『ゲレンデがとけるほど恋したい』

センター試験の自己採点も終了。
全体的には例年以上に得点している感じ。個別試験で勝負できる位置は確保というところでしょうか。
英語の試験問題の「批評」に関して、あれこれとネット上でコメントが飛び交っているけれど、センター試験って、「学力試験」なのだ、という本質的なことを踏まえた指摘をする人は多くないようです。
試験に出てくる英文、英語表現が次から次へと、自分にとって「リアリティ」に溢れていて、解いていてワクワク、ドキドキする、なんてことはないでしょう。
英語の200点は数学を2科目合わせた200点と同じ重み付けなのですよね。
その部分は納得した上で、個々の設問や「英語そのもの」に関して、気になったところを。
第3問のA. 文脈から語義を類推する問題。これは、いつも言っていますがナンセンス。
特に、問1は obstinateって、ちょっと英語力の高い受験生は既習の語彙なので、語義を問う意味がない。昨年も指摘したが、ここでは

  • 「初めて見たので意味が分からない語句・表現」でも、前後の文脈から推測される統一した主題に照らして、また対話の当事者の向かうゴールを踏まえて、「きっとこういうことを言いたいんだろうな」と割り出す力を測りたい。

のであれば、こんなまどろっこしいことをしないで空所補充で出題すれば充分である。
第3問のB.「ディスカッション」もどき、の出題。この出題に関しては、高2の授業で、「センター試験という制約のある試験ならでは、という特徴がはっきり出ている」、と直前に解説をしていたもの。
この形式が何年か続いているけれど、これは英語で議論する能力を測定するものなどでは決してありません。そもそも、小説や戯曲ではなく、単なる対話文を読ませる出題そのものが、「読解力」を測定しているのではないのと同じことです。これは、言い換え・パラフレーズ、または要約をさせるもので、せいぜい、

  • センター試験はマーク式なので、実際の「パラグラフライティング」はさせられないから、主題を掴まえた上で、結論部分でのrestatementをさせている。

程度で捉えておくべきでしょう。そう考えると、トータルで、80-100語くらいのまとまった「意見文」の体裁は整うわけです。他者による、言い換えやまとめですから、当然、不備も出てきます。2年生には、今年度の3年生が最初に受けた「センター模試」で使われた英文と設問を元に、センターの前日の金曜日にコメントしておきました。

まず、登場人物は4人だけれど、設問が3カ所しかないので、通常は持論を展開するのは3人。司会者がいた場合に、「議題」を整理し、参加者には何が求められているか、というセッティングをするためには、議論の冒頭で5,6行分くらいの英語をつらつらと喋る必要があるかもしれないので、そこは目をつぶる。
議題が明確になったところで、参加者が意見を述べるとして、通常は、

  • 賛成
  • 反対
  • 条件付きで賛成
  • 条件付きで反対
  • 態度保留

くらいのスタンスが考えられる。最後の態度保留は、まとめたり言い換えたりするのが難しいから、稀。議題の条件設定の根底からひっくり返す「そもそも」論はまずない。とすれば、だいたい、上記の4つ目までがどのように出てくるか注意して読んで行けばよい。
ところが、センター試験ではいきなり、長文で意見をぶち上げる人が出てくるので、心の準備を。
演説じゃないのだから、自分の意見を切り出したり、質問したり、という「自然な」議論のオープニングでは、一人が5,6行分、50語とか80語とかもまくし立てることはまずない。そんなに長いこと喋られても、最初に何を言っていたか忘れてしまうこともあるので、必ず、発言内容の確認で綱引き、キャッチボールが必要になる。発言内容をまとめる際に、

  • こういう理解でOKか?

