adjustment

創立記念講話は、私が生まれる前の卒業生を講師としてお招き、たっぷり2コマ分の特別授業。大型コンピュータの開発などに携わってきた、IT黎明期からのエンジニアの方。キャリアを振り返り、高校時代に何をなすべきか、という深い話しがあちこちに。
進学クラス高1の授業は、講話で出てきた「適応」と「順応」の語義・用法から。
まずは、国語辞典で意味を確認。典型的な用例を日本語で答えてもらい、どちらが使いやすい・身近な語かを問う。全員が「適応」を選択。では、それはなぜか?なぜ、「適」と「順」しか違わないのに、一方を他方より易しいと感じるのか?と問い、語義を理解するのに、音だけではなく、「漢字」の持つ意味に依存していることを確認。「適」という漢字を用いる、その他の語を答えてもらい、

  • 適する、適切、快適

などなど。「適材適所」が出てこなかったのは残念。続いて、「順」という漢字を用いる語を問うと、

  • 順序、順番

くらいしか出てこないので、私の本業とか、ヨットの例を持ち出し、「順風」を引き出すと、

  • 順調

くらいまでは出てきたので、「順」の使い方を整理。ここからが英語の授業。
「適応」を『グラセン和英』で引く。「名詞」で一対一対応をさせようとすると難しいが、日本語の典型例で確認した結びつきを生かして「…に適応する」という意味に当て嵌まる英語を引き出すと、「動詞」で、

  • adapt

を得る。そこから『エースクラウン英和』に移動し、発音表記やコロケーションを見て、発音練習。
「この単語・動詞を、中学校の時に知っていた人は?」と問うて、手が挙がらないので、「ウソついちゃダメ!これのことはみんな日本語でなんて言っている?」といって、携帯や家電、PCや記憶メディアなどの「アダプター」という日本語のカタカナ語を生徒から引き出し、

  • adaptor [adapter]

を板書。「既に知っている語ですね。」と確認。高1はここから、

  • 日本語のカタカナ語では、動詞は定着しにくい。名詞と形容詞は定着しやすい。

という傾向を示し、『エースクラウン英和』の学習頁へ。
進学クラス高2は、当初の予定を変更して、この高1の取り組みを紹介。『P単・銅』も終わっていますから、adaptまでは流石に守備範囲の中です。「2年生はもう少し言葉がよく分かっているはずですね?」と言って、

  • adaptとadjustの違いは?

を調べてもらう。「アダプター」はすぐにイメージできるけれど、「アジャスター」の方はちょっと出てこないので、

  • スライドさせるものが多いかな?

と「お父さんのズボンのウエスト」を図解したところで、生徒の一人が、ショルダーバッグのストラップの長さを「調整する」道具を指摘。「では、それぞれ、どんな『合わせ方』をしているか?」ということで、定義・用例の確認。目的語、主語の他、「どどいつ」など副詞の要素にも着目。

adaptが「カチッと」「ピタッと」というイメージを持っているのに対して、adjustは、「少しずつ」とか「次第に」とか「段々と」とか「徐々に」とかいった「手間暇」をかける要素が感じられる「合わせ方」。英英辞典でも、本当に言葉を丁寧に扱っている辞書なら、そういった「どどいつ」に関わることばを使って定義したり、そういった副詞と一緒に使われた用例があるはず。

とまとめる。英英辞典でも学習用だと、

  • to change (something) in a minor way (Essential Learner’s)
  • to change something slightly in order to make it better, more accurate, or more effective (MED)

などといった工夫が見られます。

  • 英和辞典だったら、日本語訳に「調整する」というのがあるはずだから、その前に「 (微) 」と書き加えて「(微) 調整する」と読めるようにカスタマイズしておきなさい。

とアドバイス。「目盛りを合わせる」イメージを持てるといいのですが。
宿題の「同時に」を用いた日本語の典型例を扱って本日終了。まずは、母語の使用環境、脳内環境の整備からです。日本語でも、二つの行為・動作・出来事が、

  • here and now

で生じるのが基本ととらえているはずですが、

  • here and there but now

でも、

  • here and there but then

でも可能なので、「同時多発テロ」の例を挙げ、「いつでも “together” で説明できるわけではなく、前時にやった “at the same time”という言葉は、やはり絶対に覚えておかないといけないでしょう。」とまとめ。

