Alma mater

週明けの0限は高2。
Small talkで “How was your weekend?” という惰性にも似た愚問から。週末は父親に借りた “Star Wars” (映画ではなく小説だそうです) を夢中で読んだという女子生徒と、ほぼ1ターンずつのやりとり。最後に、Let’s do it over on your own.といって困らせて授業開始。
『やれでき』で解説されている不定詞の用法を自分で実感する作業。kind, careless, stupid など、形式主語と人主語と両方が認められるものを辞書で確認。本当は自分の経験や想像力から、該当する場面を想起・喚起できればいいのだが、なかなかそうはいかないので、教室に辞書を持ち込み、後ろの棚に開いておいてシャトルランです。
LDOCEでは、改訂の過程で、

  • It’s really kind of you to let us use your pool.

から、

  • It’s really kind of them to let us use their pool.

に変わっていた。このマイナーチェンジの意図は?面と向かった相手への謝意を示すよそよそしさを避けたと言うことか。Are you too shy?
この形式主語の文を拾えたら、

  • They were really kind to let us use their pool.

というように、人主語に自分で書き換える練習。
当然、

  • I was stupid enough to believe him. (OALD)

であれば、

  • It was stupid of me to believe him.

に書き換えるというわけです。なんのことはない、単純作業です。ただし、複数の辞書を横断して、良い用例を覚えてから席に戻り自分のノートに書き写すというハードルがありますが。この作業で気づいたのですが、『ヴィスタ英和』 (三省堂) の用例、

  • It was very kind of you to visit me when I was ill.

では本当に人が作った辞書だと実感しました。辞書の用例にケチを付けるのは簡単だが、自分で作るとなると大変、などという形容では済まなくなるもの。「コーパスによる、オーセンティックな用例」という謳い文句を越えたところから始まるのが本当の辞書作りなのでしょう。
シャトルランを繰り返し、複数の辞書に溢れている用例の洪水の中から該当する構造を持った文を見つけ出す練習を済ませてから、語法解説。『グラセン和英』の巻末にある「語法一覧」のページで、該当する形容詞を見つけ出し、細かな確認。

  • It was stupid of you to say such a thing.

と、

  • It was stupid for you to say such a thing.

とでは構造そのものが違い、表す意味・話者の意図が異なるのだが、生徒には何がどう異なるのか、「人の性質」、「人の行為」というコメントだけではピンと来ていないようなので、「罪を憎んで人を憎まず」という具体的な補助線を引く。

高1は、2コマを使って音読大会。最初は、力まず大きな声を出すということでパバロッティの映像を見せる。1980年のNYフィルを従えての『誰も寝てはならぬ』。若い。凄い。神々しい。学生時代にイタリア語学科の友人に勧められたときに、パバロッティの良さに気がついて聴いておくべきだったと反省。
その後、私が1セクションを選び出し、二通りの音読。
一つは調音点はほぼ完璧に英語なのだが、呼気、durationなどが弱くて「声」になっていない、口先、舌先だけの音読。もう一つは、個々の調音はやや雑だが、英語の発声で身体の響きを活かした音読。聴いてみてどちらが英語らしいか、と問うと、多くの生徒が後者をより英語らしいと感じると答えるのだが、自分で音読する際には自分の身体がどこかに行ってしまうようだ。
2コマ目は、1セクション、40秒程度の英文を指定して一人一人の音読診断。カルテ作りです。
昼飯を食べる暇もなく、市内のホテルでの大学入試AO説明会へ。
地元の国公立大学で市内が会場なので、満員かと思いきやそうでもない集客具合。
最初はAO関係の責任者による概況説明。例によってパワポを映し出しての紙芝居。AOで欲しい学生像に「プレゼンテーション能力」とか「口頭での表現力」を要求するのだったら、ここで説明する人は大学を代表するくらいのプレゼン能力の高い方を選んで欲しいものだ。50分近く延々と話し続けて休憩。会場がホテルなのでコーヒーのサービス。後半は、データ分析。学部ごとの合格者のデータを%で報告してくれているのだが、実数が10名とか8名とかなのに、%で言われてもねぇ。入学時に有している資質・能力・資格の自己評価と卒業時の自己評価を複数項目で検証している、と報告していたのだが、AO入学、推薦入学、前期入学、後期入学での実数が大きく異なるのだから、平均値だけで物を語るのは、それこそ話半分にしてもらいたい。自己評価よりはGPAの比較の方がまだましだと思う。AO入試で入学した学生は、入学時にも「英語のコミュニケーション能力」が低いと自己評価していて、卒業時にも低いと自己評価しているのであるが、これは、英語力が向上したにもかかわらず、まだまだこんなものでは世界で通用しないという謙虚な内省を表しているということなのか、よくわからなかった。学生にTOEICを課すことによって、卒業時には一定の英語力を保証すると謳っている大学なのであれば、この点の改善をしっかりとやってから個性をアピールして欲しい。
いろいろ問い質したいことはあったのだが、質疑応答など一切なく閉会。殿様商売だな、これは。
この大学だけのことではないのだが、気になる言葉遣いをひとつ。

  • 「学生の品質保証」

という言い方は今の流行なのかも知れないが、気持ちのいいものではない。こういう用語を平気で用いる人にことばについて教えを請おうとは思えないのだ。
学校に戻って帰りのHRで、早速報告。この大学が第一志望の者は、中に入ってどんどん大学を変えていきなさい、と発破。
職場に郵便物が届き、差出人を見ると、直接面識はないものの、英語教育、文字指導などで一方的にお世話になっている、大学の先輩でもあるT先生。何だろう?と思って封を開けると、

  • 『写真で見る 成瀬仁蔵 その生涯』 (日本女子大学成瀬記念館, 2008年)

日本女子大学創立者成瀬仁蔵生誕百五十年記念に編集発行された資料とT先生からの丁寧なご挨拶。riversonさんのブログを通じて拙ブログを知り、読んでいたとのこと。過去ログでちょっとだけ書いた成瀬仁蔵に関して、このような記念誌をわざわざ送っていただいたことに感謝感激。
終わりよければ全てよし。
本日のBGM: 突然の贈りもの (矢野顕子)