「白鳥は哀しからずや…」

本業はテスト前で自主練になっているので、作問に集中できる月曜日。とはいえ、サクサクとは進まず、悶々と。
朝は立哨から。雨が丁度小やみになっていて傘の出番はあまりなし。
授業は淡々、ところにより、喝。
今月の歌も消化。彼らに吸収され血肉化したかは不明。であれば、己の不明を恥じよ。
先日に引き続き、音読の見直し。さらに遡って伊藤経子 『音読の授業』 (国土社、1988年) まで。

  • 先生にとっては、みんなに音読させたという満足感があります、子どもにとっても、大声で読んだという実感はあるでしょう。しかし、その音読から、子ども達が何かを学び得たかと考えてみると、みんなといっしょに音読したという思いはあっても、そこから何かを学びとったかと言えば、学びとれていないとしか考えられない。それは、自分の音読を聞くことができないからです。ですから斉読は読む力を高めるというプラス面より、聞く感覚を鈍らせるというマイナス面の方が大きいことに気づかされます。(中略) よほどの必要のない限り、斉読をやめようと思っています。(「斉読をやめる」、 pp. 40-41)
  • 四年生のK君の声ももびのびとしてきたが、一音一音の発音にまで心がいきとどいていない。音読は、元気に正しく読めれば、それでいいのだと思いこんでしまうと、音読の練習を、うるさい・めんどう・つまらないと決めてしまう。音読の高をくくってしまうのは四年生の時期のようである。このような習慣が身についた五・六年生は、相当に指導してもなかなか内容表現の音読に進むことはできない。( 「一音一音はっきり読む」、pp.73-74)

今井先生の写真ブログで、高校時代の恩師Y先生の姿を拝見。世間は狭い。五大湖の地図をいまだに見なくても描けるのはY先生のおかげです。

夜からは、地元の市民会館で観劇。
失礼ながら、俳優陣を確かめもせず「鴻上尚史presents」ということで、現任校の演劇部の顧問の方に頼んでチケットを取っていただいたのでした。
いやー、行って良かったです。脚本・演出は言わずもがな、キャストが。
片瀬那奈さんの母親役に田島令子さんを選んだのは大正解でしょう。容姿が美しいだけではなく、彼女の声は私にとっては『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』のジェミー・ソマーズ (リンゼイ・ワグナー) の声として脳裏に焼き付いているのですね。惚れ惚れです。片瀬さんは、舞台で初めて見ましたが、高校生の役で制服を着ていたせいもあるのでしょうが、石川優吾の漫画のキャラクターみたいな人だなと思いました。
広島のU先生のブログで紹介されていた、『ショーター英英』 (旺文社) を早速入手し、あれこれ調べてみる。ふむふむ。ノーマークだった自分が恥ずかしい。綿密な研究に裏付けられて至る所に工夫が施されていることが窺い知れる。U先生、ありがとうございました。活用します。
もう一つ届いたのは、

  • 大塚高信編 『英語百科小事典』 (垂水書房、1958年)

これは嬉しいコンディションの良さ。総頁数800を越える文字通り小百科である。英語の名称は、

  • Tarumi-Shobo’s Handbook of English

「はしがき」によると、この事典の前身として、『英語要覧』 (学園出版、1951年) というものがあったらしい。
英語の小百科といえば研究社の『英語ニューハンドブック』を思い浮かべる人が多いだろう。こちらは改訂版が1952年であるから、『英語ニューハンドブック』の改訂版と『英語百科小事典』がほぼ同時期といって良いだろうか。研究社の『ニューハンドブック』の方は、初版がさらに20年前というから、1930年代のはじめ、昭和でいえばひと桁の時代である。私が中三の時に購入したものは、新訂新版。今持っているのはその後買い直したもので新訂新版の第4刷、1970年発行のものである。
今回入手した垂水書房版は、若干鉛筆の書き込みが見られるものの、総じて状態は良く、今日の使用にも十分耐えるものである。とりわけ、韻律法の記述が詳しいのが有り難い。詩や戯曲が音のあり方を今へと受け継いできたことをあらためて認識する。そういえば、『英文科手帖』も垂水書房だったな。

暗唱は 獲得です。
暗唱は 伝達です。
そして 暗唱は、伝承でもあります。
(「詩を読む」、『音読の授業』、p.156)


本日のBGM: Yesterday is here (Southside Johnny with Labamba’s Big Band)