”O Captain! My Captain!”

高3は「センター試験」の自己採点、出願検討で私の授業のコマはなし。
商業科高2は、ビデオ上映明けで、ブランクがあるので、「仕込み」をもう一度。
最近は、私の範読を2回聴いて、2回目に繰り返す、という手順が多い。
仕込みの “A” は単語。発音をしつこくやってから、日本語の意味を見て、該当する英語がすぐに出てくるか、自己診断チェックを済ませてから、ペアで「日→英」で、3つ連続で出題と回答。
その後、連語の仕込み “B” へ。こちらは、英語のブロックを縦断しながら範読を聴いて、強勢を確認した後で、日→英のマッチング。その連語が全体で名詞句になるのか動詞句になるのか、など、「纏まり感 (= 実感)」というか「纏まり観 (= 識別する目)」が出来ているかどうか。
こちらも、自己診断チェックを経て、再度、範読を精聴。「音像」を捉えられると、結構楽なんだけどね。
「家でCD聴いて練習してこいっ!」とか言える環境が羨ましかった時期もあるけれど、here & nowでベストを尽くすだけ。地道に、愚直に、繰り返し繰り返し繰り返し、いい音に接する環境を「教室で」提供するまでです。
進学クラス高1は、Severnのスピーチを通して読んでから、 “Word Review” に。なんのことはない、英英辞典的定義を読んで、本文中の「名詞」から該当する語を抜き出すだけ。全て「名詞」であるところがミソという手前味噌。名詞句の限定表現、列挙による並列、入れ子によるワニの口、因数分解的構造などを定義の表現を活用して学ぶという活動です。いつになったら、有嶋先生のように「自ら定義する」というところにアクセスできるかはわかりませんが、まあ、「そのうち、それなりに」できるようになるのではないでしょうか。それまで続けることが大事。
進学クラス高2は、近所の某予備校で「センター試験」に挑戦、というような企画に参加してきたので、その解説。「解説はあったの?」と聞くと、「ない」とのこと。「では、解説の冊子とかをもらった?」と聞くと、「試験時に予約していたら、後日解説のDVDを見せてもらえる。」仕組みだそうな。だったら、翌日自宅で新聞見て回答しても同じじゃないのか、と思うんだけど。私が受験生の頃は、まだ「共通一次」でしたが、中3の時に自分で新聞見て解答してましたよ。何というか、購買層予備軍にあたる年次の若い生徒の個人情報を抜いただけなんじゃないかと思ってしまいます。
今日取り上げたのは「第3問のB」。私のよく言う「ディスカッションもどき」問題です。
作問チームの苦労はわかるけれど、「ことば」を生きているとは思いがたい内容、展開と英語表現でした。FBでもこの設問と英文を取り上げ、私の違和感を表明していました。

松田聖子に『小麦色のマーメイド』という松本隆さんが歌詞を書いたヒット曲があります。そのサビの部分で、「私、裸足のマーメイド」という一節があり(ワタシとハダシで韻を踏んでいる)、この曲を初めて聴いた時に、「『人魚』って下半身は魚のはずなのに、足はあるのか?」という違和感を覚えたのですが、そのくらいの違和感ということです。

で、肝心の当該設問の英文。
「公共図書館の駐車場脇の空き地の利用法」についての議論 (もどき)。
司会者と思しきBobに振られたJackの提案は「公園」なのだが、”maybe” の連発、”can” で「ないことはない」という可能性の示唆から、さらに “could” での断定回避・及び腰で進んできたと思えば、自分の提案の決めの1文が、

  • The park could be an ideal place to sit and read a book.

というもの。
ちょっと待って下さい。この空き地は「公共の図書館の駐車場」に隣接しているんですよ。なぜ、その駐車場の隣に、座って本を読む理想の場所として公園を作りたいの?すぐ隣の図書館に行けばいいじゃない。アメリカの公共図書館内には「リーディングルーム」のようなスペースはないの?この町の図書館はとりわけ小さいの?それとも大都市の公共図書館にはあるけど、地方都市では事情が大きく異なるの?と、次々と「?」が頭をよぎった。
高2の生徒にまずやってもらったのは、ヘリコプターで上空から見たと思しき「見取り図」を描いてもらうこと。つまり、

  • 図書館と駐車場と空き地の位置関係と、それぞれの大きさの対比

をイメージしてもらうこと。
だって、そこがクリアーできていないと、

  • なぜ「木は少なくとも1〜2本は植えられる」のか?
  • 「芝生」を植えるときに「木」の位置との関係はどうなるのか?
  • なぜ「片側に花を植えるスペースが取れそう」なのか?
  • なぜ「ベンチを一つ置けそう」なのか?ベンチと木の位置関係は?

