Preceptors

先日、桐原書店のテキストでの疑義を編集部に伝えてもらったのだが、その返事が来た。
まずは、『フォレスト』。もう5回の改訂を重ねていて、数十万の高校生が使ってきた教材である。私は最近のこの手の総合本をあまり快く思っていないので、今回、初めて細かなところまで目を通してみて、首をかしげるところが多々あったので問い質してみたわけである。編集部からの回答を以下に示す。この教材を今年度使われている高校の先生方は、これをご確認されたし。もう終わっている課がほとんどだろうけれど…。

p.173, TARGET 123
The boy appeared to have been hurt in the accident.

  • 上記の英文を説明するイラストについて、吹き出しの内容は右の男子につくべきではないかとのご指摘を頂戴しましたが、先生のご指摘のとおりです。正確性に欠けており、誠に申し訳ありません。また、完了形の不定詞を表す例文として、to have been hurtと受け身の形を使用していることについて、もっと単純な例の方がよいとのご意見を頂きましたが、この点についても、今後の編集作業の中で十二分に配慮するようにいたします。

次は『現代を見る』
p.14, ll. 19-20
One morning, the day nurse arrived to bring water for their baths only to find the lifeless body of the man by the window, …

  • 上記下線部の water for their bathsについて、「解答・解説書」では「入浴のお湯」という訳語を使っているが、2人の患者の状態を考えると、「入浴」という訳語は不適切ではないかとご指摘を頂戴しましたが、この点についても先生のご指摘のとおりと考えます。誠に申し訳ありません。患者の病状から判断して、「身体を拭くためのお湯」とするのがよいと考えます。上記の箇所は早急に訂正いたします。

p.14, l. 28
Sharing grief is half the sorrow, but happiness, when shared, is doubled.

  • 上記の英文について、英語として適切なのか疑問であるとのご指摘を頂戴したと承っておりますが、まずは編集作業における過ちであったことをお詫びさせて頂きます。テキスト p.14に掲載している文章は、2005年に東洋大学の入試問題に出題された英文を引用したものですが、入試問題では、( ) grief is half the sorrow, but happiness, when ( ), is doubled. と空欄になっており、選択肢として、sharing, to share, to have shared, shared の4つが与えられ、2つの空欄には同じものが入ると指示してあります。正解はsharedであると思われますので、上記の英文は正しくは、Shared grief is half the sorrow, but happiness, when shared, is doubled. となると考えられます。編集作業における基本的な過ちであり、誠に申し訳ありませんでした。なお、入試問題に出題された英文の原典を検索したところ、該当しそうなものがいくつかありましたが、残念ながら大本の原典を確認することはできませんでした。検索した複数の英文では、Shared grief is half the sorrow, but happiness when shared, is doubled. となっていました。上記の箇所は早急に訂正いたします。

桐原書店といえば、検定教科書も出している出版社。その編集課となれば、社会的責任も大きなものとなる。学参と教科書では担当が違うとか、教科書と入試問題を扱うテキストでは担当が違うというのは、言い訳にしか聞こえないもの。その意味では、今回の桐原書店は誠実で潔い対応だったと思う。敬意を持って、ここに回答を転載した次第である。他意はない。
今回のテキストで、ネット上で話題の物語を採用しているわけだが、こういったものは出典が定かではないので、英文の吟味にこそ、英語ネイティブのチェックが必要で、本来ライターとして独り立ちできるレベルの人材を抱えておく必要があるのだ。 “water for their baths” については、疑義が残る。以下のような例を鑑みれば、やはり私の指摘した方向で考えるのが妥当に思う。

  • bathe one’s eyes in warm water 眼を湯で洗う  (『岩波英和辞典・新版』、1958年)

持論を繰り返します。

  • 良い英語で、良い教材を作って下さい。

教科書といえば、旺文社のライティング教科書『プラネットブルー』の旧版 (初版) を2006年まで使っていたのだが、来年度採択の参考にしたいという方がいて、「旧版の感想でよければ」という条件でメールを書く。
私の関わったライティング教科書も改訂され市場からは消えたので、現行の検定教科書の中では、この『プラネット・ブルー』が唯一、プロセスライティングならぬ、ライティングのプロセスととことん付き合う教科書となった。ということは、新指導要領下では、「ライティング」という科目はなくなるので、これが歴史上最後のライティング教科書となるかもしれないということである。私の部屋の書棚には、これまで使ってきた検定教科書が並んでいるが、こういう教科書が消えていき、授業で何を教えるのかと思うと、「淋しい」というのが偽らざる心境である。

  • 良い英語で、良い教材を作って下さい。

先ほど、岩波英和から、 “bathe one’s eyes in warm water” を引いたが、昔の英和辞典は、フルセンテンスではなく、このようにフレーズでの用例がほとんどであった。これは何も、語用論的知識の欠如ではなく、限られたページ数に多くの語義と用例を配し利用者の便に利するためであろう。そのレベルの英語力がある利用者だったとも言えるわけである。今風の英和辞典、とりわけ学習辞典は、フルセンテンスのものが多く、そのねらい、あるいは効能として「運用」とか「コミュニカティブ」などという売り言葉を用意しているものも多い。ところが、フルセンテンスになったということは、「具体化」され、「特化」されることを意味する。先の “one’s” のような表記による一般化ができなくなるということであもあるのだ。学参でもこのあたりの事情は同じである。
先日、高2で分詞の用法で付帯状況を扱ったのだが、テキストでの用例は、

  • He was lying on the sofa with his arms folded.

である。この項目で、他に用例を補充するとすれば、legs crossed, eyes closedあたりが典型例だろう。しかしながら、”with one’s eyes closed” というようなフレーズでの提示ではなく、フルセンテンスにこだわって、

  • He was lying on the sofa with his eyes closed.
  • He was lying on the sofa with his legs crossed.

と併記してしまっては、「彼」が一体何者で、何をしているのか、余計にわからなくなる、ということにことばの教師は自覚的でありたい。私の授業では、登場人物を変え、その都度状況設定をすることが多いが、それによって理解がより容易になるとは思っていない。要は「文」として、誰かから誰かへと語られたことばなのであれば、その文同士が、お互いにことばとして矛盾した使われ方とならないようにしただけである。そんな面倒くさいことにエネルギーを使うくらいなら、一般化したフレーズの提示で十分間に合うことだとも思う。ただ、構造や機能を理解させるために意味やリアリティを犠牲にしていいということはないというのが、私の喉にひっかかっている、小骨のようなものである。
今風の英語教育での用例提示のあり方を今一度見直す契機になればと思い、ここに記しておく。

浅野博先生のブログにコメントをしたら回答がなされていてちょっと感激。高師出身の方々が今風の英語教育をどう見ているのか、もっと聞きたいと思う。田崎清忠先生などは、「コミュニカティブ」な流れをどう眺めているのだろう。

このところ、Evelyn Waugh の周辺をうろついているのだが、自分の英語力のなさを痛感する。ブラックユーモアだろうとは思うのだが、笑えない。まずは、短編から仲良くなろうと思うのだが、短編でこそ、切れ味が増すようでさらに落ち込む。
コミュニケーションは人との関わりである。苦手な人、嫌いな人、憎らしい人と関わることも時には求められる。小説、より広くは、文学には、普段逢えないような類の人との遭遇に溢れている。安易な感動や感情移入ではない、「読み」を自分の中に取り戻すことからまずは始めようと思う。

本日のBGM: Perception (Blue Mitchell)