「今だってこれからだって、そうするだけさ」

この週末は本業の県大会の予定だったのだが、日曜日にかけて暴風域に入る予報で、急遽、公式配艇練習日の土曜日のうちに、ヘッド形式でレース終了となった。新入部員は日曜だけ連れて行こうと思っていたので、レースは見せられず残念。レーンコンディションを考えると、タイムは良いとは言えないものの、ともかく今回の上位選手は、これでGWに熊本県・菊池で行われる遠征への参加権を手に入れたことになる。1日に1000mレースを4発とか、2000mレースを2発とか、短期間で思う存分漕げる環境で他県の強豪と切磋琢磨できるかは、それまでの日々のトレーニングの質と量、そして気持ちにかかっています。自チームは、遠征には出られませんのでGWの終わりまでに新人の漕艇の前の段階の「操艇」を徹底しておこうと思います。

風雨の強まる夕方、妻と娘の買い物に同行。職場で飲む珈琲豆も仕入れてきました。
帰宅途中、妻がボールペンのリフィルを求めて書店の中の文具店へ。
便乗して、気になる本をいくつか物色。ソボルの『二分間ミステリー』シリーズの一冊 “Still more …” から作ったと思われる、

  • 『ミステリーを読んで英語のスキルアップ』 (英宝社、2011年)

という教材が、地元の大学の英語のテキストで使われているらしく、平積みしてあった。店員さんに、「これって、○大生じゃなくても買えるの?」と尋ねると、OKとのことで、即買い。CD付きというところがポイント。解答解説はないけれど、翻訳の文庫本は既に学級文庫にあるので、それを見れば「謎解き」は分かるから、進学クラスの高2が「対訳」を浮き輪とする多読にはちょうど良いでしょう。これで、オリジナルの “Two-Minute Mysteries” のPBと、 “More …” の版でかつてマクミランから出ていた教材用の英文と、3部作揃ったことになるので、ちょっと嬉しい。
高1で “Nate the Great” のシリーズから “Encyclopedia Brown” のシリーズあたりまで (過去ログ参照→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20120204)、高2で “Two-Minute Mysteries” から 『書き下ろしサスペンス』 (英教; 過去ログ参照→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20111024) という流れで、「物語」を読んで欲しいと思います。高校生が読むに値する、良質の「物語」を大学入試から解放して商品化する出版社が増えて欲しいと願っています。
以前、といっても2008年なのだが、旺文社から、マーク・ピーターセン氏の書き下ろしで新書版の物語が出ていたけれど、反響はあまり耳にしない。せっかく伊藤裕美子先生が共著で入っているのにね。編集者や営業サイドに、「本当に良いものは売らなければ」、という覚悟のようなものはないのだろうか? (私の評価は過去ログ参照→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20081017 )
まあ、そんなこと言うなら、自分で良質の物語本を作れ、といわれて終わりでしょう。『高ため三部作・英語版』をなんとか形にできるような筆力、英語力を鍛えたいものです。

このところ検索ワードで多かった、 “Element Reading Skills Based” + “訳” の背景を考えていました。次のサイトを見てみると、まだまだ「高校英語」の現在地はこんなところにある、というのが分かるのではないでしょうか。

某所でも呟いておきましたが、このリクエストをした人がこの教材を使っている高校の英語教室では、いったいどんな授業が行われていて、どんなテストが課されているのか、想像するのは簡単。でも、これが現在地、という教室は多いと思われるので、批判しておけば済むというものでもありません。
学芸大の金谷憲先生のグループが『訳読オンリー』からの脱皮・卒業を謳った指導法の改善、教材作成、さらには啓蒙・普及活動を行っています。

  • 『高校英語授業を変える! 訳読オンリーから抜け出す3つの授業モデル』 (アルク、2011年)

