小市民

新たな週の始まり。
明け方から、普通科3年再入門講座のワークシートのチェックを終え、授業のリハーサル。接触節を用いて、文から名詞句の限定表現を括り出すトレーニング。習熟していない生徒に共通のトラブルスポットを確認し、口頭で説明すべき所、音読を課すところの見極め。
出校後、典型例としてコピーを数名分撮り、授業では、ワークシート返却後、転記の際に綴り字をミスしたところ、記号付けの漏れのあるところ、動詞型の誤解などを確認しながら、文を音読、続いて名詞句を音読。それぞれ、イメージを明確に浮かべることを求める。本時は、既習の英文を用いて主格の関係代名詞によって名詞句を括り出す練習。
改めて気がついたのだが、

  • The Queen photographed the tourists.

から括りだした、

  • the tourists the Queen photographed

という名詞句に対応する「日本語」で、
(X) 女王様が撮った観光客の写真
と書いている者がいた。これは、日本語で「写真を撮る」と表現する内容を、英語ではphotographという一語の動詞で表しているからこその問題点なのだが、類例を多く示す余裕はなかったので、

  • The Queen took the pictures of the tourists.

という、ほぼ同じ内容を表しながら「動賓構造(動詞+目的語の構造)」を持った英文を示し、接触節を用いた名詞句を作ってもらうことで対応した。

  • the pictures of the tourists the Queen took

「四角化で視覚化」の身についている者は、核になる名詞句が<A of B>となっていてもどちらが先行詞になるかはきちんと把握できている。分からない者は、面倒だろうが、一々、わざわざ、以前の「四角化ドリル」にまで戻らせる。こちらのワークシートは、まず、先行詞が人となる例を1つ、モノとなる例を1つ、接触節との対比の説明も含めて印刷してある。続いて、人の類例を1つ、モノ類例を1つ取り上げて、私の指示した手順に従って、主格の関係代名詞を用いて名詞句の固まりを書き出させるところまで。

まず名詞は四角化で視覚化。□で囲んだ名詞の分類は「人」か「モノ」か?それが分かれば、「人」ならwho、「モノ」ならthatを繋げることで、「これは文ではなくて名詞の固まりが続くんだよ」、という目印の信号を発し、とじカッコにあたる動詞や助動詞を続ける。どこからどこまでが名詞のまとまりかを確認。最後まで言った時、書いた時に「人」とか「モノ」のイメージが自分の頭にないとダメ。これは文じゃないから、大文字では始まらないぞ!

というところまでお膳立てしておいて、残り5つの類題を自力で処理。これでも、10分以上の時間がかかる生徒が多い。できた者から、教卓までチェックを受けに来る。チェック済みの者は、音読で整理。まだの者はその前の例を見ながら、同じ頭の働かせ方をし続けて頑張るのみ。見栄えの良い「アクティビティー」は一切ありません。理屈・頭の働かせ方を身につけて、最終的に自分一人で手がかりを作れるようにするための授業です。

高1進学クラスは青森県の素材で土曜日課外の続き。
いわゆる「ナラティブ」のテキストをどのように処理し、聴きこなし、読みこなすか、という話しがメインなのだが、英語のスモールトークから。
職場に届いた作文のテキストを実際に教室で見せて、その内容や背景を解説。

