私が知っているつもりの如月は…

tmrowing2013-02-14

高2商業科は、2歩進んで3歩下がるのか?!というような進捗状況。
記号付けを終えたところで、範読を聴き、意味順での処理ができるところ、と崩れてしまうところの確認。ワークシートの右頁で、「フレーズ順送り訳」の→での合いの手を確認して、再度英文へ戻る。
<動詞+目的語>までを一つのチャンクと捉えて保持できる場合はいいのだけれど、その目的語の名詞に修飾語句がついて長くなったりすると、「腕力」とか、ぶら下がり続けられる「膂力」が足りなくなって、意味が途切れてしまう生徒がまだまだ多い。
時々、気が遠くなるというか、狂いそうになるけれど、まずは、仕込んだ語句が自分のものにならないとね。
今日は「文強勢へと繋がる予定の等時性 (的) タイム感」。

  • not as perfect as before

と板書したフレーズを実演しながら、だんだん靜先生と同じこと言っていることに気づいて笑いそうになった。
発音と綴り字は「母音字」で、

  • au

教科書で出てきたのは、

  • audience
  • applause

類例として補充したのは、

  • Australia
  • Aussie

という片仮名では馴染みのある固有名詞とその派生形。輸入肉の呼称は結構ポピュラーでしょう。私は、外食とかコンビニ弁当くらいでしか口に入れないけど。ちなみに、Aussieの子音は無声音になることも多いので注意。
さらには、動詞の活用形で、

  • taught
  • caught

までを徹底。ただ、この動詞の過去形の北米音はほとんど円唇が薄れているため、「アー」に近く聞こえることが多い。指導に当たっての「範読」「モデルの提示」が悩ましいところ。教材や電子辞書の音源でもナレーターが違うと、今日の授業で扱った音が「同じ音」にならないことがある。
『智慧3版』のアプリで再生してみると、caught, taughtを読んでいる男性ナレーターは非円唇なのに対し、女性ナレーターがaudienceを読んでいるのは円唇だと感じた。同じであろう女性ナレーターが、applauseを読んでいる時や thoughtを読んでいる時、また、先程とは明らかに異なる男性ナレーターが boughtを読んでいる時には、やはり円唇が感じられるので、まあ、外国語の悩みどころと割り切るか、歳を取って私の耳の精度が落ちてきたと諦観するか、またはその両方でしょうね。

一方の進学クラスは高1が「全国縦断公立高校入試リスニングテスト制覇の旅」で、新潟から石川まで。日本海の荒波、というわけではないでしょうが歯ごたえがあります。高校入試問題を解くのは簡単でも、sentence repetitionをきちんとこなして、意味の処理も同時に行うのは結構大変です。前時にdictationから、read & look upで仕上げてあったところを、今日は復習でのlast sentence dictation。私が読み上げていって、止まったところで、その最後の一文を書き出すという結構ポピュラーな手法です。「対面リピート」は汎用性の高い活動ですが、「イカソーメン」は少人数クラスでは、「担当者会議」での仕掛けが作りにくく、グループ内整序後に一列に並ぶところでの盛り上がりに欠けるので、最近は自分のクラスではあまりやっていません。ちょっと淋しいです。

進学クラス高2は「リーディング」のコマ。
この課で扱っている文章のオリジナル、原著は、かなりセンセーショナルな自叙伝とでも言えるものだったが、さすがに授業の中で「女子割礼」について、詳しく解説するのは難しいので、wikiで、著者の頁を見せ、FBの写真を見せるに留めておいた。
今週の目玉は、iPad miniの導入に伴う、「青歯」無線スピーカーの実地検証。
いろいろ情報を集めた結果、

  • etonのRukus solar

という機種に決定。同期も簡単でした。出力は14W。シャリ感もなく弦もまあまあです。低音はブーストあり。充電はソーラーで6時間、ACで4時間で最長8時間の連続使用。
今日の授業で早速使ってみましたが、音に関しては、最大音量でも音割れは感じないので、通常の教室使用であれば全く問題ないでしょう。スピーカーは前向きのデザインで、指向性が高そうですが、筐体がパイプ状に長く、左右にも音が響いて伝わるため、最前列の両端でも明瞭に聞こえます。今日は気温が低く、エアコンがほぼ全開でしたが、送風のノイズにもかき消されることなく、子音もクリアーに聞こえました。10分間操作がなく、信号が送られないと電源がオフになる設定は変えられないようなので、「プレイリスト」で、作業や解説時のインスト音源を用意するのも手かなと思います。でも、私のiPad miniの設定が5分でスリープですからね。
今日1日使って感じた問題点は、唯一、