という本も出ています。でも、こういう本を読んで授業改革をしたり、研修会へと参加するような先生なら、授業の前にしろ、後にしろ生徒が「日本語訳」を欲しがるような残念な授業にはなっていないはず。その教師が責任を持って授業の前・中・後で日本語訳を提供しているか、日本語訳に依存しなくともよい内容理解の確認方法を担保しているのだろうから。「教えてXX」とか「知恵○」などのサイトでの英語学習者の欲求や疑問を見ていると、学習指導要領のお題目や『英語教育』などの雑誌で英語教育学者や研究者、そして中高のカリスマ教師が説く理論や実践との温度差を感じます。そしてその差は余りにも大きいのです。

教師は英文を訳さないし、生徒が訳すことも求めないし、授業の前・中・後に関わらず、模範的な訳も渡さない。でも、多くの生徒は授業中の活動に取り組む中で英文の内容をよく理解しているし、理解していることを本人も生徒自身も確かめられる。一方、間違った理解をしていた生徒の方は、なぜその間違った理解に達したかという理由・原因が少なくとも教師に分かり、理解の修正へと進むことが出来、間違った理解をしていた生徒自身も、自分の間違いの原因に気づき、次回への自戒に生かすことができそうだと、実感して授業が終われる。

そんな授業なら生徒として自分でも受けたいと思います。

日本語に訳そうが英語で置き換えようが、内容が理解できて、そこで読んだ英語表現が自分のものになって、読んだ分だけ自分の英語力が上がったな、と実感できる。

教師としての自分が志しているのはそういう授業です。

大学入試が波及効果を持つ高校英語の教室、より正確に言えば英語の学習において大学入試という「波」を気にする高校生は、全体の5割に満たないことはこのブログで再三再四指摘しています。その「波」に乗る高校生と、「波」に飲まれる高校生を合わせたところで、過半数に満たない少数派に当たるはずなのに、そちらがあくまでも「主」であるかのように、指導要領が改訂され、指導主事への伝達講習がなされ、現場がコントロールされているところに問題の深刻さがあるように思います。

  • 大学英語教育学会監修 『テスティングと評価 4技能の測定から大学入試まで』 (大修館書店、2011年)

では、第5章 (pp. 116-143) を割いて、「英語入学試験」を扱っています。p. 136では『英語青年』での拙稿を引用してもらっているのに申し訳なく思いますが、「大学英語教育学会」が各大学の大学入試問題の出題に関して「要望」ではなく「意見」とか「批判」「異議申し立て」が出来るような立場にない以上、この「第5章」の波及効果はほとんど期待出来ないことになります。良識のある英語教育学者の意見や、現場の臨床の知よりも、政治的な動きに長けた、声の大きな者の考えが採用されて、財界の思惑を「サウンド」よろしく取り込んだ「学習指導要領」「指針・指標」が現場に降りてくる、というのは歓迎できません。
私自身、主として「英作文」「ライティング」の領域での「大学入試問題」には人一倍の関心を寄せてきました。過去ログでも、予備校のテキストの解答例の不備を指摘してもいます。最近読んで唸ったのが、

  • 高3英語 阪大神大英語 [英文法英作文集中講義]

これは近畿圏では定評のある「研伸館」の春期講習テキスト。
英作文にも活用できる表現、というねらいなのだろうが、表現がこれでもかとリストとして示され、

  • ↓知らない表現があったら覚える!
  • ☆文法はとにかく早く解けるようにする!

という受講生のメモが残っていました。「表現」と一口で言っても千差万別でしょうが、まず一例。
整序作文で、

  • I never cross this bridge without thinking of my old days.

という、いささか冴えない表現を学んだ後で、「書き換え」に対応したいらしく、

  • (?) Whenever I cross this bridge, I always think of my old age.

と受講生が自分で書いています (文頭の?は私が付けました)。それを、担当講師からの指導なのでしょう、alwaysは「書く必要がない (くどい)」として抹消線で消して、

  • Whenever I cross this bridge, I think of my old age.

