divination

FBで引いたおみくじが「大吉」だったおかげではないだろうが、9月の学習英文法シンポジウムに向けて準備している時にはうまく「言語化」できていなかったことが、3ヵ月経った今になって随分とはっきり見えてきたように思う。

教える側の英語は、一つの体系、一つの組織をもった英語として、すでにまとまりとして捕らえられているはずであり、その中で「話したり、読んだり」の教育の作業が進められると思う。つまり、英語という一つの全体像があって、さまざまに生起する現象を、できることなら順序立てて整理しながら、無駄のないように進めてゆくわけである。
学ぶ側から見た英語は、体系や仕組みを知らない、もっと、それ以前の一つの事実、一つの現象に接するわけで、体系の理論ではないと思う。こういう率直な、英語という言葉については、幼児にも等しい初習者に対して、教える側の扱いが狂えば、同じ英語が異なった二つの英語になりかねないと思うのだ。
今も思い出して感謝していることがある。初めて教壇に立った頃であった。下宿の近くに囲碁の腕前の高い人がいた。「囲碁をやりに来ませんか。英語の勉強のつもりで」と言われた。こちらが囲碁をできないことは承知の上だった。教えましょうとは言われなかった。囲碁について、碁盤の上の碁石の置き方など、体系を心得ておられたその人は、初めそんなことは言われなかった。白い石と黒い石はちがうのだ。同じ石であっても。勝手に石を置き、並べてゆくと、いつも行きづまった。ここは、こうだねと言いながら、並べかえられ、直された。次第に石の置き方の型 (パターン) が想像できた。自分でパターンを作ってみると、だめでしょと言って修正された。そのころ、「これを読んでみたら」と言って薄い冊子をいただいた。ごく基本のルールらしきことが書いてあった。覚えた。その通りにやれないが、試行錯誤した。こちらは、点や線で考えていたが、先さまは、面の中の線であり点であったことになる。体系・仕組みという碁盤の面があってのことだった。こちらは、何も知らぬ初歩であったから、先に体系を説明されたらどうだったろう。わかったように思うが、それで碁石が置けるわけもなかったろう。「英語の勉強のつもりで」ということを心にくく思って感謝したのは、ずっと後のことだった。述べたいことの意は尽くせないが、わかってもらいたい。
英語の初習者には、日本語という母語がある。その仕組みは身についている。そこへ、体系の似たような異母語ではなくて、全くの外語である英語に立ち向かう。母語の体系から切りはなさなければいけない。新しい別の体系をつかんでゆくことになる。新しい碁盤のシステムを身につけて、新しい碁石の置き方・並べ方を身につけるわけである。
体系を心得た先生の見る英語。それと、タテもヨコも見当のつかない初習者の見る英語。いずれも同じ英語だが、学習と指導のやり方によっては、二つの英語になりかねない。
自分の母語のシステムとは異なった別のシステムに、自分では疑問を持ちながら、枠にはめこまれるわけである。全体像を心得ていても、それをあらわにしないで導いて、折にふれ場に臨んで、システムの道標を示され、いつかその基本のあらましをまとめたことを教えられると、英語の姿が、英語の仕組みがつかめてくるだろう。耳から入り口に出て、語の並び、語順 (word order) に慣れ、こんなときはこの型 (pattern) かと、身につける言語の使用練習、言語活動の指導が重要ではなかろうか。
それは、まわりくどく、「主語+動詞…と並ぶのだ」のように公式をまず先に出して、解説を一通り述べるのがよいのだろうか。型だけ暗記していても、その型がうまく作動してくれるものでもあるまい。
初習者の英語に対して、指導する側が、その英語を、どちらの側から見てゆくかということは、一つの英語を一つにして進めるか、二つの英語にしてしまうのかの分かれ道になる。
体系を前面に押し出して、その資材である言語材料の解説を重くみて、それには単語だ、動詞の型だと知識を積むだけが外語の、それも初習の段階でやることではないだろう。
体系は心得て、しかるべくかくしておいて、その資材のこまかな理屈はぬきにして、ほどほどに止め、語の並び方を重くみて、音声のしつけに心して、まず耳と口を慣らして、おおよその段階で、類型をつかませ、慣れさせ、語順の中の結びつきのためのあり方をとりきめのルールとして、ミニマムな量の基礎文法としてゆくというのが本道ではなかろうか。言語材料の指導もだいじだが、それだけが目的ではなく、手段・材料であるから、システムの中の「聞く、話す」ことから仕組みをつかませる。そうすれば、「聞き、話す」ことがらが、文字で書かれたものを「読む」ことも、また、平易なことを文字を使って「書くこと」も、言語活動として指導してゆくことではあるまいか。

かなりの長文にお付き合いいただいた。これは、

  • 鈴木忠夫 『英語教育---素人と玄人』 (六、初めて学ぶ英語について、pp. 34-37、清水書院、1983年)

