「たいしたことは言っちゃいない」

第4回 山口県英語教育フォーラムに参加された広島大学の柳瀬陽介先生のブログで、詳細なレポートがされています。

「組田幸一郎先生の講演を聞いて」
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/11/blog-post_22.html
「佐藤綾子先生、萩原一郎先生のお話を聞いて」
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/11/blog-post_23.html

当日参加された方はご自分の思いとの摺り合わせを、当日参加が叶わなかった方は、その場の空気を感じ取って頂ければ幸いです。柳瀬先生、有り難うございました。

昨日は、「いい夫婦の日」ということだったが、そんなこととは関係なく、県内の高校へ、成果発表会を見に行ってきた。
授業の振り替えのやりくりがつき、授業を済ませて予定よりも早く学校を出発できたので、午前の最後の授業と午後のワークショップ、そしてその途中の大学生による英語によるポスタープレゼンテーションを見学することができた。授業者もワークショップのコーディネータも先日の「山口県英語教育フォーラム」に参加して下さった方であった。こうして輪が広がっていくことで何か新たな動きが生まれると良いと思う。大学生によるプレゼンテーションでは、私の学校の卒業生も頑張っていた。来春から教壇に立つそうなので、しっかりと研鑽して欲しいと思う。私がプレゼンを聞いた学生のプレゼン内容がまさに、ワークショップのコーディネータの授業を振り返ったものだったのも有益であった。
プログラムの最後は静岡大学の三浦孝先生の講演。1時間ちょっとを全て英語で話された。
講演の冒頭で、ベネッセコーポレーションの調査結果に基づくデータを示され、中学校段階での生徒の受け止め方と授業を行う先生方の認識とのギャップを示された。この調査結果とそれに伴う考察は、中学校の先生方はもちろん、高校の先生方にも広く読まれて欲しいと思う。
「中高生の知性と感性に訴えかける英語授業を!」という内容の他、「大学入試そのものが変わってきている」という部分では、現在、三浦先生や亘理先生が中心となって進めている「プロジェクト」の話しがもう少し詳しくあってもよかったかな、と思ったが、三浦先生の話しぶりによるところが大きいのか、会場の雰囲気も良く質疑応答も和やかに終了。
私は、このプロジェクトの賛助会員でもあるのだが、山口の地にいて普段協力できていないお詫びも兼ねて、三浦先生にご挨拶だけして会場を後にした。
バタバタしたスタートで、しかも体調が優れず、下松でオムライスを食べて帰れなかったのが唯一の心残りだったが、成果発表会での授業・プレゼン・ワークショップ・講演と大変気持ちよく終われたのでよしとしよう。
今日は、勤労感謝の日で休日。
先日、田邉祐司先生のブログで知り、買い求めた、

  • 原田 朗 『世に応ふべき範を見す 一地方都市の旧制中学校出身者群像』 (東京図書出版会、2007年)

を読んでいました。山口県徳山出身の英文学者石田憲次、英語学者岩崎民平の二人を大きく取り上げています。今回、この本を読んで、改めて英語教育界は「オーラルヒストリー」をしっかり纏めておかなければならないと思いました。
さて、
いろいろな機会に、予備校系列の模擬試験や入試問題の「ライティング」関連の模範解答で、英語の表現の選択やその英文に見られる論理展開、論証責任に問題があることを指摘してきた。「再現答案プロジェクト」を始めるに至ったのも、少数の大学を除いて、主題者である大学の側から責任ある「解答例」が示されることがないがために、まことしやかな「模範解答」が蔓延っている現状を憂いてのことであった。
指導経験が豊富で、多くの先輩が残した再現答案や解答例の蓄積がある場合はよいのだが、新たに赴任・異動した先で、そのような指導を求められる若手の教師や、学校の教育課程の変更、経営方針の刷新で、そのような指導を余儀なくされた場合には、やはり指導法で悩むこととなるだろう。
その際に、「腹に代える背」とか「溺れる者にとっての藁」とか「帯でも襷でも」とばかりに、このような指導に飛びつく気持ちがわからないわけではない。が、やはり、その最終的な模範解答で示される具体的な「英語」をよく読むと、相当に問題の根は深いと思わざるを得ないのである。
先頃、代々木ゼミナールの2010年の夏期講習で用いられた『自由英作文の攻略』というテキストを入手したので、その模範解答をもとに、入試対策としての「ライティング」指導で求められている英語の課題を考えてみたい。
入試過去問での定番とも言える「小学校英語」。お題の提示は、

