「人の心の奥が見えないから…」

今日から七月。
未明からの豪雨により、幹線道路も川のよう。鉄道の運行状況が乱れ、始業を遅らせ対応。地域・路線によっては、完全に運休のところも。
私のクラスでも約1名来られない生徒がいて、1限の自分のコマはやむなく自習。かなり経ってから保護者に車で送ってもらい登校してきた。来たのは良いが、帰りの電車が止まってしまったりするとこれもまた大変なので、短縮授業。
高2、高1は全員出席。
高2は試験範囲で新出の の用例を辞書や学級文庫から抜き出す作業。制限時間は5分。漫然とテキストの記述やプリントの解説をなぞっていてはダメ。
最近になって、いろいろと思案しているのは、授業で私が解説・説明する際に示す「頭の働かせ方」や、吟味に吟味を重ねた類例の補足のための「用例や例文」と格闘するのではなく、教科書付属の生徒配布用の全訳についている申し訳程度の語句・構文解説などを試験前に慌てて詰め込んだりしているから範囲が広くなると間に合わず、結局、クオリティの数段落ちた「知識 (まがい)」や「思考 (もどき)」だけが残ってしまうのではないか、ということ。いつもは「『…もどき』推進委員会委員長」を自任する私ではあるが、この「もどき」ばかりはオススメできない。他教科ではどうなのか?と思ったので、準備室で数学の担当教員と話していて、ほぼ合意を得る。生徒に見られるこういった行動様式に「教科書ガイド症候群」というラベルを貼ることで落ち着いたのだが、それでは何にも解決しないので、依然として「私の胸は落ち着かない」(inspired by 財津和夫)。
頭の中、心の奥を覗いてみられたら…。

高1はオーラルで発音練習。進歩・成長の著しいものもいれば、すぐに楽をするものもいて少人数でも大変です。意識すればできる「スキル」をどうやって自動化するか、そこがミソであり肝なのです。テキストの練習問題で部分ディクテーションがあり、そこで書き取った表現や例文がその次のダイアローグやモノローグの聞き取りで役に立つ、という単純ながら良くできた構成なのだが、まだまだ生徒は使いこなせていない。発音練習では、そもそも「語」が練習素材の最小単位となることが多いわけだが、英語が苦手な生徒は、まず、ターゲットとなる母音だけをその「語」から取り出すことに大きな労力を必要とするのだ。つまり、

  • girl, shirt, birds, fur, heard, early, turn, learn

のそれぞれの単語に共通する母音を取り出して、母音だけ発音することが容易にできる生徒はそれだけでかなりの英語力なのである。今日は、出席番号順に一人一人発音させ、音が崩れたところでダメ出しをして、できる語とできない語を見極める軸足探し。-r-の音色には舌先の位置が重要なのだが、turnやlearnなど舌先を強く使わないと出せない子音に後続する場合に不安定になる者は多い。軸足でearlyやheardなどを使い、徐々に、girlやfurやshirtで舌の位置のコントロールを覚え、turnやlearnへ移行する、というのが今の私の指導手順である。というように、物凄い遠回りのような時間の費やし方の果てにようやく、母音に一段落をつけ、子音で /f/, /v/ を重点的に。『グラセン英和』の「リスニングの極意」にも書いたことだが、日本人の弱点でトレーニングによってすぐによくなるのは、/f/, /v/, そして-th-の音である。裏を返せば、ほとんどきちんとしたトレーニングがなされていない音でもある。(靜先生の「三三七拍子」などを取り入れた音声教材でも、ここはかなりきめ細やかなドリルが用意されていたはず。)
残りのコマでは、高校入試リスニング「福島県」。福島県の位置を尋ねたのが敗因。予想だにしない答えが出て本題になかなか入れず。
内容に合うように短文の空所補充の書き取り。2回目の聞き取りで、自分の答えを消しゴムで消して書き直していた生徒がいたので「喝!」。

  • 間違いを犯すことを恥ずかしいと思う、その心根をこそ恥ずかしいと思いなさい。教室は大いに間違いを犯し、その間違いから学ぶことで自らを成長させ、成熟させる場所です。

と教師らしいことを言っておいた。
空き時間と放課後で期末試験作問、のつもりだったが、午後から、専門学校、短大と立て続けに学校訪問があり三学年担任として対応。どこで誰とどんなご縁があるかわかりませんから。結局、空きコマは埋まり、放課後のみで作問に。問題だけならようやく4つ完成。1つは印刷を終え、あとの3つは解答用紙のレイアウトを残すのみ。ただ、さらにまるまる1科目、テキストデータを打ち込んだだけのものがある。火事場のなんとやらで、なんとかしましょう。

注文してあった、

  • 金谷憲編著 『教科書だけで大学入試は突破できる』 (大修館書店)

が届き、一気に読んだ。
第5章の久保野雅史氏の記述は、これまでにも幾度となく伺ってきた内容だが、このようにしてまとまった形で残ることによって、より多くの人の目にとまることが大事。「虫食い音読」のバリエーションの一つ一つは、昔から行われていた活動なのだが、一連の活動としてレパートリーに入れておけば、教材や生徒の習熟度に応じてカスタマイズもできようというもの。私自身がよく使うのは、動詞の時制やいわゆる準動詞を (原形) という形で提示しておくもの。定期試験で教科書とパラレルな素材を用いる際にも有効な奥行きのある活動だと思います。
第4章の「分量編」で、詳細な分析を行っているのは中野達也氏でした。いつの間にか、金谷門下生だったのですね (私が知らなかっただけなのでしょうが…)。ライティングの分析にもう少しページ数を割いて欲しかったと思う。
他に不満が残るとすれば、「データは嘘はつきません」という腰帯のコピーに象徴されるように、計量化の容易な議論・考察を目指したためだろうか、参考文献で比較的近年の、しかも金谷氏自身が寄稿していた『英語青年』 (研究社) の大学入試特集やそれを受けての『英語教育』のフォーラムでの靜・柳田両氏のやりとりなどが全く扱われていないこと。京大の入試問題を単なる「例外」として扱っていては、肝心の「進学校」の英語教師の心を揺すぶるまでにはいかないのではないかと思う。とまれ、多くの人に読んで頂きたい一冊である。
雨もほとんど上がった帰宅途中に「みどりの窓口」に寄って新幹線の切符を購入。4月以来3ヶ月ぶりで戸田入りです。前回の宿はあまりに酷かったので遠慮したいのだけれど、近隣でうまく取れますかどうか…。

本日のBGM: 火馬は馬鹿 (TULIP)