というやりとりがある。しかも通常は、このやりとり一回でお互いの摺り合わせが終わることは稀。
Aさんの意見に、Bさんが同意したとしても、それ以外の人がどう感じているのかは、聞いてみないとわからない。そこが、司会者の役割。でも、たいていの場合、「言い換え」たり、「要約」したりしたあと、そのオリジナルの発言をした人は、それに「同意する」形で、きわめて都合良く議論は進んでいく。

  • いや、そうは言っていない。私の意図は△△。

という綱引きの末、

  • ああ、なるほどね。私は○○というところだけを考えてしまったわけだ。××という条件を踏まえれば、△△という結論になるね。

などという落ち着き先をみることはセンター試験では稀。
最初に確認した、4つのスタンスは明確だけれど、自分の意見に対するまとめやコメントに対して、反論したり、修正を求めたりはしない。
という、「センターならでは」のお約束に慣れておかないと、英語の運用力があればあるほど、不自然さが鼻について解答に集中できなくなる。

という話し。
それを踏まえて、今回の出題に関して、実際に自分でも問題を解いている高2生の授業で行った解説は次のようなもの。

司会者がいないけれども、基本的なお約束はほぼ踏襲。
最初の2問は、「言い換え」と考えれば、まあ、頷ける設問であり、英語表現だったのではないかと思います。
最初のKenjiの発言では、
“too much” で条件設定、”harmful” で「反対」のスタンスを感じ取れば、選択肢は3か4に絞られてしまい、”it can delay their speech development” でその理由付けにつかわれている、”delay” という動詞は、交通機関の遅れなどに使われる動詞であることが分かっていれば、「定時に着かない可能性がある」ということで、「早い遅い」に言及した4が残る。という解答手順でしょうか。ただ、法助動詞でcouldとmayとmightの境界線は結構曖昧ですが、canは「ないことはない」と話者がそのpotentialを示しているわけですから、それを「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という表裏一体のmay notで置き換えるのは乱暴な気がします。これが、パラグラフライティングで同じ筆者が書いたものであれば、突っ込みが入るところでしょう。
二つ目の、Takakoの意見では、”it’s OK” で、「優・良・可・不可」のうち、「可」という感覚をつかみ、”as long as”で「条件付き」という部分を押さえておけば、選択肢で条件付きは4しかないので、正解に辿り着けるかなという気はします。
しかし、最後のHiroshiの意見に関わる設問の選択肢では、 Hiroshiの発言に対するMikiのコメントで、”valuable lessons in life” が、どの部分をまとめたり、言い換えたりしているのか、という点で正確ではないように感じました。
もっとも、このMikiの発言では、”you seem to be ….” と、断定ではなく、印象を述べているので、正しく捉えられていなければ、オリジナルの話者から、訂正・修正の発言でキャッチボールがなされて、議論が噛み合う、というのが通常の議論の展開でしょう。
今回の出題では、 ”Let’s talk about this again later.” と先延ばしを呼びかけているのは、Hiroshiではなく、Takako。ここは、本来は、MikiとHiroshiの間での摺り合わせが来るべきところでしょう。
結局、こんな限られた分量では議論の出口に辿り着くことは普通はないので、「時間切れ」のもっともらしさを「昼休み」で設けたところにこそ、「リアリティ」があるのかもしれません。
とはいえ、解答にもそんなに時間をかけていられない問題でしょうから、これこそ、聞いてお終いの「リスニング」の試験で出題するのがいいのではないかと思います。

センター試験を実際に解いてみた高2生に対する来年度に向けての解説はこんな感じです。来年の出題では、「問題文の英語そのもの」で受験生をドキドキさせてくれるのでしょうか。

進学クラス高1の授業では、『if本』三冊から、用例取捨選択の旅。単なる用例収集から一段階上がったといえるでしょうか。そう考えると、「収拾」といってもよいかも知れません。
普通科高3再入門講座は、一クラス授業終了。予告問題集も配付。しっかりと準備して下さい。
一日中、気温が上がらず、パッとしない天気の中、帰宅。
夕飯はあっさりと。晩酌なし。
妻のリクエストで、録画してあった、assistance dogsの訓練風景をもう一度見る。
下駄箱が到着。梱包を解くのは明日以降だな。

本日のBGM: Turn! Turn! Turn! (綿内克幸)