  • 「小学校で英語の授業を必修にすることにあなたは賛成ですか反対ですか。自分の意見を80語程度の英語でまとめなさい。」

今年度からは「必修」で「外国語活動」になった以上、もはや、同じ切り口では出題されないであろう。もし、今後とも出題が続くのであれば、「教科化」とか「専科教員化」などの「施策論」を含んだ切り口か、「自治体の契約した派遣会社から学校に指導にやってくるALTと学級担任との打ち合わせが充分にできない」などの具体的な課題の克服に焦点を当てたものでなければ、現実を反映しなくなるのではないかと思われる。
出題そのものの問題点はこれくらいにして、以下、テキストより抜粋しながら考察していく。
この指導者の方針は次の言葉に端的に示されている。

自由英作文は小論文の試験とは違う。書くことを求められる長さもはるかに短いし、したがって小論文ほどの緻密な論理を要求されるわけでもない。常識的に読者が納得する程度の論理による骨組みを短時間で思いつけるようにするのが入試の自由英作文で勝つためのコツだ。

この方針によった懇切丁寧な指導を経て「答案例1」として<序論での主張+本論での理由付け>が示される。見やすさを考え、ブロック表示にて記す。

I agree with the opinion that English should be taught in elementary school.
One reason I think so is that being able to speak English is getting more and more important in the world today; if you cannot speak English, you have difficulty even traveling abroad. And people today depend on the Internet for information they need, and most information online is written in English.
Besides, the younger you are, the easier it is to learn a foreign language; when a family moves abroad, in general, the children learn the language sooner than the parents.

入試では字数稼ぎのために結論部で自分の主張を繰り返すことは不要、と説くこの指導者による、<結論>の書き方では、<提言>として、上記英文に次のような結論部を付け加えることを助言している。

So I suggest every child begin to study English as early as possible so that they will be a competent speaker of English in the future.

序論+本論部分で、95語、結論部分で26語、計121語の文章となった。最初のお題の指定語数は何だったのだろうか?という気はするが、この賛成意見に対して、ほぼ同じ語句や表現を準備していても反対側の意見が書けますよ、という解法のテクニックが示される。
以下、反対側の意見としての「答案例2」。

I don’t agree with the opinion that English should be taught in elementary school, because it would just lead children to hate English.
Of course, being able to speak English is getting more and more important; if you cannot speak English, you have difficulty even traveling abroad.
However, there are also downsides about teaching English to small children. The biggest one is that it would be too difficult for them; English is too different from our native language both in grammar and in vocabulary. In order to learn it you have to memorize a lot of things. If you should force small children to memorize all those things, the result would be just that they would hate English.

そして、この反対論に付け加えることができる<結論部>として、
<再主張>

Learning to speak English is important, admittedly, but the average Japanese students study English for six years in high school and tow additional years at college, and I think it is enough.

または、
<一般化>

It would be a contradiction to force students to study something and lead them to hate it.

が示される。こちらの答案例2では、<序論+本論>で、118語。<再主張>の32語を加えると、150語。<一般化>の17語を加えると、135語の英文となるので、やはり最初のお題での語数指定はどうなってしまったのかテキストからだけでは推測の仕様がないのだが、とにかく、このような指導でこの手の「自由英作文」の出題に対する効率の良い準備をするわけである。

  • 流石は予備校である。
  • 夏期冬期などの予備校講師が行う教科研修会にもっと出席して指導法を学ばなければ。
  • 進学重点校などでは、もっと予備校の講師に高校英語の授業の査定をしてもらわねば。

などと、本気で思える進学校の英語の先生はどのくらいいるだろうか?このような指導を高校英語の「ライティング」の出口とみなして本当にいいのだろうか?
確かに、高校生の7〜8割くらいはこのレベルのライティングにまで到達せずに高校を卒業していくのかも知れない。しかしながら、もし、幸運な2〜3割程度の高校生を指導する機会に恵まれ、このレベルの「アウトプット」に習熟させたいと願うのであれば、ここで示された「英語」を読み返して、その表現と論理の問題点を正さなければならないのではないかと思う。

