repechage

tmrowing2013-09-17

連休の最後の月曜日、午前中は木島始の作品を読み返していました。
今ではどのくらいの英語教師がこの名前を覚えているのでしょう。
午後は、石原吉郎『望郷と海』(みすず書房) を再読。

私の手許に一枚の写真がある。ありふれた外国映画のスチール写真だが、いまだに私はその場面に奇妙に引かれる。それは高い足場の上で、二人の青年が危うげに身をささえている場面だが、二人は建物の角をはさんで互いに相手を待ち伏せてでもいるように、ぴったりと壁に背をつけている。だがよく見ると、一方の男は片手に一匹の猫をつかんで、他の男の方へさし出しているのである。

と始まる「不思議な場面で立ちどまること」 (p.135-137) という短いエッセイで、私は立ち止まったのでした。このエッセイはこう結ばれています。

私たちが一つの場面に遭遇し、一つの感動とともに立ちどまるのは、それがかならず一つの物語をもつということ以上に、同時にそれが無数の物語をもちうることのためである。そのような可能性が成立しうるのは、その場面がもはや私たちの側の出来事となっているためであって、そのとき、私たちと世界のあいだに置かれた灰色の裂け目はひそかに埋め去られる。私たちと世界のあいだに生き生きとした結びつきが回復するのはこのときである。

機会があれば、是非全文を読んで欲しいと思います。

「読むこと」については、理論だけではなく、母語、外国語ともに自分の読み手としての実体験、実感を忘れないようにこれまでも取り上げてきました。
最近では、精読と多読についても言及しています。
恩師のW先生は、「振り子」という比喩をよく使っていましたが、その動きの特性を考えるに、「文法訳読」や「英文解釈」などを批判する勢いが振幅を大きくして、逆側に位置する(と一般には思われている)であろう「多読」の擁護や傾倒に移ることも、十分理解できる、という気がします。
しかしながら、「英語を身につけるには多読しかない」とか「多読だけが日本の英語教育を救う」などと力説される「多読」が、何か「唯一絶対の方法論」で固められているのを見ると、息苦しく思えてきます。
本来は「これまで機能不全だった学校英語教育での閉塞感・息苦しさ」から学習者を開放する強力な選択肢だったはずが、振り子が反対に触れたその振幅の一番先で意地でも止まっているぞ、とでも言うかのように映るのです。
気楽に取り組み、言葉を楽しむための多読が、方法論に縛られるというのは自己矛盾以外の何物でもないでしょう。
Comprehensible input の総量が伝統的な日本の英語教室では圧倒的に足りないのは事実です。
そして、平易な「ことば」で書かれた、GRやLRでの多読が、それを補って余りあることも事実です。

ただ、近年、普及浸透著しい「100万語多読」とか「SSS多読」と言われる方法だけが唯一絶対の多読というわけではないでしょう。

国体でほぼ一週間学校を離れていましたが、留守中の職場に読み比べ用の「名作もの」読解教材が届いていました。私の授業の一環での取り組みは、あくまでも「読み比べ」が主眼です。「ことば」ありきですから。今風の「多読」とは大きく異なりますが、これも多読の一つなんですよ。

「見える=理解」の比喩はJohnson & Lakoffに限らずよく用いられているように感じますが、「ことば」を身につけるには意味と形の摺り合わせがなされているかが鍵なので、どんな簡単な「絵」や「写真」でも、

  • 目標言語での物語の記述やキャプションがある
  • 誰かが目標言語での読み聞かせ語りをして、読み手とのインタラクションによって「物語」を整合させたり、精緻化する

ということが重要な意味を持つはずです。後者でのインタラクションに限れば、目標言語である必然性は薄く、母語など、学習者と共有できる言語であれば機能するでしょう。とりわけ、初学者の場合は、「意味と形」の摺り合わせを手助けする「教師」の役割が重要です。

誰かに語りかけられなくても、「内なる読み手」であるもう一人の自分とのインタラクションによって読み進めることのできる「読み手」は、メタ言語を操作できるといえるのでしょうが、そのメタ言語操作が目標言語でできる者は既に中上級者でしょう。学習者の多くは、母語の援用に依存しているのではないでしょうか。しかも、たとえ上級者であれ「難しい英文」を前にあたふたするときは、初級者と同じような処理過程を経るものではないかという気がします。

言葉が出てこない「絵本」を多読することを薦める指導者も多いようですが、その「読み」で紡ぎだされた「物語」を語る「ことば」は目標言語の英語になっているのでしょうか?
「意味」の入力がどのようになされるのか?考えるべきはそこだと思います。
「紙芝居」を例に取れば、その絵面には確かに「文字」はありませんが、「語りかけることば」があるからこそ、「意味と形」は結びつくのであり、その語られる「ことば」は、音の響き、リズムなど周到に吟味されているはずです。