と修正しています。問題文では、 “days”だったところを自分の頭で勝手に “age” としているのですがここには全く気づいていない模様。それ以外の書き込みは一切なし。では、なぜ、「くどい」のか、なぜ「書く必要がない」のか、この受講生は本当に分かったのでしょうか? はじめに “always” という副詞を思いついたこの受講生の自分の頭の中の英語のデータベースで、

  • When I cross this bridge, I always think of my old days.

との区別は整理できているのでしょうか?心配です。
私自身も、高3生の指導で、この表現は扱いますが、重点の置き方は全く異なります。過去ログでも公開している「診断テスト」の解答解説から抜粋。

74. 外国旅行をするたびに、若いときにもっと外国語を勉強しておけばよかったと後悔しないことはない。
Every time I go abroad, I really feel that I should have studied foreign languages more.
※ 「〜するたびに」は接続詞と時制の整理にもってこい。
Every time + sv, SV. / Whenever sv, SV. / When sv, S always V.

I regret that I didn’t study foreign languages hard enough when I was young every time I travel abroad.
※ 二重否定は日本語ではしばしば目に付くが、本来伝達したい内容を曖昧にするので乱用は慎むべき表現。
上の例では、肯定でとらえ直した。
※受験英語で頻出構文とされている never … without〜も乱用は慎むべし。以下のような英文は避けるべし。
(?) I can never go abroad without realizing that I should have studied foreign languages harder.
※また never … without 〜 は必ず『… すれば必ず〜する』となるわけではないことに注意。以下の例参照。
You can never master a foreign language without staying in a country where it is spoken for a few years.
(?)あなたがある外国語をマスターすれば必ずその言葉が話されている国に数年滞在したことになる。
(○)その言葉が話されている国に数年滞在しないと、ある外国語をマスターすることはできない。

75. この色褪せた写真を見れば、必ず自分の子供の頃を思い出す。
This faded photograph always reminds me of my childhood.
※ remindを用いるなら、この形。無生物主語などととりたてて騒ぐことはない。ごくありふれた文。
I always remember my childhood when I see this faded photograph.
※ 能動的に「思い出す」という行為は remember ; recall などで表す。
(?) I cannot see this faded picture without being reminded of my childhood.
※ 74.でも示したが、<否定+without>の乱用は慎むべし。かつて同志社大の出題で、このパターンに当てはめ、cannot + without +-ingのみならず、その –ingの動名詞部分に受け身を要求する語法問題があったが、具体的な状況がイメージしにくいやや不自然な表現となる。

リストを示して、覚えさせて、小テストをして、覚えるまでやり直し、という「作業」からこそ脱却したいものです。

上述のテキストで学んだ受講生は、他に「空所補充4択選択完成」の問題で、

  • He has [more money than he can] spend in his life.

という英文を確認した後で、「※ 特にムズカシイ。thanの後に notは使えない」という注意書きを色ペンで書き残しています。これを見た時に、「いまだにそこが現在地なのか?」と思いました。4択完成ですから、当然のことながら、錯乱肢となる選択肢には、 “not” を使ったものが用意されているわけです。テキストでは「比較」という文法項目を重点として扱っているのですが、結局のところ「比較級を用いる際の論理」は何も明らかにしてくれないまま、重要表現をリストとして覚え、問題演習を繰り返し、その最後に「和文英訳」を課すことでアウトプットとでも思っているのでしょうか?残念ながら、これでは英作文の力、ライティングの力は一向に付かないでしょう。
再び「診断テスト」の解説から、

