「もどき」と「ごっこ」

先日の「自動詞性・他動詞性の話し」 (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20140510) の続編。
車中の問答からミニレクチャーという流れだったのですが、その後、生徒は自分で考えて類例を調べた模様。日誌から抜粋。

自動詞…夜明け、日差し、身動きなど
他動詞…稲刈り、皿洗い、薪割りなど
修飾する語が、終わった状態を表す他動詞…田植え、目玉焼きなど

惜しい。分かること、分かるところまでで自分の学習が終わっていて、「これはいったいどう考えればいいんだろう?」っていう、迷い所・悩み所・躓き所まで立ち入ってはいないのですね。でも、初めの一歩くらいにはなったでしょうか。もう一踏ん張りです。

中間試験も始まり、終わりました。って、すごい書き方。最近は1週間に一回くらいの更新頻度なので、こういった振り返りは、このブログで初になるでしょうか?

高3は、昨年度から『話せる音読』をやってきて、あのレベルの英文であれば、パラフレーズや要約をする基礎体力は身についてきた感じ。『話せる音読』は、もともと「センター試験」の<ディスカッションもどき>の劣化コピー演習が嫌で代替措置を探していたときに浦島先生から「新刊が出るよ」と教えて頂いたもの。期せずして、200語程度の平易でまとまった英文素材が「染み込む」教材として、高2〜高3の授業で使っています。密林のレビューも是非。

http://www.amazon.co.jp/review/RMZONPTHYMTP5/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4534048742

良い方向に進んできたとはいえ、全体で見るとセンター試験レベルをどう使いこなすか、というところにはまだまだまだハードルがあります。
「診断テスト100」に基づくテストは、選択問題もあるので満点も。でも、ここからが自分の学習ですから。同僚が担当している「受験演習」も含めて、授業でやっていることをバラバラにせず、噛み合わせる、つなげることが大事。夏からは、私のコマでも、「頻出問題演習モノ」も入ってきますから、それまでに「健全な基礎体力と運動性能」を身につけましょう。

高2は2単位のコマなので、『コーパス口頭英作文』と、ホワイトボードシリーズのみ。悲喜交々。
1年の時に「意味順」をやっていることの「意味」を考え、体現しましょうね。

看護科の2年は、今回、大問毎の自己評価と、今後の抱負も書いてもらいました。
今年から副教材にしている投野先生の、『フレーズ連結英作文トレーニング』も範囲に入れています。これがなかなか好意的に受け止められていて、教材を選んだ者としては嬉しい反応。
ある生徒は、次のように書いていました。

『白い教科書』がとてもわかりやすく、引っ張り出すヒントや順序も書いてあって頑張れました。

「白い教科書」って、ガンダムか?
別な生徒は、

思ったよりできた。この文を正しく記号付けができるようになるまでやりたい。(大問 IV)
何度も読んで書いていたのでできた。これも記号付けができるようになりたい。 (大問V)
少し苦戦した部分があった。対面リピートをもっと積極的にしたい。 (大問VI)

というコメント。実際に授業中に、音読、 Read & Look up、対面リピートを経て、チャンクの中、またはチャンクに跨る記号付けを確認させています。その後、個人でのトレーニング。こういった授業の流れを活かせる生徒は伸びが大きいです。というより、流れを活かさせないとね。
この教材はトラック数が多いためCDではなく、音源はダウンロード。大変だけどフレーズ練習には絶対に必要です。1項目4例文、チャンクで組み立て。4つの例文のうち、一つは結構難しかったリするので、初級者だけでなく、中級者 (を目指す人) にもオススメです。ということは、日本で英語を学ぶ大多数の人に当て嵌まるということなのでは?

今日のエントリーのように、教材の紹介をすると、検索ワードにそのような教材名がずらーっと並びます。「呟き」の方に書いたりすると、日向先生などフォロワーの多い方のRTでさらに増えたりします。
もし、私のブログ記事から英語学習や指導のヒントが何か得られるとしたら、参考書などの「教材名」で検索するよりも、こういう記事を読んだ方が絶対にいいと思うのだけれど、そうはならないんですよね。「絶版先生」足る所以でしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/files/2013_kagai_03_28.pdf?d=download
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/files/matsui_kagai_2013_03_22_ver2.pdf?d=download

この課外講座のシリーズだけでも、英語という言葉の「運動性能」が感じられると思いますよ。

さて、
有識者会議の第3回資料、ようやく大津先生の資料が読めました。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/102/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2014/05/14/1347389_03_1.pdf

今日のエントリー冒頭でも引いた、「母語の礎」というのでしょうか、確かに危うさは日々感じています。「幼い頃」に当然、通過し、経験しているはず、という「思惑」「想定」が当て嵌らないことの方が多くなりました。
大津先生の「中締め講義」の時に、私も、柳瀬陽介先生も「オノマトペ」を取り上げていました。確かに、母語における、音韻、意味という「礎」を形作るには蔑ろにはできないものだと思います。ただ、私は錚々たる言語学者の前で、「モモクロ」の『常夏フレーバー』を流したわけですが、そこでの意図はほとんど理解されずに今日に至っているように思います。

歌詞の中で、「どこ、そこ、ここ」という語彙の「そこ」から、サ行の子音を取りだし、「さ・し・す・せ」と畳みかけるとき、「し」だけ、子音が異なります。それに対して、「どこ」から、ダ行の子音を取り出すはずのところは、「だ・ぢ・づ・で」とはならず、「だ・じ・ず・で」にもならず、「ダディドュデ」と、英語で言えば /d/ の子音と母音の結合になっているのです。けれども、そんなことはほとんどお構いなしに、ノリノリで、「子個々国庫」いや、「ココココッココッコッコー」とサビに突入しているところを振り返って、「オノマトペ」って「カトちゃん、ぺッ」くらいのものじゃないの?というように自分の足元を揺すぶることも大事ですよ。

という受け止め方をしてくれた人が一人でもいてくれたら幸せます。
ことほどさように、外国語学習で、母語との比較対照で何に気づかせるか、こちらとあちらの双方に掛ける足場、橋を見きわめるのは難しいのです。
ちなみに、「中締め講義」の際に、私が取り上げた作家は、五味太郎と二宮由紀子でした。

本日のBGM: A Moment Of Clarity (原田知世)