明日の明日

金曜日は進学クラスのみの時間割。
ちょっと変更があって、空き時間ができたので、ライティングの添削でも、と思っていたら意外なお客様。卒業生でした。「ついでに立ち寄った」にしても、元気に顔を出してくれるのが何よりです。ついこの間も、同じクラスの3人が放課後に立ち寄ってくれました。大学生はまだ夏休みなのね。

高1は、「対面リピート」をきちんとやらせたかったので、ホワイトボードに整理することになっていた、too と also の例文を使ってwarm up。ペアで、ひとりはボードに背を向け、もうひとりは例文を音読して、リピートする。全部終わったら、選手交代。ペアが終わったら、自分の席にもどって、一番印象に残った英文を、tooで一つ、alsoで一つノートに書き出す。
これで、スラスラ書けるのは、対面リピートの際に、意味の処理がスムーズに出来ていた人。呪文を忘れないうちに、一気に言ってしまえ、という乗り切り方では、結局は保持できない。自分が保持した意味の「核」というか「種」というか、そこから自分で芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶ、そういう回路を造るのも、この「対面リピート」の効用の一つ。
前時に読んでいた『オレンジ本』のキング牧師の課を素材に、ワークシートでRead & Look upから、対面リピートへ。個人作業に戻って、Flip & Writeの導入。ここまで出来れば、あとは英語として適切な表現で書かれていて、適切に音声化されたCDなどの「音源」がついている教材があれば、教室で自学自習ができる。ペアを組めば対面リピート、自分ひとりでRead & Look upからFlip & Write。自分が一生懸命にFlip & Writeをやっている後ろで別の生徒がペアで、別な文章の対面リピートをやっている、などのノイズに負けない耳や頭、そして「心」が鍛えられるでしょう。
生徒には、

中1素材から、中2、中3、高1と語彙、英文の構造が少しずつ難しくなっていく教材で、これをやっていけばいいんですよ。ただし、「英語の音」でやらないとダメ。自分はどこで出来なくなるのか?その英文の何がそうさせるのか?出来なくなるのは、語彙か、四角化か、閉じカッコと番付表か?はたまた「発音・調音」か?「綴り字」か?そこときちんと向き合うこと。だから、『ぜったい音読』の緑本からやっているわけ。語彙は『短単』からやっているわけ。文法は『レベルアップ英文法』でやっているわけ。必ずできる足場からスタートして、そのレベルでたっぷりと。少しずつレベルを上げる。そのうちに、「これは今の自分に出来なくても気にしなくていい」ものと「これは出来ないとダメ」というものとが実感できるでしょう。

と言っています。自分の学びを全うすることが何より大事。先取りを焦る必要などさらさら無いのです。
岐阜国体で、私の不在時にスタートする「自学自習多読」に関するガイダンスをやって終了。

高2は、内田樹がもともと雑誌に書いたと思しき「『矛盾』と書けない大学生」 (『書きたい書けない「書く」の壁』 ゆまに書房、2005年) を私が音読し、「虫食い」の世界を体感してもらった。(全文は、こちらに掲載されているので是非→ http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_840.html)

この頃のウチダ先生の話は本当に面白かったなぁ… (少し遠い目)。

  • 英語の時間に、なぜ、またウチダ先生を?

と訝しがる人がいるかもしれませんが、高2の「リーディング」のコマで、”reading skills” を扱ったレッスンが教科書にあるからです。
巷の「速読信仰」というのか、「訳読忌避」というのか、「読んだつもり」から脱却できない「パラグラフリーディングもどき」の取り組みには自分の生徒を近づけたくないので、ハンドアウトを拵えて、概論。授業終了後、忘れないうちにとったメモから転載。

「パラグラフ・リーディング」などとよく言うけれど、段落の冒頭のトピックセンテンス(主題文)に線を引き、最後の結論文に線を引き、そこだけをつまみ食いよろしく読み進めて、概要を理解したつもりになっているだけでなく、それこそが現代社会で求められる「コミュニケーションとしてのリーディング」だという盲信で、「速読」や「多読」へと拙速に進んでしまうから、高3になって「パラグラフ・ライティング」を求められた時に、そもそも、「主題を明示する」その主題文はどのような資質を満たしていなければならないのか、主題をどう展開して繋がりと纏まりを作るのか、理由付けが本当に理由付けになっているのか、ということがさっぱりわかっておらず、頭出しのチャンクだけもっともらしい、お粗末な英語もどきの垂れ流しとなっている「作文」が余りに多いということになる。
段落の冒頭の文(と、最後の文)に線を引いて概要を把握する、という「ストラテジー」の脆弱さは、例えば、まとまった文章で、モノローグ、説明文、レク チャーのリスニングを考えてみればよく分かるだろう。第1段落の冒頭は集中しているからいいとして、その段落の最終文で、「ここからが結論文で、 restatement だな」ということがわかるのは、そこまでをちゃんと聞いていたから。なぜ「トピックセンテンスでメインアイデアが明確に示されている」ことがわかるのかといえば、そのあとの支持文で「詳述・理由付け」されているから、「ああ、なるほどそういうことなのか」と気づくことで、「主題文」の理解が一段階上がることになる。それだから、段落の最後に、結論文で主題が「言い換えられ」ていても、話・論の展開についていけるだけでなく、より深い理解を生むことになる。
これが「つまみ食い」でいいのであれば、最初から、その2文だけ、読んでいればいい、さらには「同じことが言い換えられているだけなら、冒頭の主題文だけでいい」ってことになる。複数段落で構成される文章で、新しい段落の冒頭が、そもそも新しい段落なのだとわかるのはどうして?その前までがちゃんと聞けているからでしょう。
もう自明ですね。1文、1文のつながりと纏まりをちゃんと読んでいるから、主題が仮設定でき、次を読み進めることで、その都度、全体を貫く統一した主題の修正、確定が可能となるのです。高1、高2の間は、地道に読み、書きをしているから、リーディング、ライティングを含め、4技能がそれなりに右肩上がりに伸びていくけれど、受験を意識して、高2の終わりから、高3にかけて「つまみ食い」の読解や聞き取りの演習をすればするほど、「ライティング」のクオリティは伸びて行かないように思いますよ。「要約」の指導も同じ事。「つまみ食い」の要約もどきでは、自分で本当に主題を理解していないまま、切り貼りだけでごまかす学習者を大量生産しかねない。高校を卒業した後、そういう指導をする人に遭わないことを祈ります。