93. 信号が青にならないうちに道路を渡るのは何より危険です。
Nothing is more dangerous than starting to cross a street before the traffic light turns green.
※日本語では「何より危険」とあるが、英語の最上級に相当する表現では、範囲や基準を示して、別格であることを示すのが普通。したがって、この場合は (?) the most dangerous とするのは避け、比較級を用いるのが無難。
※日本語の「〜しないうちに」に対応する before の用法を確認。英語は「前後関係」を表すもので、否定語は用いていないことに注意。類例は、
  cf. 「彼が来ないうちに仕事を済ませよう。」 → Let us finish the work before he comes.
  さらに、比較級との比較を!! 英語の比較級ではthanの後の基準値を越えていることを表すもの。
    「言葉では言えないくらいあなたのことを愛しています。」 
    →『言葉で言える基準を超えて愛している』 → I love you more than I can say.
※比較級も用いず、次のように表現しても、充分に意図は伝わるということを覚えておきましょう。
It is very dangerous to begin crossing a road before the traffic light turns green.

この93番の解答例に、大仰な<否定主語+比較級>を使っていますが、同じ診断テストで少し前にでてくる、

  • 78. サッカーほど競技人口の多いスポーツはない。

で、日本語で「最上級」に相当すると思われている表現に対して公式化された英語を当てることに対して注意を与えています。このあたりは、ケリー伊藤氏の影響も多分にあるところ。ちなみに、「診断テスト」の 10番で、

10. あなたの順番 (turn)が来るまで待ちなさい。
Wait until your turn comes.
Wait (for) your turn.
※ 慣用表現と副詞節の中の動詞の時制。your turnと名詞にまとめることができると便利。

を扱っているところにも、その影響の一端は感じられるでしょう。授業では既習事項と関連づけ、「では、この文は、誰が誰に対して何のために伝えているものなのか?」を考えさせながら、場面や相手に応じた、よりシンプルな表現 (この場合なら、 “Wait for the green light.” とか、”Walk on the green light.”) で整理させるために、わざわざ「ノート」を作らせています。
このように、私が、参考書や問題集だけでなく、予備校の講習などで使われるテキストとその解答を入手している、という事実だけを取り上げれば、「知恵○」で日本語訳を求める高校生と同じと映るかも知れません。しかしながら、私がそれらの「学校教育の外」の教材に答えを求めているのではありません。私は、その「解答例」で扱われている英語表現と論理、さらには、どうしてそのような英語表現となるのか、という英文産出のプロセスを批判的・建設的に「吟味」したいだけです。高校現場で大学入試対策のニーズがあり、そのような授業が成立する “the lucky few” にとって、本当に「抜け出す」べきものの実態を明らかにすること、とでも言えばいいでしょうか。
上述の『テスティングと評価』、第5章の執筆者、濱岡良郎氏 (広島国際大学教授) は拙稿へ言及した部分で、次のように述べています。もっと声を大にして言ってもらいたいものです。

  • 大学は対外的に大学が求めるものを明示的には発信していないことになる。いまだに予備校や出版社が解答と解説を売り物にする状態は不健全である。(p. 136)

では、高校現場を預かる英語教師はどうするか?悩み所では悩み、迷い所では迷う?やっぱりそこからでしょう。ただ、生徒よりは少し先に悩み迷っておくことが求められるというくらいには自覚的です。追いつかれたら追いつかれたで、生徒と一緒に出口を見つけるまでです。

未明より暴風雨となった日曜日は雨読とばかりに、『井上成美』を読んで、締め直した褌で、もう一相撲。こちらもまた田邉先生に教えて頂いた、

  • 儀同保 『獨學者列傳 (独学者列伝)』 (日本評論社、1992年)

を小一時間ばかり。この手の本は、気圧されてしまわぬように少しずつ。

フィギュアスケート国別対抗戦は、開催国の地の利が色濃く出て日本の優勝。女子フリーの村上選手は残念な滑りだった。鈴木選手の演技は観客を巻き込み、盛り上がるものではあったが、得点は少々盛られ気味。EXでは安藤美姫選手が登場とのこと。録画しとかなきゃ。

本日のBGM: 靴紐直して走る (eastern youth)