飄飄

  • 英語を教えるということは心を豊かにすることでありたい。(中略) 学校は知識を伝えるところだから、知識を与えない教師は用をなさない。しかしその知識を通して、教える人の心に、新しい世界を生ませ、新しい生活を望見させることが無いなら、その教育は、ただ、物の売り買いをしたに過ぎない。心を育てない教授は本当の教授ではない。わたくしはそれを固く信じている。

私もそう信じています。
これは、福原麟太郎『日本の英語』収録の、「英語の世界」 (pp.169-170)の一節。この随想は、高師を志した福原少年のエピソードに始まるのだが、そこに福原氏の辛辣な (正直な?) パーマー評が記されてもいる。(p.167)

  • パーマーという英国人が文部省に招かれて、日本の英語教授の指導をしたことがあったが大正十一年からおよそ十年くらいもいたであろうか。わたくしはこの男がどうも嫌いで、ある数年間は一種の同僚であったが、口をきいたのも一度か二度で、一ぺんもお叩頭をしなかった。どうして嫌いであったかというと、来朝の最初に、彼が帝大で講演するのを聞いたとき、実に軽薄なやつだと感じたのが動機である。パーマーを通じて自分の心を豊かにするものを何も感得することができなかった。こんな人に習っても仕方がないと思った。そういう感想から始まったため、この人のいうことなすこと、すべて気に入らなかった。よくよく性が合わなかったと思われる。

現代を生きる英語教師にとっても同様の状況に事欠かないであろうが、「よくよく性が合わなかった」で済ませられる幸福な人ばかりではない。しかしながら、福原氏の口からは、こんな言葉もこぼれるので、読まずにはいられない。颯爽ですらある。

  • 教師が自らを養おうとしない以上、生徒は決して自分を養うかてとして英語を覚えない。わたくしは形式の好きな先生から形式を教えられ、下素な思想の先生から下素な興味を学び、心の物語を尊ぶ先生から心の物語を汲みとる道を伝えられた。(p.172)

高3HRクラスは試験も終わり、1限はLHRから。
センター試験の現時点での予想得点と目標とのギャップを考え、計画の修正を問う。各科目での出題分野や出題形式などを把握せずに、目標得点などというのは笑止。各科目、あと2点、あと5点、あと10点というときに、どういった問題のどの部分で加点できる可能性があるのかを知っておくことは受験生としての資格審査のようなものだろう。こんなことまで教師に一々お膳立てされていることに腹を立てるくらいでちょうど良いのだ。
2限は、高1のオーラル。無事かどうかはわからないが終了。課題は山なり海なり。
高3の英語は答案返却の前に、再試。二日前に終わったものと全く同じ問題をもう一度。1問12秒ペースでの文法語法の4択。一定の制限時間を経て、自力解答の限界まで来たところで、該当箇所の問題演習後に整理してある (はずの) ノートを見て確認。正答率の低い生徒のノートは、テキストにある問題をそのまま写して解答を書いているだけなのだね。だったら、テキストだけあればいいだろうに。どの錯乱肢に捕まったのかなど、誤答から正答にいたるプロセスは三人三色 (4択だからね)。だったら、自分の思考のプロセスをしっかりと記録し、誤った仮説や推論を修正して記憶を新たにする努力こそが自分の学習となるはずである。こんな調子でいくら数をこなしても、穴の空いたバケツで水を汲むが如し (水を汲む比喩自体が何を表しているかはまた別の話だが…)。
高2は私が入室する前から沈滞ムード。
スモールトークで「風が強くなってきました」の英訳から始めたかったのだが、指名した生徒がすでに他教科の答案返却で相当ダメージを受けていたらしくメソメソシクシク状態。でもそんなの関係ねぇ、とばかりに英訳課題続行。既習事項のどの項目・構文を取り出して適用すればその意味内容を英語で表現できるのか、他の生徒が藻掻いている時こそ自分が学ぶ時である。正解が私の口から発せられてからそれを懸命に写したり、板書された文字情報のみをノートに書いて帰宅したところで、その情報は知識にはなり得ない (宣言的知識だろうが手続き的知識だろうが知識になっていない以上同じことである)。
いったん基本文に戻して、そこからの積み上げを自分の頭で辿り、それぞれの英語を口に出す時に自分の感性を総動員して自分に摺り合わせるといった、地味で単調な作業の繰り返しの中からしか、自力で使いこなせる文法力は身に付かない。

  • It rains a lot here around this time.
  • It is raining hard today.
  • It has started to rain even harder.
  • The wind is getting harder and harder.
  • The wind is blowing more violently.

などを行き来しながら、名詞・動詞で同形で、しかも同じ気象天候に関わる表現なのに、 ”rain”, “snow” と ”wind”では使い方が異なるのだ、という実感が湧いてくるもの。形容詞の ”rainy”, “snowy”, “windy” をそれぞれ叙述で用いた場合の差異まで意識が及べば、高校生にして中級者ということだろう。

放課後は学年会議。
明日は萩往還ウォークというのに、午後になり、刻一刻と風雨暴暴。今晩中に雨が上がりますように。
本日のBGM: Mr. Wind (Donovan)