進学クラスの高2教室にある「学級文庫」には私が細々と集めた英語学習関連書籍やただ単に英語ネイティブの子ども向けに英語で書かれている書籍や事典、『ひらがなタイムス』『多聴多読マガジン』『家庭画報インターナショナル』などの雑誌、学校で定期購読してくれている『朝日ウイークリー』などを置いています。冊数を誇ったり、どこかと競ったりはしていません。なぜなら、この教室は「学び」の場だからです。教師である私が教えやすく、生徒が学びやすいことに意味があります。とはいえ、この「学級文庫」は進学クラスの、この教室にしかありません。進学クラスの上級生、下級生がそこから借りることは可能ですが、これを全てのコースの全ての学年の生徒を対象に拡げようとすれば、予算と管理で新たな問題が生じてきます。これは、一地方都市の私学である私の学校の置かれた状況からくる、ある意味「決定的な」要因であり、そう簡単に変えることはできないでしょう。でも、学校ってそんなところなのではないでしょうか?生徒の学びが「それぞれ、そのうち、それなり」であるように、学校も「それぞれ」なのですから。そこにいる先生一人一人が、目の前の生徒と向き合って、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら進む「森」もまたそれぞれの様相を呈するはずです。余所の森の「緑」をいくら羨んでも、自分の「森」が繁るわけではありません。余所の森の緑の「薄さ」を論い、自分の森の「効果的な管理法」を採用させたとしても、「効果」があると証明された方法が、余所の森に「適切」であるとは限りません。できることはせいぜい、

  • 私のところはこんな森です。こんな山にあり、こんな花が咲き、こんな実を結びます。

という「…なんです」を認め合うことくらいでしょう。それでも、「塵も積もればなんとやら」で、過去ログで何度か言及した、

  • 「…なんです」山脈

にまで発展するかもしれません。しないかもしれません。
こと英語教育に限れば、「群れるな、連なれ」というのが私の思いです。
その思いが現れたものが、今年で第6回を迎える、

  • 山口県英語教育フォーラム

でもあります。
日程と講演概要と講師略歴はこちらでご確認下さい。

一週間ぶりの今日の実作は、私自身のリハビリのようなものでした。
看護科では、なぜ留守にしていたか、本業の国体の話しをして、普段まず目にすることのない「競技」の様子をビデオ映像で紹介した後で、プリントでの学習に移行。
例によって、「対面リピート」まで。あるペアからでた疑問を拾って、発音と綴り字のルールを1つ取り上げクラス全体で確認して終了。

進学クラスの2年は、1コマ目で、課題として指定した作品の “Oliver Twist” の回し読み。自分が選んだ一冊とは異なる出版社の、レベル・対象違いの “Oliver Twist” を読むことになります。ある者は、より易しいバージョンで、ある者は、より難しいバージョンで読むわけですから、速度にも差が出ます。「まるで今回の東京国体の荒川特設コースでのレースのようですね」、という話し。
2コマ目は、『if 本』3冊からの用例採取。タイプ2,タイプ3を発見し、集め、吟味精選し、ホワイトボードに補足。そして、「入れ替え戦」までを指示。

進学クラス高1は、「キング」再び。『茅ヶ崎・0』の音源が見つかったので、流れに乗って再読。時系列に沿って、進んでいく、というのは口で言うほど簡単ではありません。単に筏で川下りよろしく「上流から下流へ」と移動するだけではなく、時に回想モードや、背景の補足解説が必要だったりと、「書き手の視点」で言えば、カヌーのスラローム競技のような「局所的遡り」とでもいうものがあり、「読み手の立場」で言えば、サッカーの「マルセイユルーレット」をディフェンスする時のような「あれれ」とぐるっと回されるような感覚に囚われたりするものです。とじかっこ、番付表を使いこなすことの重要性を改めて認識して下さい。残り時間を音読にあてて終了。次時は『VOA』版の再読の予定。
高2の教室から “Who was …?” も借りてきたので、仕上げもうまくいくといいのですが。

進学クラスの準備室へのお土産は、国体の無念さを象徴する、

  • 切腹最中


東京にもかなりの期間 (18歳から35歳まで) 暮らし、かなりの期間(22歳から43歳まで)働いていたのですが、このお菓子の存在を知りませんでした。自分の経験なんてたかがしれているものです。初めて見聞きするものがあると、よく「世界は広い」などと言いますが、必要なのは広さではないのです。

本日のBGM: この素晴らしい世界 (ワールドスタンダード)