  • Active English Book 1 & 2, Grammar and Composition

これは、昭和26年に検定を通った当時の高等学校用の作文と文法の教科書である。
出版社は光書房。著者は、

小川芳男
岩田一男
Stanley H. Griggs

の3名。モデル英文も用語の定義も解説も全編が全て英語で書かれている。(写真参照2010OC2MT026.jpg 直
2010OC2MT027.jpg 直
2010OC2MT028.jpg 直)
今から60年も前に既に、「英語は英語で」を実践していたわけである。ウィキペディアによれば、これが岩田一男の最初の著作になるようだが、当時の検定教科書の普及の度合いなどが私には全く分からない。今度、江利川先生に聞いてみようかしら。
この当時の高校生と比べて、今の我々の置かれている環境では、海外渡航も経済的に余裕があれば全くの自由、インターネットを使えば様々な内容、レベルの英語が直ぐに手に入る。では、どうするか?借りもののリアリティーに圧されるのではなく、自分自身の学び、というか、学ぶ主体である自分自身がしっかりといないとダメ。常に良い英語を自分の言葉として取り込む努力を、という訓話ですね。
スモールトークに続いて、授業の実作は「英語は英語で」にどのように進んでいくか。
英語を音だけで、頭に内容を残し、先へ先へと引っ張っていけるか、というトレーニングです。代名詞、指示語、名詞句などを活用した、その都度、その都度の内容のまとめ方、折りたたみ方が鍵ですが、やはり根本は「英文を生き直す」姿勢です。
今回青森県で出題された英文はこちら、

Koji and his family live in London. They went there because Koji’s father started to work at a bank there. When Koji first went to London, it was difficult for him to speak English. So he wanted to go back to Japan. One evening he walked with his dog in a park. An old woman came to him and said, “Hello. Oh, your dog is very little. What is its name?” Koji was surprised. “Pardon?” he asked. The old woman asked again, “What is the name of your dog?” Koji understood her and answered, “Shiro. My dog’s name is Shiro.” Koji was very happy because he could talk to the old woman in English.

北海道の出題よりも短いが、冒頭で現在形での場面設定の後、そのことの起こりを説明する過去形へとシフトし、そのまま過去形でエピソードを披露する展開。期末考査に向け、出題方針を告知しながら内容と表現を確認。
動詞の時制が過去形へシフトした、一家転住を述べる文に続く、Whenで始まる文は、もし高校生レベルの英語が使えるのであれば、

  • Since this was the very first time for Koji to go abroad, it was difficult for him to communicate with his classmates and neighbors in English.

とか、

  • For the first few months, he had a very hard time communicating with the local people in English.

などと具体的に書けるところ。公立高校入試のリスニング、という語彙と構文の制約があるので、”when Koji first went to London”に全て背負わせてしまうことになっている。「これで分かって下さい」とでも言うかのよう。でも、ここがしっかりと理解できて自分の言葉になっていないと、次の”So” が「それで」「だから」と日本語に置き換えても適切で充分な理解とはならないように思うので、期末試験に向けてしっかり準備しておいてね、という話し。
ここでは、

  • Why did Koji want to go back to Japan?

に対して、自分の英語で答えられないとまずいでしょう?と問いかけておいた。
その他、表現の細かいところでは、普通は、”walked with his dog” と言うよりは、”walked his dog” 「犬を散歩させ (てい) た」ではないのかと思うのだが、そこは「スルー」して、もっと重要な「Kojiとおばあさんとの出会いでのお互いのやりとり」の不自然さを指摘。

挨拶に挨拶を返すのが普通。英語の苦手意識から、Kojiは直ぐに挨拶を返せなかったがために、おばあさんの方が気を利かせて、ペットの犬の話題へと話しを進めてくれたのだとしたら、”Hello” から ”Oh” までの間に、気まずい間があるはず。そうでなければ、何か動作なり、言葉なりが二人の間に交わされるか、いきなり犬の話題に突入するほどの魅力がその犬にあるのだ、というような「場面」と「登場人物」の設定があるはず。

というような指摘をして、この「物語」の「話形・話型」を考えさせました。

  • My dog’s name is Shiro.

とKojiが思い切って口にする英語は、英語に苦手意識を持つ日本人生徒の英語力に合わせてあると思われます。ただし、普通の会話であれば、その場にいる自分のペットの犬ですから “His” name is Shiro. と言うのではないか、という指摘はしておきました。
私が最も気になっていたのは、この物語の「テーマ」は何なのか?ということ。「Kojiの英語嫌々エピソード、ロンドン編」ではないことは生徒にも充分に分かります。

  • では、この公園で会ったおばあさんとの会話はロンドンに住むKojiに何をもたらしたのか?というような締めくくりの一文が欲しいところですね。

と投げかけておきました。一例として、

  • On his way home, he smiled at Shiro and said, “….”

