Program Components

『英語教育』1月号を読む。
特集に関しては、浅野博先生や江利川春雄先生のブログで取り上げられているのでここでは多くをコメントしない。
一点だけ、鈴木貴之 (駿台予備校講師)による、

  • 大学入試問題は今 最近の傾向を分析する(pp. 32-24)

のうち、最後の項、「自由英作文の増加」に関して、私見をくり返しておきたい。

鈴木氏は「頻出テーマ」に関して論じている。

先に述べた読解問題における頻出テーマと重複するものも多い。つまり、大学側では、現代世界を生きる若者にはそうした現代世界におけるテーマに特に関心を向けて欲しいと考えていることがわかる。

という結論からは、実際の「自由英作文問題における問題点」は見えてこない。
そのような頻出テーマについて、指定語数で「つながり」があり「まとまり」を備えている英文というものが、いったいどういうものであるのか、大学側からも、指導要領でも、示されていないということである。否応なしにというか、渋々、所謂「受験産業」から提供される「模範解答」なるものに、「受験生」だけではなく、受験生を持つ高校教師でさえも影響を受けているのが現状である。
この「解答となる望ましい英文像が共有されていない」ことにこそ、問題のほぼ全てが集約されると思う。

最近出版された「作文」関連の教材で、「自由英作文」が扱われているが、その解答例の英文に、あまりに難点が多いので驚愕している。

  • 小倉弘『体系英作文』(教学社、2013年)

既に、『和文英訳教本 自由英作文編』(プレイス、2012年)の解答例の英文に対する疑義はこのブログでも、密林のレビューでも示してきた。さらに、最近では、Inoue Hiroshiさんのブログ「英語教育再生プロジェクト」でも取り上げられているので、一読されたし。(※2016年3月現在、「英語教育再生プロジェクト」は全てのデータが削除され、リンクも切れています。このエントリー執筆時期にはまだ存在していましたが、先方の都合で削除されているようですので悪しからず。)

過去ログは、こちら。

密林レビューはこちら。

「英語教育再生プロジェクト」のリンクはこちら。
その1

その2

その3

今回の新刊でも、自由英作文の例題として、「早婚・晩婚」に関する意見表明の課題がある。(解答解説は、pp. 168-169)

その意見のうち「早婚派」の解答例は、『…教本』の英文のままである。 (two reasonsにtheは書き加えられたが)
今回、新たに英語ネイティブの校閲が入っているのだが、ここは何も指摘されなかったようだ。
新刊では、「晩婚派」の意見も加わったので、見てみたい。

I think that getting married late is better than early.

I often hear about young couple’s divorce these days. One of the main reasons is that they no longer endure their marriages. Another is that they are incompatible with each other. Young people are inexperienced, so they are not mature enough to consider their partner. Rather, they are apt to be self-centered. On the other hand, many things have been said about marrying a person who is much older recently. This is probably because an older, experienced partner can accept everything of his or her younger partner and play a leadership role.

Getting married means accepting your partner’s defects as well as their advantages. You shouldn’t marry anyone unless you like your favorite person’s drawbacks. It takes years to recognize what marriage is all about. (135 語)

例によって、一文一文は「英語」のようですが、「論理」は繋がっているようには思えません。
トピックセンテンスの一文目、thanの後の省略は自明とするのはいいでしょう。
第2段落の、理由付けで、「最近の事例」を述べるだけで、「持論の支持」ができるでしょうか?
私も「成田離婚」や「熟年離婚」ならよく耳にしましたが「若年離婚」はよく分かりません。そして、その「最近の事例」の理由説明、という流れになっているところが「?」です。しかも、その理由付けの2つが、

  • これ以上結婚生活に耐えられないから
  • お互いの性格の不一致

というのです。これは、理由1の原因が理由2というだけのことではないでしょうか?
理由付けに続いて、

  • 若者は経験不足であるから、お互いの相手を考慮するのに未成熟である。

というのですが、inexperiencedもnot mature enough も「主観的形容」であるから、観点・基準などを示さないと何の説得力も持ちません。簡単に「経験不足」と言いますが、誰でも最初は初婚ですよ。著者は、considerを「思いやる」という意味で用いているようですが、その部分にも些か「?」です。Merriam Webster’s Essential Learner’sでいえば、

  • to think about (a person or a person’s feelings) before you do something in order to avoid making someone upset, angry, etc.

というような意味合いでしょう。

  • Rather

で、「そうではなくて」「もっとハッキリ言えば」という副詞は、それまでに述べたことを打ち消したり、却下したりして、それに取って代わる、より適切な情報を示す際に用いられますが、ここでは、何を却下して、言い換えているのでしょうか?「経験不足」?「未成熟」?「自己中心的」な性質が、若者に顕著に見られるものなのでしょうか?この部分にこそ、サポートが必要なのでは?
この段落では、さらに深く考察がなされます。

  • On the other hand,

「その一方では」といって、対照的な内容が続くのですが、この後の情報は、いったい何を「支持」するものなのでしょう?
まず、「自分よりも随分と年齢が上の相手と結婚することについて多くのことが言われている」というのですが、所謂「芸能人」の「歳の差婚」の話しでしょうか?そうでなければ、誰についての事柄が普遍性を持つ一般論として取り上げられているのでしょうか?
もっと問題なのは、

  • an older, experienced partner can accept everything ….