空き時間の午後は、放課後までずっと教材研究。「とき」と「ことがら」の続きです。
いわゆる「英文法」の本では、『江川本』、『安井本』、『安藤本』でも解決の糸口は見えず。『デクラーク本』でも埒があかず。個別の概説書にあたることに。

  • 大津由紀雄 編 『ことばワークショップ 言語を再発見する』 (開拓社、2011年)

で西山佑司氏による「曖昧表現からことばの科学を垣間見る」。

  • 岡田伸夫 『英語教育と英文法の接点』 (美誠社、2001年)

で「第14章 I know the man you met, but I don’t know him.」の、「隠れ疑問文」から「隠れ平叙文」。
やはり「関係詞」そのものが分かっていないからではないか、ということで、

  • 長原幸雄 『新英文法選書 第8巻 関係詞』 (大修館書店、1990年)

の「第3章 関連構文と疑似構文」へ。
などなど、頭を使って見ましたが、出口ははっきりせず、

  • 影山太郎 編 『日英対照 名詞の意味と構文』 (大修館書店、2011年)

で、「名詞」そのものを少し掘り下げてみることに。
疲れました。
放課後は体育館のギャラリーでエルゴ。
UTの手前の負荷で、20分を2セット。ゆったり大きく。力まずに、「ギュイーン」と。セット間の水分補給と終わってからのストレッチを指導して終了。
途中、サッカー部と野球部の選手が何人かギャラリーで自主練に来ていたので、スタビライゼーションのポジションやフォーム、バックエクステンションでの臀筋の使い方などの指導を少し。臀部のストレッチも何種類か。もう既にハイシーズン。良いトレーニングを効かせ続け、競技のパフォーマンスを上げてくれることをただただ願っています。
久々にTVで村上龍を見たが、えらく老けたな、という印象。取り上げられていた二人の「修」のことは初めて知る。良いものをつくったら、伝えて、売る、というところまでは頷けるのだけれど、「高付加価値」「拡大」というところがどうにも。私が学校教育にかかわっているから余計にそう思うのかもしれない。教育って、ただ「自分の学校のファン」を増やしてもよくなりませんから。それによって、他の学校が人気を失うような、「限られたパイの奪い合い」で教育を考えていてはダメでしょう。この分野は、本来的に「マーケット」の比喩がなじまないのだから。学校の部活動では、教育の拠り所となる可能性を残す「競技スポーツ」も行われている。しかしながら、競技スポーツを「マーケット」と捉えている限り、少しでもいい素材を仕入れて、自分のところで鍛えて、高く売る、ということが目的になってしまう。最初は素人、初心者集団で始めたというのに、強豪校になったらなったで、その高さに自分が居続けることにさえ満足せず、更なる高みを目指そうとするのは単なる「欲」。それではいつまでたってもスポーツは文化にならない。私の進学校嫌いの源泉もこのあたりにあるのだろう。
進学実績を伸ばすのは結構。私の勤務校でもみな努力します。でも、伸びたら伸びたで、それ以前には入学できていたはずの学力や資質を持った受験生が入学できないような難しい学校になってしまったことに対する、後ろめたさ、申し訳なさのようなもの、もっと言えば教育に関わることへの「畏れ」を忘れてはならないと思う。公立校教員に「異動」は付き物だが、教員として生きる上では、教育への「畏れ」を常に思い起こさせてくれる機会とも捉えられるだろう。私学に身を置く者であっても、自分の心に「異動」する余地、余裕がなければ、いつしか「畏れ」を忘れてしまうように思う。

金曜日は、朝から邪気に呑まれそうだったので、丹田丹田。
もともと進学クラスのみの時間割。今週の短縮授業でかなり授業時間は減りましたが、できることをやるしかありません。
高1は、『エースクラウン英和』の学習頁から、私の書いた「リスニング」のところを一つひとつ。スペースの関係で、ここには盛り込めなかった「ボツ」の内容も示しながら。
カタカナ語と英語とのズレを指摘しながら、「アクセント・強勢」を常に確認して、正しいリズムで発音・音読。「長いものにはご用心」で、カタカナ語の長音記号でしっかりと立ち止まって確認。

  • manager / private / pattern

など。
今日は、upgradeとか、plugなどの語も扱うので、「子音字プラス」の発音練習。 /r/ と /l/ の調音を自分の身体の部位を使って説明。語頭の /r/ writtenもスムーズに。側面開放はモデルを徹底し、まずは静聴から。

品詞が変わると、アクセントの位置が動くように感じる語をいくつかまとめて練習。
代表例は、 -ateで終わる動詞。「動詞で –ateは二つ前」の合い言葉を復唱して、英語の発音を徹底。続きは土曜日の課外講座で。

高2は、パート3の肝、「もの」と「こと」。

  • I remember the day when we first met.