とでもなっていたとしたら、Kojiは最後に、Shiroに何と言ったか?
というように柔軟に頭と心が動きますか?

と生徒に働きかけて終了。

高2のライティングは、後置修飾総まとめ。
『ぜったい音読』の2冊から抜き出した英文から、名詞句を括りだせるだけ括り出すトレーニング。
括り出せそうで括り出せないものがある、ということに自分一人では気づかないから、そこを突っついて気づいてもらえるよう刺激します。
特に、主語や目的語となる名詞句そのものを否定的な語句で表現するのは極めて英語らしいのですが、その「存在しない人やもの」を不定詞句ではなく接触節として括り出すことは難しい、という実感を持たせたいと思っていくつか例を含ませています。

  • This child has nobody to play with.

という文から、

  • ? nobody this child has to play with

という接触節を括り出すのは難しい (nobody for this child to play withなら許容範囲か) し、

  • Many places in other countries do not have enough water.

という文から、

  • ? enough water many places in other countries do not have

という接触節を括り出すのは難しい。さらに面倒なことには、

  • Sea turtles mistake the balloons and bags for jellyfish.

という文から、

  • the balloons and bags sea turtles mistake for jellyfish

という接触節は括り出せるのに、

  • ? jellyfish sea turtles mistake for the balloons and bags

という接触節を括りだすことは難しいということです。
練習問題やタスクに凝って、造り込むのもいいけれど、深追いは禁物。正しく、適切に用いられた英語の実態をよく観察して、実例をもとに学ぶことが基礎基本であることを改めて認識した今日の授業でした。
職場に『オリバー・ツイスト』ものが届いたので、早速、 “Please, sir, I want some more.” の場面だけ読み比べ。古い順に。

  • Oliver Twist, simplified by Margaret Maison and Michael West, Longman, 1966
  • 森野彌良・註解 『オリヴァー・ツウィスト』 (学生社直読直解アトム英文双書、1971年)
  • Oliver Twist, retold by Richard Rogers, Oxford Bookworms, 1992
  • Oliver Twist, retold by Pauline Francis, First Track Classics, Evans, 2003
  • Oliver Twist, retold by Kathleen Olmstead, Classic Starts, Sterling, 2006
  • Oliver Twist, retold by Mary Sebag-Montefiore, Usborne Young Reading, 2009

くじ引きでstrawを引いた結果オリバーとなってしまうという描写があるものとないもの、描写はあるけれども、長さの記述が異なるものなどいろいろ。語彙と構文が易しければ、読者に優しいか、といえばそんなことはない。でも、こうやって比較しながら読んで、rewriteした著者の心理を辿るのは楽しいもの。
さて、
先日来の懸案事項である、目的語+不定詞。やはり五島忠久、織田稔 『英語科教育 基礎と臨床』 (研究社出版、1977年) にありました。

  • 22. 目的語+不定詞 (pp. 188 - 196)

この前の項が、

  • 21. 目的格補語 (pp.179 – 195)

となっていますから、そこでの議論がこの不定詞の問題を考える足場となっています。この本は、「理論的考察」と「討議」の部分の案配こそが肝なのですが、ここでは「討議」を見てみます。ディスカッサントは著者二名に加えて、岡田克己、中園敏正、山田学の五氏。「基本語文型と『目的語+不定詞』」の項から引く。