で持論を支持したつもりでいるようなのですが、「年上で、経験のある人は、より若い結婚相手の全てを受け入れることができ、先導的役割を果たすことができる」という文は、「晩婚派」の意見を支持することができないでしょう。(半年でも10年でも、生まれてからの時の長短でolder/youngerとなることは、この際脇に置いておきます)
なぜなら、片方が歳が上ということは、もう片方は歳が下ということなのですから、その「受け入れてもらう側」からしてみれば「早婚」ということになるではないですか。
もう、結論部分を吟味する必要もないでしょう。
この「晩婚派」の観点、切り口には見るべきものがあるのです。「早婚・晩婚」を考える際に、とかく「自分が結婚するとしたら」という片方の立場で考えがちなのですが、それを「結婚は相手があって初めてできるのだ」という土俵まで立ち返るチャンスを与えてくれるからです。しかしながら、そうであれば、そもそもの「立論」の段階で、

成功する結婚生活に必要なものは「年齢」ではなく、人生経験からくる寛容さであるから、早婚か晩婚かが問題なのではなく、法的年齢で結婚が認められる者同士が、何度でも仕切り直しができる社会的合意形成である。

というような、「お題」の「卓袱台返し」のような意見にならざるを得ないでしょう。

疲れましたが、頑張って、本題の『英語教育』誌の話しに戻りましょう。
私が注目したのは、「リレー連載:英語教育時評」(p.41 )
今月の執筆者は加藤京子氏。
「生徒のための中高連携を」と題して、

  • 中学校で指導を始めるべきであり、中学生にも必要であり、生徒にとっては円滑な中高連携のために必要な学習

を5項目にまとめています。
私が一番関心を持って読んだのは、

  • 5. ディスコースの重要さの認識

ディスコースも英文を観察する視点として指導すれば、中学1年生でも理解できる概念である。考える習慣がつけばひとまとまりの英文の文の配列の間違いや内容の過不足にすぐ気づくようになる。ところがそういう視点を持たずに高校生になってしまった生徒は、魅力的な英文エッセーに溢れている高校教科書を味わえないでいる。3行エッセーが書けないでいる。

最近感じている新課程一期生の英語力プロファイルが思い浮かびます。

  • 「ひとまとまりの英文」感覚の欠落。

とでも言うのでしょうか。英文の「つながり」「まとまり」を把握する力が著しく劣っているように感じています。この脆さというか、弱さというか、英語力のプロファイルの歪さは、今風の英語教育の脆さ、危うさが表れてきているものなのか、気がかりでなりません。
この加藤先生の時評を読んで、

  • 『多聴多読マガジン』(2013年12月号、コスモピア)

の特別記事を思い出しました。

「新・多読三原則」をめぐって (pp.40-48) と題した座談会。
話をするのは、日本多読学会の主要メンバー、高瀬敦子、西澤一、古川昭夫、繁村一義。
新・多読三原則というのは

  • 英語は英語のまま理解する
  • 7〜9割の理解度で進む
  • つまらなければあとまわし

というものです。
古川氏の発言から引いておきます。

もともと多読三原則で飛ばし読みと言っていたのは、わからないところを飛ばして、わかるところをつなげて読みましょうという趣旨だったわけです。「すべり読み」っていうのは上すべりをしてしまうということです。表面上読んでいるふりになってしまっている。
あと私の個人的な経験ですが、親が熱心で小学校のときに100万語以上読んだという子がクラスにいるんですけれど、難しいことに完璧な「すべり読み」でした。今までに読んだことがある本は読みたくないっていうのですが、やさしいものから読んでもらいました。「すべり読み」の場合、本人としてはある程度読めているつもりで、そこそこ楽しんでいる。

実際多読したのにTOEICの点数が全然伸びないっていう大人の方もいるじゃないですか。でも、その人に聞いてみると、飛ばし読みして自分は楽しんではいる。本人いわく、日本語だったら7割墨で塗られていても内容はわかる。だから英語もわからないところを飛ばしていても、ストーリーはある程度想像できちゃう。けれども、これでは英語の力は伸びない。

私がさっき言った人は、TOEICで600くらい。何万語読んでも全然そこから上がらない。でも彼女に1冊読んだ後にストーリーを聞いてみると全然違う。本人は楽しんでるんだけれど、ストーリーはかなり違っている。そういうこともあるので、楽しむ分には全然問題ないけど英語力を上げるためにはやっぱりある程度細かく読まないと、と思います。つまり、飛ばし読みと言っても7割から8割ぐらいの理解度で読まないとやっぱりだめなんじゃないかと思います。

私がこのブログで指摘してきた、今風の「多読」の」危うさをしっかりと認識しているという点で、古川氏は多読に対して柔軟な捉え方ができていると感じました。
(過去ログ参照: http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20131004)

この特集記事は、この古川氏の発言の他にも、それぞれの「多読」観、「言語習得」観の違い、重なり具合のズレが浮かび上がるようなところもあるので、「多読」に興味関心の高い方たちだけでなく、英語教育に関わる人たちに是非読んでもらいたいと思います。


さて、
世間ではクリスマスの喧噪。
フィギュアスケートでは全日本選手権。
涙なしには見られない大会となりました。
もう少し冷静になってから少し書こうとは思いますが、ロシア選手権も始まるので年明けになるかもしれません。

本日のBGM: Child of mine (Carole King)