の引用であって私の言葉ではない。著者の鈴木氏の略歴は、

  • 大正3年 (1914年) 神奈川県に生まれる。神奈川県立小田原中学校、東京高等師範学校文科第三部 (英語) を卒業。滋賀県、東京都で教え、神奈川県立湘南高等学校在職中に、ガリオア留学生としてミシガン大学に留学 (昭和26〜27年)。神奈川県高等学校英語研究会長、神奈川県教育委員会指導課長、県立平沼高等学校長、県立貿易外語高等学校 (のち、県立外語短大付属高等学校) 校長、県立外語短大教授を歴任。その間、文部省の教育課程、学習指導要領 (英語) の改訂に参画。教科書などの編著、英語教育関係の論文、著書がある。

となっている。進学校と英語に特化した教育課程を持つ高校での指導経験、管理職から指導主事、短大教授、そして指導要領の策定に携わるという経歴はまさに、教育に関わる者としては栄光の架け橋に見えるかも知れない。しかしながら、この書を著した1983年の著者は69歳。隠居を前にした翁の「べき論」には違いないのだろうが、その言葉には、大きく頷いた。途中で、自分が書いているのではないか、と錯覚する一瞬もあったほどである。

高等学校の英語の指導を省みるに、御上からの「今」の風を受け、学習指導要領にさえ「コミュニケーション」そのものの明確な定義がないにもかかわらず、「コミュニケーション英語」という得体の知れない掛け声に踊らされ、「気づくべき」何かを求めながらも、何に「気づき損なった」かには目をつぶったまま、教室現場に擬似的な「使用場面」を持ち込んで安堵している教師が増えてきているような印象を受ける。その一方で「進路保証」という大義名分から、大学入試での合格実績を追いかけることに躍起になり、発達段階に見合わない「基本語彙の暗記」と「体系的な文法の習得」を学習者に一律に課すことで、学習者を小テストで追いまくっている教室があちこちにあるように思う。どちらも、碁盤の「面」を既に自分のものにした者から見た「英語指導」「英語教授」であることに変わりはない。そして、教室の外から、そのような「学校英語」の取り組みを批判する者もまた、その批判が「英語という言葉の実態」を熟知し、「英語を使う」という、いわば「面」のマスターであるからこそ見える「アラ」だということを省みることは稀であるようだ。
私の進めようとしている「局地戦」とは、教室で学習者を英語と格闘させる「戦場」を想定するものではない。そうではなく、教室の英語が「二つの英語」とならないように、教師として、「英語使い」、「英語人」としての「面」にかかわる体系は体系として持つことと、通り抜ける価値がある密林のガイドとして、学習者の行きつ戻りつや、迷い道、やり直しなどの一見無駄に見える歩みに付き合うこととを、自分自身の中で戦わせることを志向しているのだと思う。

近所のBook-Offで、105円で売られていた『ロイヤル英和辞典』 (旺文社) を購入。
語学関連の棚には、恩師の名前があったので、購入。

  • 千野栄一 『言語学への開かれた扉』 (三省堂、1994年)

随分前に出版されているのに、これは読んでいなかったなぁ。一般的な入門書であり、通信教育の大学テキストでもあったようだ。マテジウスについて書かれたところを丁寧に読む。あの西ヶ原の教室が懐かしく思い出された。

午後からは、仕事部屋の整理整頓。
アマゾン経由で購入したLEDデスクライトが届く。自然光に近いという宣伝文句に違わぬ製品で手元も充分に明るく、視界がとても快適。「お値段以上」を謳う店で買わなくて正解。
床に平積みだった書籍の多くが収まったのはいいのだが、机の前の書籍は、机の天板も含めて、三段の棚の奥と手前とで二列に並べているので、その書籍類を仕切るためのbookendを購入しに真っ当な文具店へ。大中小と3サイズ調達。この部屋にプリンタとオーディオ用の棚がもう一つ入る予定なので、そちらの棚の下のスペースで雑誌など書籍を入れておくのにさらに2セット。ついでに、ペリカンのリフィルと、LIFEのエキスパートノート (方眼、A5) も。

英国のTV局、BBCがやっているクイズ番組、Celebrity Mastermindで私が敬愛するミュージシャンである、The Divine ComedyのNeil Hannonが優勝 (という表現で良いのだろうか?) とのニュースをtwitterで知り、その後のラジオBBC Radio Ulsterでのインタビューを聴く。インタビューだけのクリップは「エリア外」表示。日本では再生できないのか、仕方なく、ラジオ番組一本分、約2時間のファイルを開きNeilが出てくるのを待つ(http://www.bbc.co.uk/iplayer/console/b018wddw)。いつものAlan Simpsonはお休みで、代打のRigsyさんのホストで、時間にして5分ないくらいのインタビュー。”Absent Friends” がかかってサヨナラ。6日間は聴けるそうですので、Neilの喜びの声を是非。

本日のBGM: Mastermind (The Divine Comedy)