『人生万歳!』

週明けの実作は、進学クラスを中心に。
1年生は「つながり」の話。安田先生の特別授業で扱っていただいた「能の(語りの)基本構造」を踏まえて、「話型(形)」の話。
『基礎英語3』の前半ダイアローグ通読で、理解度・定着度の温度差を4段階で自己診断。

  • OK、どちらかというとOK、どちらかというとダメ、ダメ

で、次はどうするかを自分で決める。

  • どちらかというとダメを、どちらかというとOKへと移行させるために、「何か」をする。
  • どちらかというとOKを、OKへと移行させるために「何か」をする。

2巡目、3巡目の取り組みも人それぞれ。
2巡目に行かないという選択肢もあり。
後半のダイアローグで、同じように4段階の自己診断、というのでもいいのです。
紙漉きのように、油絵でキャンバスに絵の具を重ねるように、蒔絵の漆塗り段階のように、繰り返しているようで、その都度違う営みが、これから為されるのであれば、ですけれどね。

今日の1コマは、吉田ルイ子の『ハーレムの…』の文庫版から一節を私が読み上げ、文庫とその元になった単行本に加えて『ハーレム』の写真集も含めて回し読み、時代の空気を想像してもらう時間。「キング牧師」シリーズを振り返り、咀嚼することにも役立つだろうという欲目です。ネット上の動画よりも、モノクロの写真集の方が時代の空気を切り取っているということが確かにあるので。(過去ログ参照: http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070122)

高2は、「分詞」で表される「映像的表現」のパターンを例文で確認。「分詞構文」とか「付帯状況」とか、用語以上に、「実際の絵」「場面」「心情」を実感し(たつもりになっ)てもらう、疑似体験とでも言えばいいでしょうか。高校段階で出会うであろうパターンは概ねカバーしていますが、これを必死になって暗唱することよりは、左から右に読み終わった時、耳で聞いて聞き終わった時に、「頭に絵が浮かんでいる」ということが大事。そのために「L板」があります。

例文の中に、Oliver Twistの一場面があった(というか、私が入れた)のだけれど、そこでは直ぐに絵が浮かんだはず。語彙を易しく書き換えて、難易度の高い語彙を避けたとしても、この分詞での描写はなかなか使わずに済ませるのが難しいので、早い段階で出会っておくことにはそれなりの意味があるでしょう。

今日の高2スモールトークは、『多聴多読マガジン』の紹介から。

  • 隔月刊

を英語でなんというか?「月刊」のmonthlyから、「自転車」を経て、bimonthlyへ。信用しない生徒がいるので、辞書で確認。ちゃんと出てるでしょ。

  • 私の言っていることは、半分は口から出任せだけれど、半分は正しいからねっ!

と言った直ぐ後に、

  • でも、問題は、「今聞いている話」がどっちの半分なのか、直ぐにはわからないってことですね。

と冗談で応戦。
続いて、

  • この雑誌、最初は「季刊」だったんですよ。

といって、3ヶ月に一回、年4回の発行、を英語で何というかを問う。

  • 一年を4分割だから、四分の一は?

とヒントを出して、quarterly へ無事着地。信用しない人は、自分で確認です。
この雑誌はCD付きで、定価は1380円。1月当たりで考えれば690円と、700円しない計算です。高いと見るか安いと見るか。友人二人で共同購入して、ひと月ずつ読んで聴いて、でもいいんですよ。
特集記事以上に、連載記事が「更なる読み」へのtrailerであるだけでなく、学習の名trainerとしての役割も果たしますから。

今日、力点をおいたのは、

  • bimonthlyはそれよりも小さな単位を集める発想からできている語で、quarterlyは大きな単位を小さく分割する発想からできている語、というように「ことばの作られるしくみ」は一筋縄ではいかないのだ、ということを弁えておくことが大事。

ということ。語源に分解したり、起源・由来を遡ったりしたところで、どこかで「解釈」を交えることを余儀なくされるわけですから、無理を押してまで源泉を突き詰めようとするよりは、「その都度しみじみ」というのが私の場合は一番肌に合っていました、という経験談です。

実作本編は『話せる音読』の新たな課へ。ようやく、Story 10。冒頭ではなく、教材の真ん中まで来たところで、

  • サマリーの作り方

というアドバイスのコラムが登場。浦島さんの教材が進化したことがよく分かる、良い作りです。
授業では、Storyの本文中で出てきた、”mind” を取り上げ、語義把握における「訳語」の危うさの講義。この文脈だと “memory” でも良さそうなのだけれど、ここでの mindを気にかけておくことは大事だと思ったので、辞書を引かせて確認しつつ、「過去ログ参照」の指示をしておきました。