を英語でのパラフレーズを交えて、言葉の意味を大切に扱うことを説く。
授業では、深追いはしなかったが、この表現も否定にしてみると、

  • I don’t remember the day when we first met.

では「ことがら」感が薄れ、「とき」が濃くなるように感じる。この場合は、

  • I don’t remember when we first met.

とほぼ同義であり、「潜伏疑問」と見なせるだろう。

  • I don’t remember anything about the day when we first met.

となると、少し立ち位置がずれてくる。こちらは、覚えていない「ことがら」を別の名詞句で敢えて取り上げている。この意味を表すのであれば、rememberの目的語に当たる語に「ゼロ相当」の否定語を用いて、

  • I remember nothing about the day ….

と言い換えることも可能だと思う。
では、それとは意味の対照的な、「肯定」の名詞句を取り出せるかというと、

  • I remember a lot about the day ….

というのは少し無理があるように感じる。やはり、

  • I vividly remember the day ….

などのように、「数量の多寡」よりも「イメージの明確さ」の副詞を伴うことが多いような印象である。
COCAから類例を引いておく。出典は、90年代初頭のSaturday Evening Post。

I can still vividly remember the moment during the predawn morning when the connections finally came together in my head.

ここでは、具体的な「とき」に関わる情報が補足されているので、「潜伏疑問」という読みは難しく、when以下の「ことがら」を目的語としていると読むのが適切だろう。
次は、文脈がわかりにくいけれども、Doux Papaこと、Maurice Pegionに関する息子の述懐がソースの模様。

I still remember vividly the time I spent with him when I was 15 years of age: it became a prelude to my ‘preparation militaire', a sort of civilian ROTC.

この例では、「とき」に関わる情報は、「自分が15歳の時」として補足している以上、「彼と過ごした時のこと」という「ことがら」の読みを要求されるだろう。
<remember + 時を表す名詞>には気を付けよ、と心して今後の学習に励んでくれる人が増えることを期待します。COCAよりさらに引く、

The Tuckers arrived in Zimbabwe in 1997, a time when the country was the epicenter of the AIDS crisis in Africa. Unable to have children of their own, the couple threw themselves into volunteer work at a local orphanage filled with sick infants. It was there they met a baby girl named Chipo. In the Shona language, her name means gift,' and they remember the moment they first saw her as if it was yesterday. Mrs-VITA-: He saw her first. Mr. TUCKER: She was the tiniest, smallest little thing under these blankets. I describe it in the book as a forest of blankets. And I leaned down and bumped her nose with mine, and that didn't get a response. And then I was just sort of, you know, looking and she reached out with her hand and she grabbed my little finger and she held it.

NPRの2004年の番組 “Experience of Neely and Vita Tucker in their efforts to adopt a child from an orphanage in Zimbabwe” から起こしたスクリプト。
日本語と同じで、「初めて彼女を見た時の『こと』を、昨日の『こと』のように覚えている」という読みをしているはず。
目的語が「時」に関連しなければ、「もの」または「潜伏疑問」での解釈で解決するでしょうから、あまり悩まなくていいと思います。

放課後は、新人を連れて湖へ。
今日は、2Xの清掃と整備。自分たちが使う艇なのだ、という自覚を持たせるために、付きっきりで丁寧に水垢を落とし、レールもマイクロファイバーで拭き拭き。ローロックアセンブリは私がセットし、ストレッチャー周りも一新。細かいリギングは乗艇練習をする週末に回して、帰りがけに、市が作った施設の方を見学に行って、水域の概要を説明。駅まで送って解散。
私はいったん学校に戻って、学校週番を済ませてから帰宅。
晩酌に妻がタラの芽の天麩羅を作ってくれた。深謝。

本日の晩酌: 若駒・純米・無濾過生原酒・無加圧採り・岡山産雄町70%精米 (栃木県)
本日のBGM:Painter from memory (Elvis Costello with Steve Nieve)