解答例1での問題点は、理由付け一点目、 “more and more important” といった主観的形容の裏付けとして「海外旅行」と「インターネットでの情報収集」を上げているのだが、このことと、「小学校の英語教育」とは何の因果関係もないことを忘れている。
まず、海外旅行で行く旅行先で英語圏がどの程度の割合を占めているのかという考察がない。さらに、英語圏に海外旅行に行く日本人の年齢別実数が年々増加していて、しかも年々若年齢化が進んでいる中、英語ができないことによる旅行者の問題が多く発生しているというような事例も示されていない。現時点で英語がそれほどできないと言われている日本人が、ゴールデンウィークや年末年始にこぞって出かけているのはどうしてなのだろうか?この程度の「地に足の着いた考え」がなぜ、アウトプットが英語になった途端、大学入試での解答になった途端にどこかに消えてしまうのだろうか?
「インターネットの情報がほとんど英語である」というのだが、その英語の情報を小学生が処理しなければならないような課題が小学校の授業でどのくらい課されるのか、学校を離れた家庭や地域社会でどの程度求められるのか?せめて、ウィキペディアの日英版での記述の量と質の差などへの言及がなければ説得力を持たせられないだろう。(「インターネットの情報は英語」という思いこみに関しては、過去ログを参照されたし。→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050408)
理由付けの二点目は、「早ければ早いほどよい」という現在でもよく聞かれる声である。この理由付けに対して、「両親の転勤に伴う家族での海外転居での事例」を持ち出しているところが問題である。そのような条件下では、その子ども達の生活圏と学習圏ごと言語環境が変わるのであるから、それを日本に於ける小学校の教室での授業実践と同列に語ることには無理がある。英語圏に転居する子ども達の平均年齢が何歳で、平均してどのくらいのexposureで英語を身につけているかが分からない以上、 “in general” と述べている、その一般的事例から、当該のissueに切り込めていないと言わざるを得ない。
また、付け足された結論部分での、"so that they will be a competent speaker of English in the future" はこの部分で唐突に出てきており、序論での主張との整合性がないだけでなく、「将来」というのがいつのことを指しているのかが不明なまま終わってしまっている。
解答例の2は「英語嫌い」を生んでしまう、という主張はよいのであるが、「そもそも論」の広げすぎに不備がある。本論での理由付けだけでなく、付け足した結論部分、特に<一般化>での結論では、英語だけではなく、小学校以降の学校教育で行う教科科目の全てに当て嵌まり、「小学校」「必修」という主題・争点での論考として大きくマイナスとなっている。結論の<再主張>では、"enough" というのが何を基準にして何が満たされているのかが不明である。「英語なんかできないままで一向に構わない」というのが本当の主張なのだろうか?

この入試を模した出題で考慮しておかなければならないのは、小学校で「必修」とすることで、現状の施策と何が変わるのかを自分の主観的な「予測」や「期待」で終わらせるのではなく、そのメリット、デメリットをできうる限り「データ」で示すことであり、そのためには「論拠」を示すことで議論が平行線を辿ることのないように絞り込みをかけておかなければならない。「小学生」が「英語を習う・学ぶ」こと、ではなく、「小学校」での「必修授業」が争点なのであるから。
では、このようなことをセンター試験が終わってからの3週間程度、高校の授業1コマや2コマを使って、個人個人の答案を添削を繰り返すことだけで達成できるだろうか?
いや、入試がこのように変わってきているからこそ、ディベートをするのだ、などという人もいるが、わざわざ英語でディベートをするまでもなく、アイデアジェネレーションや、立論の段階で、テーマ関連の語彙指導や定型表現の不備に対するフィードバックを行い、「ヨコ糸」と「タテ糸」の精度を上げつつ、パラグラフの体裁を整えて100〜150語程度の英文に纏めていく指導は、高校の「ライティング」の授業でこそ可能なのである。
とはいっても、普通の高校では、なかなか平常の授業でこのレベルの指導をまかなうのが大変であることは重々承知している。では、どうするか?高校3年の2学期期末くらいまでに授業ではペアやグループを活用して100語程度のまとまった英文が書けることを目標として指導を続け、センター試験が終わってからの3週間で個別指導に移行する際に、この同じ「お題」で、一人の生徒に60語、120語、250語などと分量の異なる3つの解答を求めるのである。同じテーマ設定で、分量が変わることにより、「段落構成」、「理由付け」と「裏付け」、「定型表現」、「語彙選択」、「構文の複雑さ」などを指導する土台ができる。それまでの系統的な「ヨコ糸」指導、と教師のお膳立てが先行してきた「タテ糸」指導とを、この段階で融合・統合するのである。志望校の出題に合わせて、特定の語数だけで指導を続けるのではなく、段階的に分量を伸ばしていくのでもなく、最初から分量の異なる3つの課題を準備することで、多くの気づきが得られ、最終的に自分の志望校に特化した演習へと繋げることができる。入試で勝つことから、いったん離れて見ることで、より豊かな言葉を手に入れるチャンスが生まれる。