「授業日誌ブログ」様々です。定期試験前だけじゃなく、先輩たちが何を、どのように学んできたのか眺めてみるのもいいものですよ。「ネタバレ」大いに結構じゃないですか。

高3は、expository writing で、cubing を導入。私の実践では、1990年代には、cubingを用いたアイデアジェネレーションをライティングのシラバスの中に位置づけ、研究会などいろんな機会に紹介していました。GTEC Writing Training (ベネッセコーポレーション) を世に問うたのが2006年、そのテキストでも大きなウエイトを占めています(この通信講座は既に閉講なので、正確には「占めていました」ですね)。2008年に出版の『パラグラフ・ライティング入門』(大井恭子先生、田畑光義先生と共著、大修館書店)では、pp. 49-50で簡単に触れられていて、第4章の高校編では、実際の私の授業で使った題材例と生徒作品を示しています (pp. 161-180) ので、ぜひ一度お読みいただければと思います。
アイデアジェネレーションは、ただ拡げるだけではダメで、絞り込み (= selection) が不可欠。さらには、出てきたアイデアが目標言語での表現語彙と結びついてこそ真価を発揮するので、今こそcubingの効用を見直す時ではないかという感じがします。最近出た『多聴多読マガジン』(2013年10月号、コスモピア)大特集の「説明のためのテンプレート」(pp.24-25) で説かれていることの殆どは、cubingでカバーできます。GTEC Writing Training では段階的に習熟できるような練習問題もついていますので、チャンスが有れば某オークションなどで古書を入手されて下さい。私の過去の講習会で、このテキストを入手された方は、「活用」して下さいますようお願い致します。

放課後は、文化祭の「合唱コンクール」にむけた合同練習。進学クラスは1クラスの定員が少ない超少人数クラスなので、1年生から3年生まで合同で、3年生の部に出場します。
昨日は、幸運にも、私が担任していた時の卒業生が久しぶりに訪ねてきたので合唱指導をしてもらいました。高校時代はブラバンでブイブイ吹いていて、大学では教育学部の音楽専攻。県の教員採用試験 (音楽) で合格した報告にきてくれたのでした。現役で一発合格ですから、優秀です。
「先輩」の的確な指導のお陰もあり、合唱もそれなりに形になってきたような気がします。多謝深謝。

さて、
授業でも生徒に話したのですが、某外部試験絡みのセミナー案内が職場に来ました。主任から回ってきたものです。
よくわからない肩書きのついた、誰でも知るグローバル人が講演をするのです。その講師のお一人のタイトルで「…グローバル人材育成への挑戦」とあったのが物凄く気になりました。

  • 挑戦者か…。

もし私が挑戦者としてその戦いに勝ったとしましょう。その時その戦いに負けることになる「チャンピオン」っていったい誰?何?まさか、「グローバル人材育成」そのものを倒す訳ではないでしょう。もし、「仮想敵」をつくるとすれば、「グローバル人材育成を阻むもの」であるはずです。一見、というか一聴、耳に心地よい言葉を使ってはいますが、そこで用いられている「戦いの比喩」は適切に機能していないわけです。一日も早くこの手の不毛な「戦いの比喩」から抜け出しましょう。煽りの言葉、といっては言い過ぎかも知れませんが、そこに潜む「モダリティ」を読み取ることが、不毛な比喩から脱却するための鍵だと思います。

「仮想敵」といえば、学校教育、中でも英語教育の批判では、「旧態然とした英語教育」を語る「紋切り型の言説」が後を絶ちません。先日のエントリーでも「文法訳読」とか「英文解釈」に言及しました。
『多聴多読マガジン』が、季刊から隔月刊に変わった、最初の号 (2008年4月号) が私の手許にあります。酒井邦秀氏が書いている、

  • 「多読」と「文法」の関係、あるいは無関係 (pp. 143-145)

という特別記事では、「文法」について持論・持説が展開されています。
同号には、他にも、Richard R. Day氏の「多読をより効果的にするために」と題された講演が収録されていて (pp. 162-167) 、「文法訳読」を簡潔に纏め、批判しています。このDay 氏の講演は、その後、林剛司氏が著書『楽しい英語「多読」入門』 (丸善プラネット株式会社、2009年) の中で「旧態然たる日本の英語教育」と題して持論を展開する際に、その持論の拠り所として引用しています (pp. 21-22)。

私は、そこで「仮想敵」とされている指導法が未だに「主流」であるというのに驚くばかりです。また、そこで「旧態然」と描写される指導法が、「本当に昔はそう教えていたのか?」という疑念が浮かぶのです。私が気にしているのは、このブログでも再三指摘していますが、「古いか新しいか」ではなく、「本当に読めていますか」ということであり、その「本当に読めたか」を確かめる方法論の貧弱さを克服することです。
「旧態然」と十把一絡げに断罪する前に、過去ログの

で再録している拙稿「英英の弱り目、和訳の効き目」に目を通して欲しいと願うばかりです。
私の話しは「聞くに堪えない」という方は、雑誌『英語教育』 (大修館書店) のQBを担当されている、真野泰さんの回答をお読みになることをオススメします。語彙力、文法力はもちろん、辞書、和訳、翻訳、コーパスなど、今使えるものを総動員して「読む」だけでなく、想像力、感性、生身の身体感覚などを忘れないその姿勢には毎回「学ばされて」います。
”Whatever works” でいいじゃないですか。

本日のBGMの代わり: Whatever Works―Official Trailer