授業中に生徒に力説したのは、

  • 高1の時に「学級文庫」の書棚にあった、西林克彦先生の『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 (光文社新書、2005年) をもう一度読みなさい。今ならわかる、ということがたくさんあるはず。できれば、自分で買って、1年に一回くらい読み返すこと。

「読み」に関してはこのブログでもいろいろ書いてきました。いつまでも地を這い続け、低空飛行にも至らないbottom-bottomの処理で終わる「読み」 は、実は「訳」にも辿り着いていないので「役立たず」と忌避されるのだと思いますが、top-down処理を求める読解の活動を課し、その結果読めたかど うかを測る「テスト」 がtop-down的なものだけであることは、構成概念妥当性では頷けても、「本当にちゃんと読めましたか」というところで、「心残り」が常にあります。「速読」とか「スキャニング」などとラベルを貼ってはいるものの、実態は、top-topの上滑りな読みで、理解度は「アップアップ」という生徒も数多く見て、診てきましたから。さらには、「この英文で読んだ表現や論理展開は、いつ自分の発話や作文で使えるようになるのか」が見通せないまま学習を進めていく「だけ」では英語学習はうまく行かないのではないかと思っています。初級には初級の、上級には上級の「精読」が必要なのだと思って、"reading like a writer" さらには、"reading as a writer" を教室内活動に取り入れています。

今個人的に読んでいるのは、

  • Kimberly Hill Campbell & Kristi Latimer. 2012. Beyond Five-paragraph Essay, Stenhouse Publishers

Chapter 3 のタイトルが、”Reading like a writer” で、そこに惹かれて購入したようなものです。
冒頭から少し引きます。

We know the soothing quiet of a classroom where students are immersed in reading. We know how much we all want to believe that students are thinking and making connections as they read. But we have learned the hard way that too often we have unintentionally set students up for frustration and even encourage fake reading.

Our classroom practice has changed because we understand our job is to teach students how to respond to a text, and much of that instruction must happen during reading and not after. We cannot expect students to craft a meaningful and honest essay in response to a text if we do not help them find meaning as they read. Given the wide range of summaries and analyses available to students through online sources, such as CliffsNotes, it is easy for them to avoid actual reading. We must scaffold their reading process, helping them know what to look for, such as characters, setting, theme, and writing craft. (p. 27)

作文の先生の方が、よほど「読み」にこだわっているように感じるのは私だけでしょうか。

他には、自分の英文修業のテキストとして、

  • Mervin Block. 1990. Rewriting Network News: WordWatching Tips from 345 TV and Radio Scripts, CQ Press
  • K. Tim Wulfemeyer. 2006. Online Newswriting, Blackwell Publishing

の2冊。
前者は、著者がCBS News でニュース原稿のチェックをしていた時のメモを元に編まれたもの。語句や語法、文体などを取り上げて、記者が書いた元原稿と、著者による疑義・意見・書き直し (の指針) が示されていて興味深い。
後者は、新聞やラジオ、TVのニュース原稿ではなく、いわゆる “Web版” “online版” ではどのような構成、見せ方に配慮して、どのような表現、文体でニュース原稿を書いていくか、というテキスト。これは、Section Twoの

  • Pictures, Graphics, Audio and Video

を鍛えようと思って購入。新時代のNewswritingとは言え、既に6年前の本になっていますが、何も知らないよりはいいでしょう。

帰宅したら、

  • 『2011 夏期講習 高3・卒 英語 京大英作文』 (河合塾)
  • 『2011 夏期講習 高3・卒 英語 テーマ英作文』 (河合塾)
  • 『2011 冬季講習 高3・卒 英語 自由英作文』 (河合塾)
  • 『2011 直前講習 高3・卒 英語 自由英作文徹底指導』 (河合塾)

が届いていた。京大のは解答例のプリントつき。「和文英訳」で鍵となる語句を取り上げているのはいいのだけれど、和英辞典などの切り貼りがコピーされているのですね。いやはやなんとも。
自由英作文の方は、テキストには例題の解答例しかないので、どのように教えているのか詳細は不明。ただ、例題の解答のプロセスで「日本語」で、立論のメモを書いていくところがあるのですが、この段階で「論理の崩れ」「論理の飛躍・欠落」が見られるものが散見。残念。

明日は、1年2年ともに土曜日課外。昼からは本業で湖へ。台風接近で乗艇は出来るかどうか。

本日のBGM: day after tomorrow (山田稔明)