というようなことがよく分からないではありませんか。
で、その結果、

  • 図書館の中には、座って本が読める「リーディングルーム」のようなエリアがないのではないか?または、エリアはあっても圧迫感があるなど、落ち着いて本が読めない環境なので、戸外で本を読みたいのではないか?

というような仮説と、

  • とはいえ、Jackの提案する「ベンチ」の数は一つなので、せいぜい3人とか5人程度が座れるくらいで、空き地としては相当に小さいのではないか?

というような仮説とが宙ぶらりんのまま、本文を読み進めることとなった。
で、司会者のBobが、調子よくJackの提案に話を合わせて、

  • That’s pretty much what I imagined, too.

ときたもんだ。で、設問は、その司会者たるBobの発言が、Jackの提案を「適切に」まとめたり、言い換えたりしているはずなので、それを選べ、というもの。

  • a kind of miniature park that ….

「木」「芝生」「花」「ベンチで読書」のできる公園の縮図。を一言で言うと?って結構難しいですよ。生徒は “to sit and read a book” の対極にある「立ち読み」までは想定できていたので、

  • 立ち読み : 苦痛 = 座り読み : X

で「快適」というようなキーワードを探しましょう、と言うヒントで、2番の、

  • creates a comfortable and peaceful atmosphere

を候補として残して、先へ進め、と言ったのだが、先に進んだら、Jackが、

  • That’s right.

といって、完全同意なのですよ。ほんまかいな?
結局、この議論もどきの後半部分に進んで、”a desert-style rock garden (砂漠&岩庭園)” 推しの女性Anneのブレーンらしき専門家Carolの提案に反論するあたりのやりとりで、

  • Hummm. I have an image of deserts being really hot and uncomfortable, not relaxing.

という発言を待って、Jackの求める公園の要素は、 "cool, comfortable, and relaxing” であることがわかるので、最初の空欄を補充すべき選択肢は 2.しかないことに確信が持てることになる。そう思って、Jackの最初の発言を読み直すと、「Bobが調子を合わせてまとめた、"peaceful" なイメージに結びつく要素は、"flowers" などという、見過ごしやすい語にこそあるのではないか、という気がしてくるね。」と解説。
で、快適さの要素として “cool” さを求めていることがはっきりするので、Carolの発言の最後の一文、

  • Some deserts plants offer shade as well as beauty.

での “shade” は、日光のダメージを遮るような木陰であり、そもそもJackが最初に提案した “at least one tree, maybe two” という部分は、「shady な空間を形成するもの」の要素、一例となっていることに気がつく訳である。("Silent Spring" を扱った時に、このshadyのイメージは英英での辞書引き作業や反意語の考察も経て、実感が持てていた人も多かったところでしょう。)
ここにきて、Jackの持っていた “desert” のイメージ、つまり「固定観念」を、Carolが崩しにかかって持論を擁護しようとするのだが、解答する生徒も、Jackと同様の固定観念にとらわれたままだと、この議論 (もどき) を適切に読み解くことが難しくなる。生徒には、

  • 大晦日の紅白歌合戦のMisiaの中継

  • 湖池屋の「ドンタコス」のCM

のイメージを比べて、というヒントを出して、”some desert plants” のイメージを明確にしてもらった。
でも、「本が読めるような日陰が出来るくらいの大きさのサボテン」の周りが “comfortable and relaxing” なのかは甚だ疑問。棘が心配で、おちおち本を読んでいられないのではないか?
ということで、まだMisiaを見ていない者は、動画サイトなどを検索するよう、宿題を出しておいた。
ここで、時間を取り、ネットで検索をしたNYの公共図書館の写真をTVモニターに映して、「リーディングルーム」の状況を観察。生徒もビックリ。圧巻というしかありませんでした。
今回の設問でも、例えば、Jackが

  • NYの図書館は、確かに凄いけど、僕たちの町の図書館を今から建て替えるのは大変。でも、やっぱり、落ち着いた環境で本を読みたいとか思うじゃない。じゃあ、この空き地をうまく利用できないかと思う訳さ。

などという提案をして、それに対して Anneの案が、

  • だったら、駐車場そのものを空き地側にずらして、図書館に隣接したスペースに、「快適青空読書エリア」を作ればいいじゃない!

