「羮」の時はやっぱり吹かせますよね?

県の中英研の大会で出張。
朝から岩国へ。
午前中は中学校1年生の授業を見学。
平均的な公立中学校よりは授業時数が確保され、進度も速いということのようで、「進行形」を用いて、スキットを作らせるところまで授業で取り組んでいた。1クラスを二分割し、20人の生徒でペアでの活動が基本。授業での教師の説明は大型の (50インチ?) スクリーンでスライドが映し出されるだけでなく、その後、プリントとして配布されるので、生徒は授業中の作業・活動で使われるワークシートだけでなく、解説プリントも全てファイルし、「過去ログ検索」が容易なマネジメントとなっているようであった。
スキット作成から発表活動 (demonstration) までの流れを見ていて気になったことがいくつかあったので、合評会の際に質問。
まずは、

  • これまでの授業で、生徒が既習のまたは導入済みの「動詞」はどれだけあるか、というのは教師が、または生徒が把握しているか?生徒は資料を全てファイルしているようなのだが、それを遡れば、「あ、これが使える!」というような気づきが得られるのか。

これに対しては、帯学習で行っているQ&Asの活動で用いるプリントで合計3頁分くらいは「動詞シリーズ」となっている、とのこと。
次の質問は、

  • 帯活動でQ&Asの活動をする際に、2週前から、聞かれた1文に対して、答えを2文で、と1文付け加えることを導入したとのことでした。その結果、今回のスキットづくりでは、質問にも「進行形」を用いた文を作ることが求められ、答える方も、進行形を使った文で答えて、その続きに何か1文を付け加えることが期待されていると思います。ただ、ここでは新出の target structureとして「進行形」が取り上げられているので、質問に対する答えを、聞き手がechoで繰り返すというような手順で、形を確認するような工夫があってもよかったのではないか、帯活動の中で、echoは既に導入済みなのか、今後導入の予定はあるのか?

これには、あまり芳しい答えは返ってきませんでした。私の質問の仕方がまずかったですね。私の意図は、何も"echo"の指導をせよ、などということではありません。
スキットを作っている当人たちは分かっていても、それを見ている、聞いている他の生徒達は、よくわからないこともあるわけです。教科書の本文のダイアログで使われている、

  • What are you doing there?

という質問に対しての解答は、

  • We are counting down to midnight. Happy New Year!

でそれに対して、質問した側は、

  • Happy New Year!

と挨拶で返しているのです。このWhat are you doing there? という質問文の必然性は、その前のターンの、Sounds noisy! (やかましくて聞き取りにくい) という状況設定だったはずなのに、相手の答えの、ただでさえ活用で悩む進行形をcount down などという句動詞が進行形になったものが使われていて、それを一発で聞き取り、内容に反応しているとは考えにくいのですね。ここでの本文の対話練習がいくらリピートできたとしても、それは、Happy New Year! をechoで返しているに過ぎない訳です。だったら、同じechoでも、

  • You are counting down to midnight?
  • Yes. We are counting down to midnight. A New Year is coming. Five, Four, Three, …. Happy New Year!

とでもいうような「のりしろ」となるようなやりとりが想定されるだろうし、カウントダウンが終わった直後のHappy New Year!に対して、こちら側が返すはずのHappy New Year! は向こう側の熱狂や歓声といった一層大きなnoiseに呑み込まれて聞こえない、というような「状況」が考えられないかというのが、私の言語使用者として、さらにはmaterials writerとしての実感、「リアリティ」です。教科書には、ネオン輝く街の写真が使われているのですが、ことばを大切にすることこそ、英語の授業の根幹だろうと思います。One Worldの著者グループにはそのあたりを考えて欲しいと思います。
私のこの二つの質問は、全体会の報告では全く取り上げられませんでした。
私自身は、スキットづくりでの「発表活動」の意義という、根幹に関わることだという認識だったのですが、中学校の英語教師である司会者、記録者や指導助言者の方たちにとっては優先順位の高いことがらではなかったようです。
他の参観者から「エラーコレクション」の質問が出ましたが、私の疑問は、

  • 生徒の発話の自由度を高めておきながら、産出した英語表現に教師がフィードバックを十分にしないまま、「発表」させ、他の生徒に聞かせる、ということにどれだけの意味・意義があるのか?

というところです。自分で形式を選択し、正しく句や文を口にするトレーニングがきちんとできて、その音に意味が乗るなら、それで十分ではないか、と思う訳です。
批判ばかりしていないで、代替案を出せ、と言う人がたまにいますので、以下私案。

・ これまで既知の動詞リストを教室前面の大型スクリーンに映し出しておく。
・見えない場所にいる他者との対話 なので、
I’m [on / in / at / その他、既習の前置詞のリスト ] + [岩国城、錦帯橋、岩国駅、岩国基地、岩国錦帯橋空港、病院、図書館など誰もが知っている場所を表す名詞のリスト].
を与えて、限られた語句の中で組み合わせた文でsettingを作らせておき、その作られた状況設定に相応しい、動作をリストから選び、進行形という形での表現・発話を求める。
・ 進行形を用いる文の質問の
What are you … there?
は与えておく。
・ 答えの文は1文で良いので、状況設定に見合った動詞を選び、進行形で答える。
・ 質問をした側は、その答えをechoで返す。
・ さらに、答える側は、進行形の文をもう一度繰り返し、その後で一言、説明を付け加える。