  • 今現在のボリューム設定を確認するモニターや目盛りがないこと。

です。電源ボタンの外周のライトが点滅することで、ボリュームの最大・最小に達したことはわかるのですが、数値が表示されたりしないので、音源側のデバイスで音量調整をすることを想定して作られているということなのでしょう。その通りに操作して、全く不便はありませんでした。
「リーディング」の授業ですから、肝心の「読み」に関して、いくつかポイントを。
主題を掴む上で、「対比・対照」を英語のまま理解することは大事ですが、最初から英語で処理と保持が出来たら誰も苦労しません。

  • 古今東西老若男女

を思い起こし、手がかりを作り、足がかりを確かめながら進むしかないのです。

  • the sense of history

の話しを始めたばかりで、なぜ「言語」しかも「ソマリ語」の例が出てきたのか、筆者の母語という以上の理由があることは、historyの定義がしっかりできればすぐに分かるもの。学級文庫の辞書を横断的に調べて、定義を精査し、そのなかから自己ベストの定義を作っていきます。

  • a systematic and continuous written account or record of the past events

第一段落は丁寧に読み、その先へと進んで、

  • the skills we needed to survive

というキーワードが、句だけでなく節という形式をもとり、具体例として言い換えられながら展開していくことをしっかりと辿ります。

  • much less

での「遠近感」を確認して、具体例が列挙される時の、個々の具体例の「効き目」には差があることを理解してもらいます。
重点を置いて、辞書引き作業を行ったのは、

  • the rest of my family

でのrestの扱い。私自身、高校生の時からずっと気にし続けている語です。前任校でも、高3の「読解」の授業ではしつこく確認してもらった項目だと思います。例によって、教科書のTMでは全く「痒さ」を感じようという気配すらありません。

  • I was behind the rest of the class.
  • I want to spend the rest of my life here.
  • I took the bus the rest of the way.
  • The rest of the bananas were all rotten.
  • The rest of the meat was all rotten.

というように、全体と部分、母集団とその一員という関係を想定すれば解決する簡単な例はいいのです。
ところが、次のような文では一筋縄では行きません。

  • I don’t know about the rest of you, but I’m hungry.
  • He was standing a bit apart from the rest of us, watching us.
  • Behind the façade they are just like the rest of us.

多くの生徒は、このような例が「一筋縄では行かない」ということに気づかないまま、高校を巣立っていきます。今時の「英語本」はこのような項目にどのように光を当てているのでしょうか?
昭和を代表する名著では、必ず、何らかの視点を与えていたように思います。一例を挙げておきましょう。

Maughamが東洋旅行の途中ハイフォンに立ち寄ったとき、現地の新聞に彼の名前が掲載された。
The editor, doubtless hard pressed for matter, printed the names of the persons … who had arrived at Haiphon or left it, and mine was put in with the rest. ----Mirage
(編集者はおそらくネタにこまったらしく、アイフォンを往来する人名を印刷していた。そしてそれに私の名前ものっていた。)
教室でこの mine was put in with the rest の個所で誤訳、珍訳が続出した。そしてこのrestの使い方は the names of persons … を受けるものとしてはおかしいのではないか、むしろそれ以外の人ではないのか等と質問も多く出た。それにつけて思い出されるのは Thirty have passed, myself among the rest なる一文である。自分がパスしたのか、それとも落第したのかというので、かつで英学界を賑わした問題で、これがまだ今日でも依然として糸を引いているのかと、日本人の発想法と英米人の発想法との違いをあらためて痛感させられたことであった。 (p. 119, 「III. 1. 日英表現の違い」)

これは、

  • 小西友七 『現代英語の文法と背景』 (研究社、1964年)

の一節。私の手元のこの本のこの頁には深く折り目が付いています。
もう一つは、いまだ現役の教材から。

  • 朱牟田夏雄 『英文をいかに読むか』 (文建書房)

では、ハクスリーの英文を用いて、第二編の例題<31>を課しています。(p.123)

Perhaps the men of genius are the only true men. In all the history of the race there have been only a few thousand real men. And the rest of us---what are we? “Teachable animals. Without the help of the real men, we should have found out almost nothing at all. Almost all the ideas with which we are familiar could never have occurred to minds like ours. Plant the seeds there and they will grow; but our minds could never spontaneously have generated them.

この、the rest of us は、その後の課題の<10>でも再度登場し、そこでは、”the ordinary lot of us” 「普通の我々」と注記がついています。
The rest will take care of itself. というわけにはいかないようです。

「呟き」の方で情報を得て、

  • 『したむきな人々---近代小説の落伍者たち---』 (亀鳴屋、2010年)

を購入。限定五百四十四部のうち、 “341” とナンバーがうたれています。
お目当ては、

  • 安久昭男 「君の知らない三月が来る」

大切に読もうと思います。

そうそう、この写真をアップするのを忘れていました。

本日のBGM: two of us (the Beatles)