などというような展開があってもいいでしょう?と生徒には投げかけておきました。もう一つ生徒に投げかけたのは、「設問」そのものへの疑義。全体の流れとか、宙ぶらりんで後半種明かしなどという構成を考えると、この問題は、

  • Jackが提案する公園の完成予想図を、1〜4の絵の中から選べ。
  • AneeそしてCarolが提案する公園の完成予想図を 5〜8の絵の中から選べ。

というような設問にした方が良かったのではないか、ということを生徒には伝え、来週は、私が全文を書き換えたバージョンで読み直すから、と締めくくり。
「議論もどき」の英文を読んで設問に解答できれば、それが「使える英語」の証、などというまやかしに踊らされるのではなく、もっと、ちゃんと「コミュニケーション」というものの在り方、基礎基本とは何かを考えましょう、という教訓を得て、本日はお終い。

さて、
前回の記事で、「授業評価アンケート」の扱いに対して、苦言を呈していましたが、私の基本スタンスは、「呟き」にも記しました。
過去ログでも、私自身の授業の「総括」を紹介しているんですが、年度末の感想も生徒によって色々なんですよ。そもそも、自分の苦労をマイナス評価はしたくないわけだから、結果として良いことを書こうとか、教師の求めているものにできるだけマッチするような、パズルのピースを用意しておくものです。

私も年度の終わりによく「総括」をやっていました(今の学校にきてからはしていません)が、高校だと、「自分の苦労をプラス評価して」巣立っていく機会 と、教師に残す「卒業記念の寄せ書き」のようなものだと思っています。そのくらいの価値はあるのでは。どのみち授業は新年度一から作り直しだから。

というもの。「寄せ書き」は、自分だけでなく、みんなで同時期に書くものだから、書いた本人は「なんて書いたか」などの細かいことは忘れてしまっている事が多いけれど、もらった方はけっこう大事にとっておいて、たまに取り出して見たりする類のものではないかな、と思います。
私の母校の高校の卒業アルバムには、各人が一言コメントを記すスペースがあって、印刷されて残る訳ですが、同じクラスのK君が、

  • 肩に力の入った仕草は見やぶられるとさ。

というようなことばを書いていて、今でも鮮烈な印象があります。そのK君のことばを彷彿とさせてくれたのが、私の教え子の1人の次のことば。この一文は、今でも本当に大好きです。
一年間を振り返り、来年度この科目をとる後輩へ贈る親身のアドバイスを、と求められて、

慣れるまで大変だけど、慣れるから 大丈夫。何か失敗してもドンマーインて感じで気負わずにね(笑)

というもの。生徒のほうがよっぽど大人です。こちらが救われるコメントでした。

他には、以前、ELECの研修会などで、このような「総括」を紹介したことがあったのですが、それを覚えてくれている方からの指摘があったもの。

先生の授業ではグループの活動が多かったので自分が帰国子女だということを実感する事がよくありました。結局帰国子女として授業を受ける際に忘れてはなら ないことは、「まだまだ自分が学ぶべきことがある」ということではないかと思いました。自分の身につけた英語と他の人が使う英語は、形の上では同じであったとしても違う思考をたどって使われたものである以上、自分がどれだけ英語力を伸ばせるかというのは自分が周りの英語にどれだけ敏感となりそれを吸収しようという意思があるかにかかっているのだと思います。そういうことに気づいた1年でした。これは予備校などでは絶対に学べないことです:-) ありがとうございました。

各人各様の振り返りですから、こんな、紋切り型の「終わりよければ全てよし」というような、goody goodyなものばかりではありません。次のようなことばが、教師の襟を正させてくれます。

英語の先生はみんなそうですが、それぞれ自分が一番英語力の伸びた方法を絶対的なものだと信じこんで、他のやり方を批判する節があります。それは五十歩百歩だと私は思うので私は一人の先生の話を全面的に信じようとは思いません。

私はいつも、この生徒の声を忘れないようにしています。
以下は、ある「映画」のネタバレになりますがご容赦を。
ピーター・ウィアー監督、ロビン・ウィリアムス主演の映画、『今を生きる』をご覧になった方は、あのラストシーンを覚えているでしょうか。辞職するキーティング先生 (ロビン・ウィリアムス) への餞に、映画のテーマにも深く関わるホイットマンの詩の一節を唱えながら机の上に立ち上がるのは「親キーティング派」の生徒たちだけだからこそ意味のあるシーンです。
私にとって、「アンケート」での生徒からのプラス評価、というのは、このシーンのようなものなのです。キーティング先生にとって、あの緊迫した場面で生徒が立ってくれたことで、自分のメッセージが届いた、自分の期待に応えてくれた、という「報われる」瞬間を味わえることは確かですが、あのシーンで立たなかった生徒が、キーティング先生に恩を感じていなかったか、感謝していなかったか、といえば、そんなことはわからないのです。逡巡していたかも知れないし、醒めていたかもしれない。ただ、クラスの生徒全員がその場の空気を読んだり、雰囲気や勢いで同じ行動をとったりはしないからこそ、そこにリアリティが宿るのだと思っています。
ちなみに、私の言う『ピーター・ウィアー三部作』は、この『今を生きる』と、『モスキート・コースト』、『目撃者・刑事ジョン・ブック』です。お薦めです。

本日のBGM: Your Love Alone Is Not Enough (Manic Street Preachers)