たまたま、数年前、まだ「必修化」が議論されている頃に同じテーマで書かせた英文例が残っているので、それを以下に示す。時期は高3の1月くらいだろうか。この時は、60語・150語・300語を目安に書かせている。私が当時の生徒に課した「お題」はこちら。

  • 現在文科省では、国公私立を問わず、小学校に必修科目としての「英語」教育を導入しようと計画している。この必修科の動きに対して、賛成・反対の立場を明らかにして、あなたの意見を英語で述べよ。なお具体的に意見の理由を述べること。

あくまでも、これはドラフトであり、様々なレベルでの誤り、不備を多く含んでいるのは明らかで、ここからが本当の「ライティング」指導のスタートである。同じテーマで書いた生徒が複数いれば、その相互比較を授業で行うことも可能であるが、そのためには教師の側で明確な「フィードバックの観点」、「言いたかったけれども言えなかった表現」を返すだけの英語力を持っていなければならないだろう。教師の「ライティング」観、「ライティング」指導力が問われる時でもある。
まずは、賛成意見。

I agree that English education should start from elementary school. When you start English in your childhood, later on you don’t have to bear the burden. If you start basic part of English education at elementary school, everyone will be on the same start line when you enter junior high school. This is why I support the idea that English education should be a required subject in elementary school. (69words)



I agree that English education should start from elementary school. I have a major reason to support my view.
When you start learning English in your childhood, later on you don’t have to bear the burden. If you start the basic part of English education at elementary school, everyone will be on the same start line when you enter junior high school. For example you learn hira-gana in your childhood, and you keep on using it in your life, you are able to use it naturally. That is the same with English.
Some people might say that some students will hate English, because they’re forced to learn it. However you don’t have to do difficult education at first. You can start from playing games which is related to English. Then gradually raise up the level of difficulty.
Considering these reasons above, I support the idea that English education should be a required subject in elementary school. (156words)



I agree that English education should start from elementary school. I have two major reasons to support my view.
One is that when you start learning English in your childhood, later on you don’t have to bear the burden. If you start basic part of English education at elementary school, everyone will be on the same start line when you enter junior high school. It is important that you don’t do tests. If you do tests and mark grades it is the same with junior high education. This is the part that makes children hate English. The point is to make children interested in English. Another is that when you learn new things in your childhood, you can assimilate lots of new knowledge without knowing it. For example you learn hira-gana in your childhood, and keep on using it in your life you are able to use it naturally. That is the same with English. If you start using English in your childhood, gradually you will be able to use it naturally.
Some people might say that some students will hate English because they are forced to learn it. However you don’t have to do difficult education at first. You can start from playing games which is related to English. Then gradually raise up the level of difficulty. For example you learn alphabets in first grade, and in second and third grade you learn simple vocabularies by playing games and singing songs. When your in fourth and fifth and sixth grade, do drama activities and practice it by using it. This will connect to training expressing yourself and intelligence.
Considering these reasons above, I support the idea that English education should be a required subject in elementary school. (288words)

続いて、反対意見。

In my opinion, the English education is not necessary at the primary school. The teacher, who teaches English in primary school these days in Japan, often doesn’t have the license to teach English. That is to say the students are learning from the teacher whose English knowledge is insufficient. Therefore, I strongly believe that there is no need of the English education at the primary school. (64words)



