Do not try it at home.

朝から、重い気持ちで学校集合、湖へ。この重さの訳は後ほど。
午前中の乗艇で、女子2Xで腹切り時に、整調のバウサイドのオールシャフトが破損、揚艇を余儀なくされた。1Xはレイクを少し変え、より膝がたたみやすくしてレンジを確保。それなりのスピードが出るときと、弛むときとのムラがまだまだ多い。途中、大学生の1Xの指導も少しだけ。
午後は、大学生が出艇する前の時間帯で、それぞれの課題を確認して充実の練習。1Xはようやくしっくりくるセッティングが見つかる。今日一日で随分日焼けしました。
生徒を車に乗せて湖を後にしようと動き出した瞬間、ドンという大きな音とともに、ガラガラと何かを引きずる音が。何?と思って、車を止め、後ろへ。
なんと、水たまりを越えるときに、車体の下後部をぶつけたらしく、スペアタイヤがはずれて、ホールドしていた金具がガラガラと鳴っていたのでした。応急処置で、後部座席にスペアタイヤを積み出発。生徒を学校で降ろした後で、いつものサービス店へ。オイル交換の時期でもあったので丁度いいことにしておこう。スペアタイヤ自体も、それ以外の車体下部にも異常は無し。安堵。
さて、
朝からの重き心の種明かしなぞ。

  • だから、いかに受け身が大事かっていうのは、プロレスをやって初めてわかることだよね。 (『G Spirits Vol. 11』 (2009年5月、辰巳出版))

受け身の天才、プロレスラー三沢光晴が、ビッグマウス・ラウドの村上和成をバックドロップ三連発で退けた試合を振り返って述べた言葉である。
三沢光晴、享年46歳。13日の広島で行われたNOAHのリングが彼の最後のステージとなった。子どもの頃から新日本のアントニオ猪木のいわゆる ”ストロングスタイル” を見て育ち、高校時代は文化祭でプロレス同好会のまねごとで、体育館のステージに体操のマットを1枚引いただけの仮想「リング」でジャーマンスープレックスの受け身を取り、大学時代はUWFに見学に行ったら断られ、じゃあ、といって一緒にトレーニングまでしてきた私に、「プロレス」の面白さを再認識させてくれたのは、NOAH旗揚げ後の三沢であった。とりわけ、40歳で専任から非常勤になり、生きることに必死だった時機に、同年代の三沢の率いるNOAHが見せてくれた世界は貴重であった。
追悼の言葉は思いつかない。ただただ感謝の気持ちがあるだけである。

本日の献杯: 雁木・純米吟醸・無濾過 (山口県)
本日のBGM: My last fight (Love Psychedelico)