesting ideas and so on. How the students will respond depends very much on their maturity, general knowledge, range of interests and command of English. It depends, too, on personal factors like shyness or sociability, etc., and even on such things as the time of day and the mood of the class. With some classes, teachers may find that they fail to get any response at all and are finally driven to abandon conversation lessons altogether. With others, the conversation may always be dominated by one or two students, while the teacher spends most of his time coaxing reluctant members of the class to join in. Whatever the case, the conversation lesson tends to be a random, unprogrammed affair over which teacher has little control. More often than not, time is needlessly frittered away and nothing effective is added to the student’s knowledge and skill.

これは、
L.G. Alexander, 1968, For and Against, Lomgman
の前書きに当たる部分の抜粋です。
古い「時代」とされる英語教育理論に基づく指導手順ではありますが、当時の最先端であり、しかもベテランの教師による現場の「臨床の知」が反映された指導書だと思います。

今風の指導・授業を進める場合に、その発達段階の中で、教師も生徒も、始めてからどのあたりで、どのくらいの経験を経て、この「時代」の取り組みを超えているのか、よく考えて見たいと思うのです。

と、これを書いている今、徳島にいます。

  • 全国英語教育学会・徳島大会

英語教師29年目にして、初の「全国大会」参加。
本業でG大のコーチをしている時は、インカレ前の合宿だし、こちらへきてからも、インターハイや課外講座など、お盆前のこの時期に、生業の英語教育の大会に出ることはなかったのでした。

今年は?
本業の成績がパッとしないので、初参加の条件が綺麗に整ったという次第。
嬉しいやら悲しいやら。

新幹線で岡山まで、昼食を調達してから、なんとかライナーに乗り継ぎ、さらに在来の特急で徳島まで。
降り出した雨の中ホテルを目指すも、同系列の別な店。
送迎車で送ってもらいようやくチェックイン。
生憎の台風直撃の予報で、当日のプログラムはもちろん、前夜祭も気もそぞろです。
まあ、「阿波踊り」の本場ですから、その「心意気」を存分に学んできたいと思います。

では、徳島でお会いしましょう。

本日のBGM:一回休み