C: 昨年の模擬試験の結果をちょっと調べてみましたが、let, make, want、この3つの正答率は、それぞれ27%, 10%, 6%です。「〜に〜してもらいたい」 (want +目的語+不定詞)、これが最も理解が悪い。習ったすぐあとで6%ですからね。(中略)
E: 調査や試験の結果から、これらの項目が不消化で残されているということになるのでしょうが、その不消化の原因となると、いちがいに生徒の側の責任とばかり言えないように思う。教え方にもまずいところがあるんではないですか。生徒の持っている言語感覚を、もっと積極的に引き出すような行き方があるように思います。
B: see, hear +目的語+現在分詞、これはすぐできる。この構文は、生徒のもっている日本語の感覚にピタッと一致するところがあるんですね。

私の授業での手順には、この「討議」の影響が色濃く出ていたというわけでした。
続いて、「さよなら、SVOC!?」の項から、

A: 昔のパーマーの教科書など、10も20も例を出してますね。不完全で曖昧な文法を、あまり早くから与えないことですよ。何が英語の柱か、それを自分で見つけ出させるような、そういう意図でどんどん英語を与えていくことです。
(中略)
E: これなど、表情ゆたかな音声にのせて ‘for you to help me’ ‘very kind of you’ と、ふんだんに聞かせていけば、for youはあとの不定詞に、of youは前の形容詞に関係しているということが感覚的にわかるはずですね。意味上の主語がどうのこうのと言わなくても、その辺の理屈は感覚的につかんでしまう。
(中略)
D: そしてオーラルでやらなければやらないだけ、文法的説明が多くなり、それだけ英語に触れる機会も少なくなる。われわれのまわりに英語という言語がそれだけ豊富にない悲しさというんでしょうか。
C: オーラルでやった場合、生徒が触れる英語の分量は、比較にならないほど多いですからね。

やはり振り返り、立ち返る足場として、この本は大きな意味を持っているように実感。巻末の参考文献も、古いといわずに眺めてみて欲しいと思う。升川潔、小林祐子訳の

  • 『生きた英語の上達法---文法・語法の重点チェック』 (研究社、1974年)

はこのブログでの言及回数もかなりあるように思うのだが、次のような評価がなされている。

外国人留学生に対する長年の英語指導の体験から生み出された啓蒙的参考書。その留学生の中には日本人も多かったのであろうか、各頁に思い当たる指摘が見いだされる。現在完了・定冠詞などの文法事項から travel, feedなどの語法まで、英語のすべてをオールラウンドに扱う。Exerciseもあり (解答付き)、英語教師必携の書。

高評価も頷ける、というか、この方達のお眼鏡に適ったものを読み継いできているのだから、当然といえば当然なのだろう。1970年代にここまでの地平が開けていたことには、やはり感嘆せざるを得ない。もともと『現代英語教育』誌での二年間の連載を元にしているので、本編は24章で終わるのだが、その結語、「おわりに」の一部を引いて締めくくりたい。

正直言って、この連載をつづけていた2カ年間は火の車の毎日でした。自転車操業とはかかることかと、毎月毎月、とにかく走りつづけてここまで来ました。どうにか転びも倒れもせずにここまでこられたのは、やはり、今の「英語」を何とかしたい、少しでも世間の批判にたえられる教科にしたいという、焦りのようなものが、たえず私たちの心の中に渦巻いていたからだろうと思います。それだけに、この気持ちをよく理解して、こころよく討議に参加して下さった先生方に、そして編集面で協力にバックアップしてくださった研究社の後藤さんに、あらためてお礼を申し上げたく思います。(p. 214)

今日は11月28日。
原田知世さんのお誕生日です。
帰宅途中に、kajiwaraに寄ってケーキを購入。
ファンとしてささやかながらお祝いをしました。
そして月曜日は『水戸黄門』。今日は、里見浩太朗さんの誕生日でもあります。グランドフィナーレまでいよいよ秒読み。見届けるのに必要な忍耐もまさにgrandです。

本日の晩酌: 久礼・純米吟醸・無濾過生原酒・直汲 (高知県)
本日のBGM: Shiawase Happy (Harry Hosono & The World Shyness)