I argue against the idea that the need of the English education at the primary school. I have two major reasons to support my view.
My primary reason is that there are not enough English teachers who can teach at the primary school. Today about 90% of the primary school in Japan teaches English, but in most of the schools the homeroom teacher is in charge of the English class. The problem is that most of them doesn’t have license to teach English. That is to say the student cannot acquire sufficient English knowledge as their homeroom teacher’s English knowledge is insufficient.
Another reason is that studying English when the students yet don’t have sufficient Japanese knowledge, both English and Japanese would end unfinished. To add to the problem of a drop in scholastic ability in the primary school the English class reduces the number of the other subject class.
Considering these reasons above, I strongly believe that the English education is no need at the primary school. (156words)



I argue against the idea that the need of the English education at the primary school. I have two major reasons to support my view.
My primary reason is that there are not enough English teachers who can teach at the primary school. Today about 90% of the primary school in Japan teaches English, but in most of the schools the homeroom teacher is in charge of the English class. The problem is that most of them doesn’t have license to teach English. That is to say the student cannot acquire sufficient English knowledge as their homeroom teacher’s English knowledge is insufficient. Of course in some of the schools, the native teachers are teaching English. The difference among English education at each school, however, would cause a gap in ability. The Ministry of Education says that although the English will be a compulsory subject, at the examination to enter the junior high school they don’t make English as an examination subject. That means at the junior high, the student’s English level are varied according to the English education they had been learning at the primary school.
Another reason is that studying English when the students yet don’t have sufficient Japanese knowledge, both English and Japanese would end unfinished. To add to the problem of a drop in scholastic ability in the primary school the English class reduces the other subject.
People who agrees with the English education says that early English study is necessary for the Japanese to be more touch in the member of the Globalization. From my experience living abroad, however, people in foreign land know about their language and their home country. They are also interested in about the other country. That is to say when the Japanese want to be more global, first of all they need to know more about Japan and the Japanese language.
Considering these reasons above, I strongly believe that the English education is no need at the primary school. (315words)

誤りのある英文を学習者の目に晒すな、という意見もよくわかるが、このドラフトそのものには全く手を入れていない。確かに、間違いを多く含んだ英文であり、このレベルの英文では「合格点」に届かないだろう。これを「合格答案」とか「模範解答」という勇気は私にもないし、この英文を書いた元生徒達にもなかっただろう。でも、ここから、ライティング力を伸ばせるのが「授業」なのである。授業での指導、フィードバック、ダメ出しによって、よりよい英語へと変わっていく。
今回示した二つの英文をたたき台に用いて、現在ライティング指導をする先生が、ご自分の授業でご自分の生徒に数々のダメ出しをさせる中で、「望ましい」英文に仕上げて行ってくれれば、この英文を提供してくれた生徒も本望だろうと思う。
今日のエントリーで、某予備校のテキストからこの「お題」を引用した際に、

  • 今年度からは「必修」で「外国語活動」になった以上、もはや、同じ切り口では出題されないであろう。

と書いた。確かにそうだろうと思う。そのため、このお題を教室で生徒に課すことにリアリティはないかにも思える。が、このお題で自分の立論をしていくことで、

  • では、いつから始めればいいのか?何歳なら、難しすぎないのか?
  • 何年勉強したら英語は身につくのか?早く始めないと、何に間に合わないのか?
  • そもそも、小学生ではなく、中学生、高校生の全てが英語を勉強する必要性はあるのか?
  • 現時点で、なぜ、こんなにも英語ができない人が多いのか?それは、小学校で始めたらどう変わるのか?
  • 英語が世界語であるというのは本当なのか?全人口の何パーセントが英語を必要としているのか?

など、現在、英語を学ぶ者、英語を使う者としての借りものではないリアリティをあぶり出す、よい契機となると思うし、それができるのはやはり「授業」の中なのだろうと思う。
私は、昔も今も、高校のライティング指導では高校の授業でしかできないことを探していきたいと思っている。


夕飯は、妻がリクエストに応えてくれて、オムライス。欧風で自家製ドミグラスソースで。チキンライスの下ごしらえで使った鶏ガラでスープも作ってくれた。深謝。
夜になって、突風混じりの強風。
『相棒』を見ながら、晩酌。
胃の調子が今ひとつだったので、42℃くらいで燗をつけて、1合程度で済ませる。
立川談志の訃報。
明日は、寮の当番なので、夜が遅い。
小林信彦か何か、読む本を持って行こう。

本日の晩酌: 常きげん・山廃純米吟醸・生 (石川県)
本日のBGM: Come around the bends & Around the bends (The Beatniks)