とでもなるでしょうか。この最後の部分で、帯活動の「2文で答える」という練習も活かせることになります。あくまでも、この課で導入したtarget structureなのですから、トレーニングを十分に行い慣れることに時間を割くべきだというのが、私の考えです。この段階でoriginalityとかcreativityを求めたり、声の大きさや演技を求めたりすることにはそれほど意義を見いだすことができません。私の授業では、授業内での「デモ」的な発表活動というのはほとんど行いません。もし、発表させるのであれば、十分にフィードバックを与えて、そのスキットでの生徒の発する英語も、他の生徒にとって、お手本になったり、インプットの強化になったりするものであることが望ましいと思いうからです。
私が質問をした流れで、中高接続・中高連携に関連して、

  • 今回のスキットでは、中1の既習事項だけでは「言いたくてもうまく言えなかった表現」というのが必ずたくさんある訳だから、高校生の英語力では「ああ、こんなことも言えるんだ」というような発見や感動が得られるチャンスとして、中学生による高校生の授業見学というのは素晴らしい取り組みです。

というpositiveなコメントもしていたということを付け加えておきます。
午後の全体会では、見に行けなかった学校の報告を聞いてメモ。
最後に指導主事の講評がありました。今回は、本来来るべき方の都合がつかず、代打ということだったらしいです。ハッキリ言いますが、今回の大会で一番残念な内容でした。
高校での指導経験のある方のようなのですが、「誰かの言説」を借りての講評ではなく、現場の臨床の知にこそもっと学ぶべきでしょう。
続いて最後のプログラムである「講演」。
大東文化大の靜哲人先生による、

  • 実力は細部に宿る: 音声と文字を大切にした授業を!

という90分でした。今回は、午前中の研究授業は見られずに、講演のみということで、先生自身があまり「いたたまれなさ」を感じないスタートだったのが幸いしたのでしょうか、指摘する事柄は相当に耳の痛い、心が重くなるような話しだったのですが、私自身がG大でW先生の薫陶を受け、自分が教師になった根っ子というか、「血」というか「性」というか「業」というか、そういうものを確かめられた90分でした。途中、中学校の先生でしょうか、「実演してくれ」というリクエストがあり、そのお一方がステージに上がり、生徒役となって、リズム、「音の波」の指導を受けていました。お疲れ様でした。
帰りの高速はかなり空いていて、予想より早く戻れたので、先に学校に寄って、生徒の提出したノートを回収して、靜先生にお礼のメールをして帰宅。
自分の実作を隠して偉そうなことを言っても始まりませんから、習熟度にもっともバラツキのある商業科2年のワークシートと、実際に「音声指導」の際に何を指導するか、というメモを載せておきます。自己表現は無し。時間切れになっても、音声だけは十分な指導をし、授業中にトレーニングしています。

2012C2_NWII_L7.pdf 直
発音の指導.jpg 直

帰宅途中で酒屋によって妻のリクエストだった「山葡萄で味付けをした試験的醸造のどぶろく」を購入。夕餉はあっさりと温かい蕎麦で。
木曜日恒例の時代劇を見て就寝。

本日のBGM: Love like blood (John Hiatt)

2012年11月23日追記:
当日の研究授業で私と同じ授業を参観され、合評会にも参加された方から、このエントリーを読んだとのことでメールを頂きました。了解を得てこちらに転載させて頂きます。

おはようございます。先生のブログ早速読ませていただきました。おかげで昨日の研修会でのもやもやがいろいろと解決しました。
授業のやりっぱなし感が払拭できなかったのです。私にも経験がありますが、生徒が優秀だとスキットやっても何とかなります。すごいなあって感心するようなユニークなものができたりするんですが、それは生徒の現状の力を披露するだけで学びがないような気がするんです。fluencyを大事にするとしても、最低限ターゲットセンテンスだけはaccuracyにこだわる必要があると感じました。fluencyを教員の逃げ道に使っちゃいけないと思うのです。
先生が質問された、テキストの行間を読む自然なechoの使い方について、確かにあの場で意図が伝わっていませんでしたね。echoに限らずですが、必然性がある場面でタイミング良く使っていくって本当に大事だと思いました。先生とALTとの電話モデルの時にも実際にechoを多用しているところを見せたり、電話に答えた時もHold on a second. I want to share this with my students.などと言って器具をつなぐような、現実味が大事じゃないかなって思いました。生徒が知らない表現を使ってもいいと思うんです。電話の相手が待っていることを意識するのが普通ですから。
私は英語の授業は英語でというのは基本的に賛成ですが、静先生のおっしゃる「いたたまれない授業」が多発するような気がして怖いです。私自身、いたたまれない授業をしてしまいそうで、自分の英語力を磨く必然性に迫られています。確かに自分以上の生徒には教えられない。それを意識しておかないと生徒が不幸です。自分よりはるかに賢い生徒がいる今の学校で英語を教えていくには、もっと勉強しなくてはといつも思っています。
先生と研修を共有させていただけて、大変勉強になりました。ありがとうございました。

こちらこそ貴重な振り返りの視点、機会を与えて頂き有り難うございました。